イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(1)〔アーカイブ〕写真9枚(全4回)

ISへの抵抗戦とロジャヴァ革命
シリア北部では内戦の初期段階からクルド人居住地域の各都市をクルド勢力が掌握。暫定統治機構が地域を3つの行政区域カントン(県)に分け、ジャジーラ(カミシュロ、ハサカを含む地域)、コバニ、アフリンで暫定自治を進め、2016年3月には「ロジャヴァ民主連邦」樹立を宣言した。

これはコバニ県「首相」(いわゆる県知事)のアンワル・ムスリム氏との現地でのインタビューで、取材したのは2014年12月末。イスラム国(IS)の包囲下で激戦が続いていたため、対IS戦の状況などがおもな内容となっているが、ロジャヴァ(シリア・クルド地域)での一連の戦い、アサド政権やトルコとの関係をコバニ行政最高責任者がどう位置づけているかを知る手がかりとなるだろう。
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ロジャヴァ地域コバニ県首相(=県知事)アンワル・ムスリム氏。行政統治部門の最高責任者としてコバニと近郊地域を含む県行政を統括する。弁護士出身で内戦前からクルド人の人権問題に取り組み、アサド政権の秘密警察に「国家分断、テロ組織組織活動」などを理由に逮捕、投獄された経験がある。(シリア・コバニ:撮影:坂本)

アンワル・ムスリム・コバニ県知事インタビュー(1/4)

◆坂本:現在の「県」(カントン)による自治行政統治機構は何を目指しているのでしょうか?

アンワル氏: ロジャヴァ西クルディスタン=シリア・クルド)において私たちが求めているのは、「シリアの民主的体制・民族的権利・平等」です。この実現こそ中東におけるひとつのモデルとなると信じています。 

シリアでの民衆運動は当初、平和的なものでしたが、反体制勢力各派は、これを武力を通じた反政府武装闘争に変えようと試みました。クルド人は、シリアにおける私たちの地域での基本的生活権を保障し、町と人びとを守るため、平和的な運動を追求してきました。 

2012年7月19日、コバニで民衆革命が起こりましたが、自由シリア軍(FSA)などの武装組織、そして過激組織を含めた諸派がこの革命を破壊しようと企図し、コバニを包囲し、攻撃しました。これに対し、人民防衛隊(YPG)と地元住民は防衛戦を戦い抜きました。 

2014年1月には、暫定憲章採択をもって私たちはアフリン、コバニ、ジャジーラで「自治行政区」を宣言するに至ります。しかし各派との対峙に続いて、こんどはダアシュ(IS)が台頭し、激しい攻撃を加えてきました。それがいま直面している戦いです。私たちはISに対し、100日にわたる抵抗戦を戦っています。民主主義、平等、市民、そしてこの町をテロリストから守るために戦っています。多数の死傷者が出て、町もひどく破壊されています。しかし、平等な民主社会をロジャヴァに建設する目標を実現させねばなりません。

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カミシュロ蜂起(2004年3月)は、シリア北東部のクルド人が多いカミシュロ(アラブ名カミシュリ)で、サッカー地元チームとスンニ派アラブ人の多いデリゾールチームのサポーターが衝突(写真左)したことに端を発する。市内での暴動に発展し、治安部隊の発砲で死者があいつぎ、抗議したクルド人が反政府デモを繰り広げ、アサド像や治安機関庁舎が破壊されるなどした。抗議行動(写真右)はカミシュロからアムーダ、コバニ、アフリンなど北部各地の都市にもおよんだ。アサド政権は増援部隊を送り込んでデモを鎮圧し、死傷者のほか多数の逮捕者が出た。この前段状況がのちのシリア内戦でのクルド勢力の動きにつながっている。(写真・2004年3月:住民撮影)

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2011年、「アラブの春」はシリアに及び、全土に反体制運動が広がった。アサド政権と反体制勢力の衝突は内戦へと至る。シリア北部コバニは当初、複数の反体制派やクルド諸組織が混在し、写真のように旗も自由リシア軍系やクルディスタン旗など様々だった。のちに反体制勢力各派が衝突するようになると、活動基盤や防衛機構を固めていた民主統一党(PYD)・人民防衛隊(YPG)系の組織がシリア・クルド地域での運動のヘゲモニーをとる。(2012年4月・地元住民撮影)

ロジャヴァ西クルディスタン=シリア・クルド地域)でのクルド民衆蜂起と、そのあとに続くISに対する抵抗戦の背景はどこに由来するのでしょうか?

アンワル氏: 2011年3月11日、政治変革と人権を求めたシリア革命の前から、クルド人はシリアにおける民族的権利のために闘い続けてきました。シリアのクルド人の人口は300~400万人ですが、これらクルド住民に対して、アサド政権は「文化抹殺政策」を推し進めてきたのです。 

政治犯として投獄され、拷問された人もたくさんいます。2011年以前にはいくつかの前段階状況があります。とりわけ2004年にカミシュロでの反乱がありました。この革命闘争をもって、シリアのクルド人が運動の表舞台に出ることとなりました。すべてのクルド住民が望んだのは、民主的政治体制でした。それを勝ち取るために、そしてクルド抹殺攻撃に対抗する私たちの抵抗の戦いは今も続いています。

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写真左は2012年7月上旬のデモ。写真右はアサド政権がコバニから退去し、庁舎の屋上に黄・赤・緑のロジャヴァ旗を掲げるようす(7月19日)。PYD・YPG系のクルド勢力側は「7・19革命」と呼ぶ。クルド人が多い北部の都市や村に反アサドのうねりが広がった。(2012年7月・いずれも地元住民撮影)

◆カミシュロでは、「コバニは特別な町だ」というよく人びとの声を聞きました。カミシュロに比べてコバニはとても小さな町です。なぜクルド人のあいだでコバニは「特別」という意識が共有され、「抵抗の象徴」となったのでしょうか?

アンワル氏: コバニの住民は、故郷を愛してきました。ここには様々な人びとが暮らしてきました。住民レベルで言えば、ここにはクルド人のほかにスンニ派アラブ人、トルコマンなどが互いに尊重しあい、隣人としてともに暮らそうとしてきました。 

シリアでの革命の過程で、ほぼすべての勢力が安全を求めてこの地に逃げ込んできました。コバニ住民は彼らを受け入れ、手厚く迎え入れ、分け隔てなく接しました。 

7・19革命はコバニで狼煙をあげ、ロジャヴァ全域へと拡大するなか、こうした過去の経緯があるからこそ、自由と平等を求める人びと、クルド人以外の住民も含めた地域住民全体にとってのシンボルとなりえたのです。 

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クルド勢力主体の行政統治機構づくりが進むロジャヴァ(シリア北部クルド地域)。もとはハサカ県、ラッカ県、アレッポ県の一部だった地域を、クルド側はジャジーラ県、コバニ県、アフリン県としてあらたな県境界で分割。2016年3月にはシリア北部で「ロジャヴァ民主連邦」を宣言した。(のちにコバニ県はユーフラテス県に改称) カミシュロ市内の中心部には一部アサド政権地域があり、緊張関係にありながらも「共存」。YPG主導のシリア民主軍(SDF)はISを駆逐してラッカとデリゾール東部地域も統制下に。追記:アフリンは2018年3月、トルコの支援を受けた自由シリア軍諸派が侵攻。PYD・YPG系勢力はアフリンから排除された。また2018年6月にはマンビジ一帯にはYPGが撤収してトルコ軍・米軍が入る動きがでるなど情勢は流動的) 

シリアにおいて民主的平等主義に基づく行政統治を実現することが私たちの願いであり、コバニが将来のそのモデルとなることを私たちは希求してきました。しかし自由や平等を認めようとしないISは、これに激しく反発し、攻撃を加えたのです。

コバニのすべての住民自身が町を防衛する組織としてYPG・YPJを選び、運命を託しました。コミュニティ全体が、外部の攻撃から自らの手で自分たちを守ることを選んだのです。訳注:YPJ=女性防衛隊)

これがコバニという町の象徴性と言えます。ロジャヴァで他の町のクルド人がコバニを「特別な場所」と見ているのは、こうしたことが背景となっていると思います。 
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シリア北部のコバニはクルド人が多数を占める人口7万の小さな町だった。内戦になると周辺地域から多数の避難民が押し寄せ、人口は10万を超えるまでになっていた。ISが迫ると農村地帯からの避難民で人口はさらに急増。ISがコバニ市内にまで侵攻したため、ほとんどがトルコ国境を越えて脱出。写真はIS包囲下のなか、コバニにわずかに残っていた最後の一般住民。砲撃が激しいため、日中のほとんどを電気のない家のなかにこもる。窓はブロックを何重にも積み重ねていた。(2014年12月末)

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【IS】 コバニに向けて進撃するIS部隊。近郊の農村地帯を包囲しながら、コバニ内部に攻め込んだ。(2014年・IS系アマーク通信映像)

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【IS】 IS側は40両を超える戦車をコバニ攻略戦に投入し、YPG防衛ラインを突破していった。(2014年・IS系アマーク通信映像)

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【YPG】 ISはYPG拠点に激しい砲撃と自爆突撃を繰り返し、町の半分まで制圧。町を防衛していたYPGは抵抗戦を続けた。写真はコバニ東部地区前線のYPG戦闘員。(2014年12月末・コバニ・撮影:坂本)

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