イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

連載1【シリア・クルド】国際義勇部隊登場の背景(写真24枚)シリア内戦「以前」の状況~PKKとトルコ武装左翼諸派・TKP/MLほか各派

◆シリア内戦「以前」におけるPKKとトルコ武装左翼
シリアでクルド・人民防衛隊(YPG)とシリア民主軍(SDF)が展開してきたイスラム国(IS)との戦い。そこにはシリア国外から左翼系の義勇戦闘員も参加している。2015年には国際部隊が結成され、トルコ武装左翼各派、のちには欧米からも左翼系の志願者が増加。ISとの戦いの一方、その戦いがこれら左翼組織のプロパガンダともなっている。第1回は、トルコ武装左翼がロジャヴァでの戦いに合流する以前の「前段状況」と、PKKについてあわせて見ていきたい。
【第1回】【第2回】【第3】【第4回】【第5回】【第6回】【第7回】【第8回】

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【トルコでの前段状況】トルコの非合法武装左翼組織は、都市部や山岳部で爆弾闘争や治安機関襲撃を続けてきた。写真は山岳地帯の拠点で活動するTKP/ML(トルコ共産党マルクス・レーニン主義派)の武装部隊・トルコ労農解放軍(TiKKO)。基本イデオロギーマルクスレーニンスターリン、そして毛沢東主義。(TKP/ML公表写真)

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【トルコでの前段状況】 図はISが勢力を急拡大した2014 年10月時点。トルコ武装左翼ゲリラはトルコ南東部トゥンジェリのムンズール峡谷などが拠点。クルディスタン労働者党(PKK)はトルコ・イラク国境一帯の山岳地帯を中心に活動。トルコ国内に支配地域はなく、ゲリラ的な出没という形。PKKは35年以上にわたりトルコ軍や治安機関を狙った攻撃や爆弾闘争を繰り返してきた。ただし山奥で数十人で行動するトルコ武装左翼と、南東部全域でトルコ軍と対峙するPKKゲリラは規模が違う。2012年からシリア内戦が激化すると、トルコ左翼組織の一部がシリア北部に向かい、YPGに合流。2014年8月にISがイラク北西部シンジャルを襲撃した際は、撤退したクルドペシュメルガ部隊がいたこの地域に入り、ISと対峙した。

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【トルコでの前段状況】写真はTKP/MLのTiKKO。トルコ・トゥンジェリ(クルド地名・デルスィム)が左翼拠点になった理由として、この地方の住民の多くがスンニ派よりリベラルかつ歴史的に抑圧されてきたアレヴィ教徒であること、そしてクルド民族ザザ人の住民が多く、過去にクルド蜂起が起きた土壌があったことなどが挙げられる。(TKP/ML公表写真)

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これもTiKKO。日本だと左翼セクトオルグされるのは大学などであるが、トルコは親族や地域のつながりで組織に加わる例も多い。また家族がアレヴィ教徒やザザ・クルドなど、血縁・地縁が強いのもトルコ左翼の特徴。(TKP/ML公表写真)

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【トルコでの前段状況】トルコトゥンジェリ・エルジンジャン一帯の山岳地帯を拠点にするPKKやトルコ武装左翼組織。ときおり山間部で独自に「検問」を設置し、車両をチェック。敵とみなした車両やトラックに放火したり、路肩爆弾でトルコ軍・警察を狙うことも。(2015年・地元メディア写真)

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【トルコでの前段状況】こちらはMLKP(マルクス・レーニン主義共産党武装左翼組織はトルコ南東部トゥンジェリ渓谷一帯を潜伏地としたほか、一部組織はPKKに部分共闘する形で合流。写真はPKKのクルド式戦闘服を着ているが、MLKP戦闘員。赤スカーフが特徴。(MLKP公表写真)

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【トルコでの前段状況】イスタンブールでアレヴィ教徒の礼拝を取材した際のもの。アレヴィはシーア派の流れをくむが、礼拝が高揚するとセマと呼ばれる舞踏を囲み信徒が陶酔状態になりスーフィズム要素も。信徒は自身がシーア派の一派という認識はほとんどない。トルコ武装左翼すべてがアレヴィというわけではないものの、重要なファクターのひとつ。左翼組織幹部層にはアレヴィやクルド・ザザが多く、家族や地域性も大きく影響している。スンニ派原理主義者からはアレヴィは「邪教」と敵視され、1993 年にはスィヴァスで35人が焼殺される事件も起きた。(イスタンブール:撮影・坂本)

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【トルコでの前段状況】トゥンジェリのムンズール渓谷とその近郊では、トルコ軍や治安部隊がPKKや武装左翼に対する掃討作戦を進める。(2016年・トルコ軍公表写真)

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【トルコでの前段状況】武装ゲリラは奥深い峡谷地帯の洞窟などに分散して潜伏しているので、摘発や掃討も容易ではない。中央に小さく映っているのがトルコ軍部隊。(2016年・トルコ軍公表写真)

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【トルコでの前段状況】トルコ軍がPKKの潜伏拠点一帯で洞窟を捜索する様子。洞窟や塹壕に潜み、仕掛け爆弾などでトルコ兵の犠牲もあいつぐ。身を隠しながら移動できる険しい渓谷があった地理的要因もトンジェリが拠点のひとつとなった理由。(2016年・トルコ軍公表写真)

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【トルコでの前段状況】写真はトルコ憲兵隊(ジャンダルマ)がトゥンジェリでTKP/MLのゲリラを殺害し、押収した武器類。TKP/MLやMLKPなど武装左翼各派の攻撃では、治安機関だけでなく民間人も巻き込まれ、犠牲となってきた。トルコ政府は「テロ組織」と規定している。(2016年トルコ・ジャンダルマ公表写真)

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【トルコでの前段状況】左がTKP/ML(トルコ共産党マルクス・レーニン主義派)、右はその武装部門、トルコ労農解放軍(TiKKO=ティッコと発音)。歯車が労働者、麦穂が農民を象徴し、中央にカラシニコフ銃。自分の取材経験としては、それぞれのメンバー個人は革命への情熱に燃える人たちだったが、組織としては左翼的なガチガチさが貫かれていた。イスタンブールの労働者地区の小学校前で政府批判のスローガンとともに爆弾が置かれているのを見たときは、さすがに彼らの「闘争」が理解できなかった。なおトルコ共産党(TKP)は合法党で、このTKP/ML派とは別。

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【トルコでの前段状況】TKP/MLは毛沢東主義を指針とし、「農村から都市を包囲する」としてトルコの山岳地帯を拠点に治安部隊を襲撃するパルチザン戦を展開。写真は治安部隊との衝突で死亡したTKP/ML戦闘員の葬儀。たいてい警察は阻止しようとするが、これだけの親族や支援者らが集まる。左の建物はイスラム教のモスクではなく、アリの肖像やスローガンもあるアレヴィ教の礼拝集会施設ジェメヴィ。戦死した戦闘員の家族もアレヴィ教徒とみられる。(2016年5月・TKP/ML公表写真)

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【トルコでの前段状況】これは別の武装左翼組織、MKP(毛沢東主義共産党)。毛沢東主義のTKP/MLからはいくつも小セクトが分派。TKP(ML)=※ML派のカッコとスラッシュが違う。TKP(ML)のアナトリア委員会グループが中心にMKPに。党としてのMKPのもとに、農村部門・人民解放軍(HKO)と都市部門・パルチザン人民隊(PHG)がある。武装経験があったこれら組織がシリアに戦闘部隊を送りこんでいった。日本の過激派セクト各派を一般人は区別できないように、トルコ左翼諸派も複雑。(MKP公表写真)

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【PKK初期・ベッカー高原トルコではクルド民族運動も続いてきた。クルディスタン労働者党(PKK)はおもにトルコで武装闘争を展開。PKKは、1978年に結成後、レバノン北部ベッカー高原に軍事キャンプを建設。1980年のトルコ軍事クーデターで社会運動が徹底弾圧されるなか、国外で武装化を図った。写真はベッカー高原にあったPKKのマハスム・コルクマズ軍事キャンプ。レバノンベッカー高原では、パレスチナ組織各派が軍事キャンプを設営、かつてPFLP(パレスチナ解放人民戦線)系のキャンプには日本赤軍もいた。なお日本赤軍とPKKとは無関係。(PKK公表写真より)

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【PKK初期・ベッカー高原PKKにとっては、ゲリラ根拠地をトルコでの武装闘争への出撃拠点にする方針があった。レバノンベッカー高原に場所を提供し、PKKに庇護を与えたシリア・アサド政権にとっては、PKKの武装闘争がトルコに対する政治カードになるとの思惑もあった。写真は1990年代のベッカー高原のPKK軍事キャンプ。中央がPKK指導者アブドラ・オジャラン(トルコ・ウルファ出身)。99年にケニアでトルコ当局に拘束されたのち、死刑判決を受け、現在も収監中。(PKK公表写真より)

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【PKK初期】PKK建党初期の1982年、シリアで開かれたPKK第2回党大会。マルクス・エンゲルスレーニンの肖像に「鎌と槌」の赤い星が当時の思想性を反映。上のスローガンは「(クルディスタンの)独立とプロレタリア・インターナショナル万歳」。ただし70年代の世界各地の民族解放闘争と同様、クルド政党各派も少なからず社会主義志向があった。PKKが他党派と違ったのは、自爆攻撃すらいとわないゲリラ闘争の過激さである。(PKK公表写真より)

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【PKK初期】PKKのオジャラン議長。中央の旗が当時の「PKK党旗」。左はPKKの大衆組織、クルディスタン民族解放戦線(ERNK)、右は軍事組織、クルディスタン人民解放軍(ARGK)。ソ連崩壊後、党旗の「鎌と槌」はなくし、さらに議長逮捕後は、名称変更など路線が揺れた。ARGKは改編され、旗は現在のPKK武装部門、人民防衛軍(HPG)が継承。ERNK旗は実質的に現在のPKK党旗になっている。シリア・YPGの三角形の黄色に赤い星の旗もこの系譜にあたるといえる。のちベッカー高原のキャンプは閉鎖。(PKK公表写真より)

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【PKK・イラク北部】かつてクルド人はトルコで民族存在を否定され、言語を奪われる同化政策にさらされた。経済的に立ち遅れてきた南東部のクルド地域の1970年代の状況のなかでPKKが闘争を開始し、80~90年代に高揚、「トルコとの全面戦争」を掲げた。トルコ軍はPKK掃討に非協力的なクルド農村を破壊、軍とゲリラの衝突のはざまで大量の流出民が発生する事態にまでになった。山岳部の拠点に潜伏し、ときおり治安部隊を襲撃していたトルコ武装左翼とは、この点が違う。(PKK公表写真より)

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【PKK・イラク北部】シリア・レバノン情勢の政治環境の変化のなか、オジャラン指導者は90年代末までアサド政権からシリア国内で庇護を与えられたものの、軍事キャンプはベッカーからからイラク北部カンディルに。ここを出撃拠点として、トルコで武装闘争を続けた。PKKにはクルディスタンを分断するトルコ、シリア、イラク、イランからのクルド人がいる。(イラク北部カンディル

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【PKK・イラク北部】シリア内戦前にPKKゲリラ・キャンプを取材した映像。「シリア出身者は手を挙げて」と訊くと、かなりいたので驚いた。PKKは「もともとクルディスタンは自分たちの地であり、その民族解放闘争において、分断する国家の国籍や出自など関係ない」とする立場。だがシリアに関しては、PKKが実質的な母体となったYPGは「地元シリア人が主体となってシリア・クルド地域(ロジャヴァ)での戦いを主導」と強くアピール。PKKは「YPGとは別組織」とするが、トルコ当局は「両者一体のテロ組織」と規定。PKKはトルコのほか、米国・EU各国がテロ組織に指定している。

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【PKK・イラク北部】シリア内戦前にもシリアのPKKの地下基盤はあったが、アサド政権と緊張関係にあり、活動は制限されていた。内戦が始まると、イラク北部のPKK軍事キャンプ・カンディルからシリア出身の古参のゲリラ司令官らがシリア北部のクルド地域に散って、一気に戦闘機構を整えた。これがYPGの「源流」となっていく。ISとの激戦を戦い抜けたのも、PKKでの戦闘経験、軍事能力、士気の高さがあったことも大きな理由である。シリア内戦における北部クルド地域での武装化には、こうした背景があった。(イラク北部カンディル

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シリア国境を警備するトルコ軍装甲車。トルコはシリア北部がPKKやトルコ武装左翼の出撃地になることを警戒、またトルコ国内のクルド民族運動に与える政治的影響への懸念もあり、PKK・YPGに対する軍事行動を起こし、封じ込めを図ってきた。国境を越えた難民の流入に加え、ISやYPG、トルコ左翼志願者など武装各派の戦闘員らの越境移動を警戒し常時パトロールしていた。(2014年・撮影:坂本)

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この連載は複数回に分けて、シリアのクルド系組織YPGに参加する外国人やトルコ武装左翼について考察する。革命の「大義」を掲げる彼らの戦いにゲバラ的な憧れを抱く日本の読者がいるかもしれないが、実際の現場では、組織忠誠、各国情報機関の追跡、スパイ、一部住民からの反感、戦死率の高さなど「革命ロマン」だけでは語れない戦争の現実がある。シリア入りを目指したり、YPGに参加した外国人も周辺国で拘束される例があいついでいる。写真は2016年、トルコでYPG構成員として拘束されたチェコ人容疑者2名。一部ぼかし。(2016年11月・トルコ治安当局公表写真) 第2回へ >>

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