イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

連載2【シリア・クルド】国際義勇部隊登場の背景(写真20枚)~シリア入りしたクルド同胞とトルコ左翼

◆シリア・コバニをめぐるISとクルド攻防戦のなかで
武装組織イスラム国(IS)が2014年を境に勢力を拡大し、欧米でIS関連テロが頻発するようになると、シリアでISと戦うクルド・人民防衛隊(YPG)に国際社会の注目が集まった。YPGに合流したのが、ISとの戦うために志願したシリア人以外の戦闘員だ。トルコのクルド人がYPGのクルド同胞支援で駆けつけたほか、トルコ左翼組織、のちには欧米諸国からの志願者があいつぐ。ISには各国から外国人戦闘員が加わったが、ここではクルド・YPG勢力側の「外国人戦闘員」について連載で考察。
【第1回】【第2回】【第3】【第4回】【第5回】【第6回】【第7回】【第8回】

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【シリア・IS】 写真はコバニに侵攻するIS戦闘員。2014年9月、ISはコバニへの総攻撃を開始、十万を超える住民がトルコ国境を越えて逃れた事態となった。クルド・YPGは町にとどまり、必至の抵抗を続けるも、ISの圧倒的な装備や狙撃、自爆突撃の前に苦戦。コバニは完全に包囲された。(2014年・IS系アマーク通信映像)

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【YPG・YPJ】 コバニがISに陥落する寸前にまでなったなか、その防衛戦にトルコのクルド人がYPGに志願。写真はコバニでISとの前線にいたトルコからのクルド人戦闘員。トルコで主要なクルド方言クルマンジはシリア・クルド地域とほぼ同じであり、YPGは「故郷をともにするクルド人同胞」と位置付けているので、外国人という表現がふさわしいかどうかは別にして、トルコから少なからぬ数の応援クルド人がYPG支援のためにシリアに入った。(2014年12月・コバニ・撮影:坂本)

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【YPG・YPJ】 写真右端の女性はトルコ・ディヤルバクル近郊ビスミル出身のホウィンダ。この日、食事当番だった彼女が作った前線メシを一緒に食べる。「クルド同胞の町をISから守り抜くために来た。命は惜しくない」と話した。この10日後、ISとの戦闘で戦死。24歳だった。(2014年12月・コバニ・撮影:坂本)

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【YPG・YPJ】 ホウィンダ(本名ギュルスム)が戦死した際にYPGの女性部門YPJが公表した写真。ほかに氏名、出身地、戦死日、場所も死亡時に発表される。ホウィンダはクルド語で「血を捧げる」という意味でもある。PKKのオジャラン指導者がトルコ・ウルファ出身で、ウルファに国境を接するコバニを防衛することは政治的意味もあった。トルコ出身でも、クルド同胞の場合は、YPG・YPJの戦列で地元シリアのクルド人とともに戦っている。(YPJ公表写真より)

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【YPG・YPJ】 戦死したホウィンダのトルコでの葬儀。写真は当時、地元メディアが報じたホウィンダの故郷ビスミルでの葬儀で、棺を運ぶ親族や支持者ら。棺はクルディスタン労働者党(PKK)系組織KCKの旗、緑赤黄のロジャヴァ(シリア・クルド地域)旗に包まれている。右にはオジャラン指導者の旗も。トルコでは「テロ組織宣伝物」として禁止されている旗である。(地元メディア写真より)

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【シリア北部・TKP/ML】 ここからはトルコからの武装左翼について。シリア・コバニ攻防戦では、クルド人YPG志願者に加え、トルコ武装左翼組織も義勇戦闘員を送りはじめた。写真はコバニでYPG指揮下で戦うトルコ左翼組織。志願した外国人義勇戦闘員は「エンタルナショナル(=インターナショナル)」、国際主義者と総称される。(2014年・TKP/ML公表写真)

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【シリア北部・TKP/ML】 2014年当時、コバニでのトルコ武装左翼組織の主体はTKP/ML(トルコ共産党マルクス・レーニン主義派)とMLKP(マルクス・レーニン主義共産党)。写真はコバニのTKP/MLの武装部門・トルコ労農解放軍(TiKKO)戦闘員。(2014年・TKP/ML公表写真)

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【シリア北部・TKP/ML】 コバニのTKP/ML・TiKKOの戦闘員。横断幕は「党と革命ー 戦死烈士たちは死なず」(=殉死した同志たちの精神・魂は生き続ける、という意味)。ISとの戦いと並行して、政治メッセージを込めたプロパガンダ発信が次第に増える。当時、人数はたいしていなかったが、政治宣伝は壮大になっていった。(2015年・TKP/ML公表写真)

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【シリア北部・TKP/ML】 これもTKP/ML。トルコ武装左翼がYPGと合流した系統は大きく2つあって、ひとつはPKKのイラク北部拠点にいたトルコ左翼部隊がシリア北部に派遣した要員、もうひとつは、各派が志願を募り、トルコ国境を密かに越境してきた新たな戦闘員ら。(2015年・TKP/ML公表写真)

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【シリア北部・TKP/ML】 コバニのTKP/ML。写真左の壁の肖像ポスターはTKP/MLの創設者イブラヒム・カイパッカヤで、マルクスレーニンスターリン毛沢東主義に立脚した党建設を目指した。1973年にトゥンジェリでトルコ治安部隊に拘束され、ディヤルバクルの刑務所で死亡。TKP/MLはいまもカイパッカヤ思想を党領導原則としている。(2015年・TKP/ML公表写真)

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【シリア北部・TKP/ML】 写真はTKP/ML戦闘員。「カイパッカヤはコバニで生き、戦っている」とある。YPGは2015年1月下旬、「ISの主要部隊をコバニから撤退させた」として防衛戦の勝利を宣言。ISのコバニ包囲と前線での戦闘は続くが、町の中心部への侵攻は阻止した。(2015年・TKP/ML公表写真)

【動画】コバニ戦・IS拠点への空爆

米軍がIS掃討のシリア空爆を開始したのは2014年9月で、ISと戦うクルド組織・YPGに空爆支援。YPGが地上でISの拠点陣地の位置情報を有志連合司令部に伝え、米軍などの戦闘機や攻撃型ドロ-ンがピンポイントで爆撃し目標破壊。その支援なくしてはISと戦い抜けなかった。トルコ武装左翼は「米帝国主義打倒」とするが、結果的にその「米帝」の軍事支援を受けてISと戦うという構図に。(2014年12月下旬映像・撮影:坂本)

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【シリア北部・米軍の武器投下】 ISの包囲下のコバニで武器・弾薬が尽きかけたYPGに米軍機が支援弾薬コンテナを上空からパラシュートで投下。一部は風に流され、誤ってISエリアに。これはその一部をISが公開したもので、手榴弾が映っている。米軍からの支援はIS掃討戦が拡大するなか、増加していく。YPG指揮下で戦うトルコ左翼にとっては、初期の段階ですでにこの「矛盾」が起きていた。(2014年・IS系アマーク通信写真)

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【トルコ・シリア国境】 トルコ・シリア国境の町でシリア入りの準備をしていたトルコ左翼組織の青年らと会って取材したときの写真。 TKP/MLとMLKPのメンバーたちは、いずれも「ISとの戦いは革命闘争の一部」「さらに義勇戦闘員を送り込む」と話していた。(2014年・トルコ・撮影:坂本)

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【シリア北部・MLKP】 これは別のトルコ左翼組織、MLKP(マルクス・レーニン主義共産党)。MLKPはマルクスレーニンスターリンに加え、かつてのアルバニア労働党指導者エンベル・ホッジャのホッジャ主義に立脚。日本ではスターリン主義は否定的に受け止められるが、トルコの武装左翼にはスターリン主義を明確に堅持する組織がけっこうある。写真右のM16はおそらくISがイラク軍から奪ってシリアの戦線で使っていたたものを、奪いとったと思われる。 (MLKP公表写真)

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【シリア北部・MLKP】 MLKPの戦闘員。トルコ武装左翼各派がYPGと共闘した背景として、トルコと対峙するクルド組織・YPGに合流する形で、各派ともISやエルドアン政権との戦いを「目に見える」形で武装闘争として示せる思惑もあったようだ。また拠点建設とプロパガンダにおいても、意味は大きかったと見られる。(MLKP公表写真)

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【シリア北部・MLKP】 トルコ語で「ロジャヴァ(シリア・クルド地域)での革命勝利のため、MLKPの戦列に加わり、革命を防衛せよ!」とある。トルコ左翼各派とも、シリア内戦での戦いを革命闘争と位置付けていた。

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【シリア北部・MLKP】 シリアでのISとの戦闘が続くなか、トルコ左翼にも戦死者が出始める。初期の戦死のひとりが、ISとの攻防戦のなか、コバニ南部の前線で2014年12月に戦死したMLKPのサルヤ・オズギュル。(2014年・MLKP公表写真)

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【シリア北部・MLKP】 サルヤ・オズギュル(本名スィベル・ブルット)は1986年、トルコ・トゥンジェリ出身で、28歳で戦死。遺体は運ぶことができず、のちに遺髪のみシリアから故郷のトウンジェリに運ばれ、MLKP党旗がかけられた棺に入れられ埋葬された。(2014年12月いずれもMLKP公表写真)

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【シリア北部・MLKP】 トルコ武装左翼各派は、戦闘員が戦死すると「革命英雄烈士」と称える。そして「遺志を継ぎ、革命戦争へ」とさらなる志願者の呼びかけがなされる。戦死したMLKPのサルヤ・オズギュルを「殉死烈士」と称えている。(2017年・ANF通信写真)

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【シリア北部・MLKP】 2014年にシリア・コバニに入ったMLKPの初期部隊は、革命詩に音楽をのせた映像クリップをネットで発信するなどしていた。MLKPもTKP/ML同様に、映像やネット発信でプロパガンダを拡大させていく。(2014年・MLKP公表映像より)

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【シリア北部・コバニ】 IS包囲下のコバニを取材した際の写真。当時はTKP/ML・TiKKOやMLKPらトルコ左翼は十数人ほどしかいなかったが、町のいたるところでスローガンばかり目立った。これら過度なプロパガンダ行為は、このあと外国人戦闘員が結成した国際自由大隊(IFB)の左翼諸派にも共通し、一部組織の処分問題にもつながった。これについては、のちに触れたい。コバニ防衛後、市内のトルコ左翼スローガンは、YPG司令官が消すように指示を出した。(2014年12月・コバニ・撮影:坂本) 第3回へ >>

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