イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(4)〔アーカイブ〕写真7枚(全4回)

◆「シリア・クルド自治区化」とシリアの一体性
イスラム国(IS)との戦いと同時に進められるシリア北部の行政統治。2016年3月には「ロジャヴァ民主連邦」樹立が宣言された。コバニ県知事アンワル・ムスリム氏はロジャヴァ(シリア・クルド地域)の将来像をどう描いているのか。インタビューの第4回め。(取材は2014年12月末)
第1回第2回第3回第4回

f:id:ronahi:20180620225632j:plain

2015年1月末、約4か月半にわたる攻防戦を経て、コバニ市内からISを掃討したとして「勝利宣言」をするアンワル・ムスリム・コバニ県知事(中央)。右はマハムード・ベルホェダン・人民防衛隊(YPG)司令官(インタビュー記事 >>)。近郊農村地区はまだISが展開し、YPGとの戦闘が続いた。また、市内でISが設置した仕掛け爆弾で多数のYPG戦闘員が死傷した。(2015年1月末・クルド地元メディア写真)

アンワル・ムスリム・コバニ県知事インタビュー(4/4)

◆坂本:コバニで反アサド政権の動きが広がった当初は、自由シリア軍(FSA)系支持者も多数いましたが、一部の報道では、アサド政権がクルド側の民主統一党(PYD)と合意を結んで、「クルド側が政権打倒を掲げず、FSAにこの地域に関与させないなら、クルド自治を認める密約を交わした」とする説も出ました。これは本当でしょうか?

アンワル氏:  いくつかの方面から批判が出たのは事実です。アサド政権派からは、私たちが反体制諸派と結託していると批判を受け、他方、反体制派からは私たちがアサド政権と手を結んでいるのではないかなどとする批判です。私たちはそのいずれでもありませんし、私たちはクルド人の権利のために尽力して活動してきました。1946年のシリア独立以降、クルド人の民族的権利を求めて闘い続けてきました。それはクルド語を認めてほしいという権利を含むものです。しかし、今日に至るまで、その権利がもたらされることはなかったのです。

f:id:ronahi:20180620230551j:plain

IS拠点の建物に突入したYPG戦闘員が、ISの残したスローガンを消すためにPYDの旗で覆っていた。ロジャヴァではPYD以外のクルド勢力も存在するが、PYDが早い段階から政治的主導権を握ってきた。(2014年末・コバニ・撮影:坂本)

f:id:ronahi:20180620230756j:plain

これはIS宣伝映像から。コバニを「アイン・アル・イスラム」と表記している。2014年段階では、YPGと自由シリア軍の一部の部隊が部分的な共闘関係にあった。YPGはラッカ攻略のための「ユーフラテスの火山作戦」構想を打ち出すが、欧米諸国の支援が得られず実現にはいたらなかった。ISが世界的脅威となると状況は一転、2016年末には「ユーフラテスの憤怒作戦」としてクルド勢力主導でラッカ攻略戦が開始された。ISはYPG・PKKは無神論者、自由シリア軍を背教徒などと呼び、プロパガンダで批判を繰り返した。(2014年11月・IS映像) 

今後、ロジャヴァはシリアにおける「クルド自治区」となるのでしょうか? その場合、どこが「首都」となるのでしょうか? コバニ、カミシュロ、アフリンのどれしょうか?

アンワル氏: 現在、コバニは「抵抗の首都」となっています。ロジャヴァだけでなく、全世界がそのように見ています。しかし私たちにとっては今後、どこが首都になろうとも問題ではありません。なぜなら私たちはシリア全体のコミュニティの平等性を求めているからです。これはこの地域の構成主体である住民全体が共通で議論する問題です。ロジャヴァにはクルド人以外の人もいるので、どこが「首都・首府」となるかついてもクルド人だけでなく、皆で希望を出し合いながら議論して進められるべきことです。そうした問題を話し合うのはまだ早いと思いますし、しばらく時間をかけるべきことでしょう。

コバニは「抵抗の首都」であり、ホムスは「進歩の首都」であり、他の町は他の首都であっていいでしょう。ただし、全体にとっての首都はダマスカスであることに変わりありません。

私たちには3つの県(カントン)の共同調整会議があります。それぞれの県には3人の構成委員がいます。おそらく現在はカミシュロが「首都」と皆が考えていると思います。しかしコバニの抵抗闘争ゆえに将来はコバニが「抵抗の首都」と認識されるように人びとの考えが変わるかもしれません。(了)
第1回第2回第3回第4回

f:id:ronahi:20180620235012j:plain

アンワル氏とインタビューした時点では、ISとの戦いや避難民支援などが主要な課題で、将来的な統治形態のありかたには深い言及はなかったが、のちにロジャヴァ3県件は、さらに自治色を強めた民主連邦制構想を打ち出し、2016年3月には北シリア・ロジャヴァ民主連邦を宣言(写真)するに至る。またコバニ県はのちにユーフラテス県と改称。2016民主連邦宣言・全文>>

f:id:ronahi:20180620230927j:plain

これはすこし古い写真で、内戦前、アサド政権統治時代にコバニを取材した2004年に撮影した看板。当時はアラブ名アイン・アル・アラブ(=アラブの泉)のみで表記されていた。「コバニ」はクルド語ではなく、オスマン帝国末期にバグダッド鉄道を建設したドイツの鉄道会社がここに線路を敷設しにやってきたことに由来する。住民のあいだで、会社(カンパニー)がなまって、コバニとなったとされる。(2004年8月:撮影・坂本)

f:id:ronahi:20180620230949j:plain

ISはコバニの一部を制圧すると町の名をアイン・アル・イスラム(=イスラムの泉)に改称。のちに敗退したため、定着しなかった。IS映像では、アイン・アル・アラブ、コバニ、アイン・アル・イスラムの呼び名が混在。写真の背後の看板はクルド語とアラビア語で「ようこそコバニへ」とあった。ISは黒スプレーで消し「アイン・アル・イスラム」と書き換えた。(IS写真より)

f:id:ronahi:20180620231019j:plain

YPG戦闘員の後にある肖像はオジャランPKK指導者。アラブ人地域では、ISからの解放は歓迎し、安全と復興に期待を寄せつつも、こんどはクルド勢力に統治されることへの不安やオジャラン絶対化への不満も渦巻く。(2014年末・コバニ・撮影:坂本)

【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(1)に戻る >>

第1回第2回第3回第4回