イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

連載3【シリア・クルド】ロジャヴァ・国際義勇部隊登場の背景(写真26枚)~クルドの闘争に殉じたドイツ人たち、20年の時間軸

◆PKKのアンドレア、YPGのケヴィン
シリアで武装組織イスラム国(IS)と戦うクルド・人民防衛隊(YPG)には多くの欧米人も志願している。各国から多数の義勇戦闘員が加わり、また犠牲もあいついだ。ドイツ人青年ケヴィンは22歳で戦死。彼を結ぶ20年の時間軸について。
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【動画】【YPG・ドイツ人・ケヴィン】(2015年)

ドイツ人でYPGに参加、3年間戦ったのち、22歳で戦死した青年、ケヴィン・ヨヒム(組織内部名ディスソズ・バハール)。ケヴィンは、それまで知らなかったクルド語を現地で仲間と暮らすなかで覚えたという。非常に流暢で、PKK独特の政治表現まで使いこなしている。ロジャヴァとはクルド語で「西」を意味し、西クルディスタン、すなわちシリア北部のクルド地域を指す。(クルド・ANHA通信映像より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 現在の欧米からの志願戦闘員の多くが、IS台頭以降にYPGを知り、志願したが、ケヴィンの場合は、オジャラン思想に感化されてから戦闘員となり、言葉も習得した点で他と異なっている。写真はドイツにいた頃のケヴィン。(支援者のSNS写真より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 ケヴィンはドイツ南部カールスルーエ出身。10代の頃から左翼活動をしていて、クルディスタン労働者党(PKK)系のクルド移民らの集会などに出入りしていた。ドイツのPKK系のクルド集会の動員バスと思われる。ドイツ政府はPKKを「テロ組織」に指定し、国内での活動を禁止しているが、PKKは別団体を複数作り、ドイツのクルド移民コミュニティーの組織化を図ってきた。左翼系ドイツ人シンパもいる一方で、PKKのオジャラン指導者の個人崇拝に近い運動スタイルや過激な武装闘争を批判する声もある。(支援者のSNS写真より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 映像でケヴィンは、「民主連合主義に希望を感じた」と語る。民主連合主義(デモクラティック・コンフェデラリズム)とは、トルコで死刑判決を受け収監中のアブドラ・オジャランPKK指導者が獄中で執筆した著作。かつてマルクス主義者だったオジャランは、のちに思想家ブクチンのリバタリアニズム思想などの影響を受け、多様な社会共同体による民主自治連合を提唱。この思想がロジャヴァ革命の指針とされ、行政・社会機構が構築されつつある。一方で、オジャランへの絶対忠誠やPKKの軍事主体の中央集権構造の実態と矛盾しているという指摘も出ている。

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 ケヴィンがドイツを出国したのが19歳頃。左はPKK戦闘服、右はYPGの戦闘服姿のケヴィン。彼のクルド名のディルソズは、クルド語で「忠実」という意味。シリア入りの経路は不明だが、2012年に参加したと報じられているので、まずPKKの軍事キャンプに入り、その後、YPGの戦線に移ったのではないか。(支援者のSNS写真より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 2015年7月、ケヴィンはISとの戦いで戦死。YPGに参加し、戦死したドイツ人としてはMLKPのイヴァーナ・ホフマンに続いて2人めとなった。(YPG公表写真より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 ケヴィンが戦死した場所は、シリア北部テルアブヤッド近郊スルックの村落とある。YPGは戦闘員が戦死すると、写真とともに氏名、出身地、両親の名などの情報が公表し、戦死者は「烈士」として扱われる。これで仲間や親族は死を知ることになり、いわゆる「戦死公報」にあたる。ケヴィンは戦死時、22歳。(YPG公表画像より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 ドイツでのケヴィンの葬儀。参列者が運ぶ棺(左)には赤黄緑のロジャヴァ旗がかけられている。(支援者のSNS写真より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 葬儀ではケヴィンの追悼集会も開かれ、親族のほか、支援者、クルド系移民ら数百人が集まった。写真右は母親。(支援者のSNS写真より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 PKK・YPGを「テロ組織」と規定するトルコの治安当局は、YPGに流入するドイツほか各国からの外国人戦闘員を徹底してマークしてきた。これはトルコ紙が掲載したケヴィンの写真。トルコ・メディアは「ドイツ政府の情報機関が7人の工作要員をPKKに派遣、軍事キャンプにいたところをトルコ軍機の空爆、ケヴィン死亡」と報じている。ISとの戦闘で死亡、としたYPG発表とは異なる記事になっている。(2015年・トルコ、タクヴィム紙)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 トルコ紙がYPGの外国人戦闘員を「汚なき7人」と見出しをつけて取り上げた記事、右端がケヴィン。トルコ・メディアがセンセーショナルな見出しで報じるような、ドイツ情報機関が当時19歳の左翼活動家ケヴィンをPKKで工作活動させるために送り込むというのは現実性がないと思うが、ドイツ人があいついでYPG入りしているのは確かである。ドイツ政府はIS問題に加え、自国民が次々とシリアに向かい、YPG入りすることに頭を悩ませてきた。(2015年・トルコ、イェニ・シャファク紙)

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【PKK・ドイツ人・アンドレア】 ここで20年ほど時間を遡ってみたい。YPGの実質的な「母体」となったPKKにも、これまで複数のドイツ人ゲリラが加わってきた。そのひとり、ミュンヘン出身のアンドレア・ヴォルフは1996年にPKKゲリラとなった。2年後、トルコ南東部ヴァンで、トルコ軍との戦闘で死亡(33歳)。(ANF通信写真より)

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【PKK・ドイツ人・アンドレア】 アンドレアは、1980年頃から左翼系アウトノーメ運動に身を投じ、銀行放火容疑で逮捕。釈放後は、ドイツ赤軍派RAF)による刑務所爆破事件に関与したとして捜査対象となり、地下に潜伏、その後、密かにクルディスタンに向かった。写真はドイツで左翼系デモに参加していた頃。(追悼記録映像より)

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【PKK・ドイツ人・アンドレア】 当時、ドイツ左翼運動は、暗殺、誘拐、爆弾闘争を繰り返したドイツ赤軍派の「暗い時代」を引きずる閉塞感、ベルリンの壁崩壊の余波、アウトノーメ運動の模索があった。またトルコからの移民・難民のクルド人が、高揚するクルディスタンでのゲリラ闘争に呼応し、ドイツ各地で抗議活動を繰り広げていた時期でもある。これがアンドレアの「時代」だった。写真はドイツにいた頃のアンドレア。(VIKO映像より)

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【PKK・ドイツ人・アンドレア】 写真左がPKKゲリラの頃のアンドレアで、組織内部でのクルド名はロナヒ。右横はおそらくハンブルク出身のエヴァ・ユーンケ(クルドカニ)と思われる。(違ってたらすみません) エヴァは1997年、トルコ軍に拘束され、刑務所で服役後、ドイツに送還。(VIKO記録映像より)

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【ドイツ・PKK】 1990年代前半、トルコでPKKの闘争が高揚するなか、PKKはヨーロッパ各地でクルド移民・難民らの大衆行動を呼びかけた。最もクルド人の多いドイツでは道路封鎖デモをするなどして機動隊と衝突、大量の逮捕者が出た。ドイツは1993年、国内のPKK組織の活動を禁止し、翌年、クルド新年祭ネウロズ集会に中止命令。これに抗議してクルド人が次々と焼身決起した。写真は自らガソリンをかぶって火をつけ、ドイツ機動隊に突っ込むクルド人男性。(当時の報道映像より)

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【ドイツ・PKK】 1994年、マンハイムで同じくドイツ政府に抗議し、2人のクルド女性、ロナヒ(左)とベリヴァン(右)が焼身決起して死亡。アンドレアの組織内部名ロナヒは写真左の女性ロナヒに由来する。

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【PKK・ドイツ人・アンドレア】 1998年、アンドレアはトルコ・ヴァンでトルコ軍との戦闘で死亡。2013年になって、その場所にアンドレア(ロナヒ)の名を冠したゲリラ追悼墓碑が地元支持者らによって建てられている。このときはトルコ政府とPKKが停戦した時期で、本来禁止のPKK系モニュメントを支持者らが独自に建てる例があいついだ。2年後、停戦は失敗し、再び全面対決。停戦破棄から4か月後、このロナヒ追悼墓碑は、何者かが設置した複数の爆弾によって爆破破壊された。(イェニ・オズギュル・ポリティカ紙写真より)

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【PKK・ドイツ人・アンドレア】 PKKゲリラのドイツ人女性、アンドレアの死から20年。クルド人の闘争はシリア内戦から始まったわけではない。それまでに連綿と続いてきた戦いが背景としてある。いま、シリア・YPGに合流している外国人戦闘員の存在は、これらPKKから続く闘争と「烈士たち」の延長線上にあるともいえる。左はPKK時代のアンドレアで、オジャラン議長に呼ばれて会話をしている様子。右は追悼ポスター。

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【PKK・ドイツ人】 アンドレアの死後も、複数のドイツ人がPKKゲリラに参加している。写真はいずれもすでに死亡したPKKのドイツ人ゲリラの一部。トルコ政府は、ドイツがIS関係者を取り締まる一方で、同様に「テロ組織」に指定しているはずのPKKへの治安対策は非積極的として批判している。(PKK系メディア公表写真より)

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【PKK・ドイツ人・ヤコブ 昨年6月、トルコ南東部のイラク国境付近でのトルコ軍との戦闘で死亡したドイツ人、ハンブルク出身のヤコブ・リーマー(戦死時・23歳)。サッカーと音楽が好きだった少年は、のちにゲバラに憧れ、19歳でPKKゲリラに。トルコ・メディアは「ヤコブはPKKが騙して拉致し、洗脳」などとしている。ハンブルクではPKK系デモや集会に参加していたようなので、自身の意志で志願したとみられるが、親は同意していないだろうし、まだ10代の少年なら、たとえ本人が希望してもPKKは止めるなりすべきとは思う。右のゲリラ姿の写真を見ると複雑な気持ちになる。(左:ヤコブ追悼映像・右:PKK公表写真より)

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【PKK・ドイツ人・ヤコブ】 映像に登場したドイツ人ゲリラのなかでヤコブが一番クルド語が上手かった。かつてアンドレアがPKK映像に登場した際は、トルコ語で話していた。トルコの同化政策で、当時はクルド人でさえクルド語の政治用語を知らず、初期のPKKはトルコ語がメインだった。その後、徐々にクルド語比率が増える。PKKのドイツ人ゲリラ、そしてYPGのケヴィンも流暢にクルド語を話していたのは、時間の経過と変化を感じさせる。写真は対空機関砲を操作するヤコブ・リーマー。(PKK系メディア映像より)

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【PKK・ドイツ人・ミヒャエル】 ポツダム出身のミヒャエル・パンザー。「ドイツで左翼運動にかかわるなかでオジャラン思想に出会い、クルディスタン革命闘争への加わることを決意」とクルド語で話す。YPGの外国人戦闘員にはクルド語をできない者が多数いるのに比べ、PKKのドイツ人ゲリラはわずかしかいないが、左翼活動歴があって思想性や組織忠誠度も強固で、クルド語も高いレベルで習得している。ミヒャエルは昨年12月、トルコ軍の空爆で死亡(戦死時・30歳)。(ANF通信映像より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 ドイツでクルド女性2人が焼身決起した前年、ケヴィンは生まれている。その彼は、シリア内戦でクルド組織YPGに加わり、22歳で戦死。ドイツ人ケヴィンもまたアンドレアと同じく、「クルディスタン解放闘争に殉じた烈士」とされた。右はケヴィンの墓。「民主連合主義は僕の新たな希望となった」と冒頭の動画で彼が語った言葉が刻まれている。(支援者のSNS写真より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 ISの台頭、ISに加わる数百ものドイツ国籍者、イラク、シリアからの大量の難民、ネオナチだけでなく一般市民にも渦巻く外国人排斥の風潮、それと対峙する左翼運動、国内でもあいつぐISの襲撃事件。これらの背景のなかから、YPGの戦いに合流してくるドイツ人たちが登場した。(ANHA通信写真より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 2017年の段階でドイツ当局は、200人以上のドイツ国籍者がイラク・シリアに入り、YPGなどのクルド勢力に参加、と報告。現在はのべ300人に達したもいわれる。さらにYPGで任務を終えた130名以上がシリアからドイツに戻っていて、今後、戦闘経験のある彼らがドイツ国内でYPGの窓口となったり、左翼運動で支援活動を拡大させる可能性も。ドイツ、トルコの治安当局は動向を注視している。(ANHA通信写真より)

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【YPG・ドイツ人・ケヴィン】 ドイツでケヴィン追悼の横断幕を掲げる支援者ら。「怒りと哀悼を抵抗闘争に! ケヴィンは我らの戦いのなかに生き続ける」とある。ドイツ内務省の報告では、YPGに加わって戦死したドイツ人は、昨年の時点で21名。ISとの戦闘だけでなく、トルコ軍の空爆での死者も出ている。(支援者のSNS写真より)

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【PKK・YPG】 PKKやYPGは、闘争に連帯を表明した外国人を、「クルドの友」と見ただろうし、自分たちの戦いの共鳴者がいるのだ、と積極的にアピールもした。地元戦闘員が不足しているわけでもないなか、シリアで数百人規模で外国人を受け入たのには、それなりの政治的思惑もあるだろう。アンドレアの死から約20年。今日につながる時間軸のなかで、ケヴィンらドイツ人たちがクルドの戦いに続き、殉じている。写真はケヴィン。(支援者のSNS写真より)
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