イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

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【シリア・クルド】イスラム国(IS)掃討作戦~シリア民主軍(SDF)元報道官、トルコ「亡命」事件(6)タラル・セロ「証言」をアフリン侵攻への布石に(写真15枚)

クルド勢力は有志連合と関係構築、トルコはアフリン侵攻
2015年10月に結成されたシリア民主軍(SDF)。その「顔」である報道官を務めてきたのががタラル・セロだった。昨年11月、突然、トルコに「亡命」したタラル・セロがトルコの通信社で語った「証言」は、「アメリカとクルド・人民防衛隊(YPG)が地中海ルート構築密約」としてトルコ・メディアが取り上げ、のちにトルコによるアフリン侵攻の口実にも援用されることに。
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SDFは、ISの脅威が増すなかで、YPG主導のもとでシリア武装各派や有志連合と連携し、多数の犠牲を出しながらもIS壊滅戦を戦ってきた。写真はコバニ南部の戦線でISとの戦闘に向かうSDF。(2015年12月・SDF写真)

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7月、ラッカ攻略戦が大詰めを迎え、有志連合・不屈の決意作戦(CJTF-OIR)副司令官ルパート・ジョーンズ少将(英軍)がラッカ現地入りし、ラッカ市民法議会と会合を持った。この評議会も実質的にはクルド主導である。有志連合がこの評議会を事実上の統治機構として承認する流れになっている。(2017年7月・YPG写真)

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これまでのISに対する戦いとラッカ市民評議会の取り組みを評価する有志連合ルパート・ジョーンズ少将。左は市民評議会の旗。評議会はラッカほか、ISを排除した地域に設置されている。国際社会の「お墨付き」のもとに行政機関が運営されることで、人道機関の支援や国際援助の受け入れが加速することになる。(2017年7月・FURAT-FM映像)

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話はそれるが、この写真はルパート・ジョーンズ少将の父、ハーバート・ジョーンズ中佐(写真左右とも)。英軍精鋭、落下傘連隊(2PARA)指揮官で、82年、フォークランド戦争で任務中に戦死(享年42歳)。戦死後、英国最高の戦功章、ヴィクトリア十字章を授与。写真右はフォークランドでのハーバート中佐。息子ルパート少将と顔がそっくりである。

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タラル・セロがアナドル通信で「証言」したのは、トルコ軍が準備を進めてきたアフリン侵攻の直前。トルコにとっては、「絶好のタイミング」となった。写真は8月にラッカのISとの戦闘で戦死したSDF傘下のマンビジ軍事評議会司令官の葬儀に参列するタラル・セロSDF司令・報道官。(2017年9月・YPG映像)

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トルコ・メディアはタラル・セロ「証言」をもとに、「アメリカがSDF・YPG地域の石油の地中海への輸送ルート構築を提示した」とも伝えた。「クルド人は海につながるルートを持てなかったから周辺国に依存せざるを得なかった、とCIAがYPG・クルド勢力に持ち掛けた」とタラル・セロは「証言」。トルコ・メディアは米国旗とYPG旗が並ぶ写真をセンセーショナルな扱いで伝えている。(2017年12月・トルコ・ギュネシュ紙)

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「SDF報道官語る:地中海へ抜けるアメリカの計画」とするトルコ・メディアの見出し。アメリカがアフリンから地中海につながる石油ルートの構築を実際にYPG側に持ち掛けたかは不明だ。もし事実ならイドリブ、ラタキアを通り、クルド側がアメリカの承認のもとにこの地域に足がかりを作ることになり、トルコとしては容認できないだろう。この「証言」がトルコのアフリン侵攻を正当化する口実のひとつとして援用されることになる。(2017年12月・トルコ・アイドゥンルック紙)

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SDF・YPGによるラッカ攻略作戦と同時に進められたのがデリゾ-ル東部方面でのIS追撃戦。2017年12月、シリア政府軍を支援するロシア軍アレクセイ・キム中将とYPG司令官が会合を持った。トルコ・メディアは「ロシア国旗とテロリスト旗が並ぶ」などの見出しで報じた。アメリカとの連携に加え、ロシアとも関係を構築しつつあるYPGの動きにトルコの警戒感は高まっていた。(クルド・ANF通信写真)

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フランス元外務大臣ベルナール・クシュネルは2017年9月、ロジャヴァ(シリア・クルド地域)入り。クシュネルは国境なき医師団の共同創設者としても知られる(のちに分岐)。2014年にシリア入りした際は、記者会見で「クルド勢力は世界最悪の敵、ISとの戦いだけでなく、民主社会建設の取り組みを前進させている」と称賛までしている。ISが凶悪なテロを世界各地で繰り返したことで、それと直接戦うSDF・YPGに注目が集まった。逆説的に言えば、ISが存在しなかったら、YPGに国際支援が寄せられることはなかったとも言える。それはクルド民族が経験してきた悲哀でもある。(2017年9月・SDF写真)

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ISを排除し、瓦礫が広がるラッカ中心部でオジャランPKK指導者の巨大な肖像を掲げるSDF・YPG・YPJ部隊。タラル・セロの「証言」では、アメリカは民衆の反発などを避けるためにオジャランの肖像を掲げるのを控えるようYPGに繰り返し伝えたが、YPGは聞かなかった、としている。確かにクルド人指導者の肖像をアラブ人地域で広げることは、住民の余計な反発を招く。トルコ政府は「IS以後のラッカ統治の実態はPKK支配」とアメリカに警告してきた。(2017年10月・クルドメディア写真)

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オジャランの肖像掲揚は、問題はあれど一応はシリアのクルド人組織がシリア領内で掲げている。(※オジャランはトルコ・ウルファ出身のクルド人)。他方、トルコはシリアという外国領で、トルコ国旗を堂々と掲げ、反体制派を支援。写真はシリア・ジャラブロスで自由シリア軍系組織の一部がトルコ軍の訓練を受け、警察部隊として編成された映像から。(トルコ・TRT映像)

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タラル・セロがトルコに「寝返った」直後は、YPG元報道官レドゥル・ヘリルが一時的にSDF報道官に。その後、SDFは1月20日、後任にキノ・ガブリエル報道官を任命。キリスト教徒で、SDFを構成するシリア正教軍事評議会司令官だった。YPGは、新たな報道官の人選でも、SDFの「顔」となる報道官には、あえてクルド人を前面に出さないようにしたようだ。(2018年1月・SDF写真)

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1月18日、シリア北西部アフリンに向け、トルコ軍の支援を受けた自由シリア軍諸派とトルコ軍部隊が侵攻作戦を開始、多数の市民が犠牲となっている。トルコは「テロ組織PKK・PYD・YPGからの脅威を排除する」としているが、アフリンクルド住民がほとんどの地域で、シリア騒乱以降、7年近く戦闘もなかった平穏な場所である。そこに反体制諸派・トルコ軍合同部隊が一斉攻撃をかける状況となった。写真は国境線の壁を突破してシリア領に侵攻するトルコ軍のレオパルト2戦車を誘導するシリア武装組織ヌフベ軍の司令官。クルド人で名前はアザッド。YPGには「裏切者」と呼ばれている。一方、防衛戦を戦うYPGは住民がアフリンを放棄しないよう町からの脱出を制限するなどして、問題も起きている。(2018年1月・ヌフベ軍映像)

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タラル・セロSDF元報道官が「(クルド側が)アメリカの指示のもと、地中海へのルート構築を企図している」とした「証言」から1か月後のトルコのアフリン攻撃作戦開始は、侵攻正当化の口実を作る布石のひとつにも利用されたと言える。写真はマンビジ解放1周年式典でのタラル・セロ。(2016年8月・FURAT-FM映像)

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シリア・イラクでIS解体が進むなか、「IS以後」をめぐる状況は新たな局面を迎えようとしている。トルコ、クルドアメリカの駆け引きは続く。そのなかで起きたタラル・セロSDF報道官の「寝返り亡命劇」。写真はラッカ市民評議会でスピーチするタラル・セロ。(2017年4月・SDF写真)

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「ユーフラテスの憤怒」作戦・これまでの流れ(おもな声明一覧)
第1段階・開始声明 (2016/11/06)    第2段階・開始声明 (2016/12/10)
第2段階・戦果報告 (2017/01/16)    第3段階・開始声明 (2017/02/04)
第3段階・第2攻勢 (2017/02/17)    第4段階・開始声明 (2017/04/13)    
タブカ・ダム制圧声明
(2017/05/12) 
ラッカ突入・大攻勢戦開始声明
(2017/06/06)
ラッカ解放・勝利宣言 (2017/10/20)