イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

【シリア・クルド】人民防衛隊(YPG)司令官インタビュー(1)〔アーカイブ〕写真7枚

◆対IS戦争の最前線で~コバニ攻防戦YPG司令官
イスラム国(IS)と熾烈な戦闘を繰り広げるクルド勢力。戦いに並行し、シリア北部地域(ロジャヴァ)では独自の行政統治が進められ、クルド勢力はこれを「ロジャヴァ革命」と呼ぶ。ここでシリア・クルドのキーパーソンたちとのインタビューを掲載したい。取材はいずれも2014年12月末。過去のインタビューながらシリア情勢を読み解くうえで参考になるのではないかと思う。第1回めは、ISとの戦いで大きな役割を果たすクルド組織・人民防衛隊(YPG)のマハムード・ベルホェダン司令官。YPGはISとの戦いをどうとらえていたのか。(第2回はこちら >>

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YPG司令官マハムード・ベルホェダンを取材したのは2014年12月末。コバニ攻防戦は100日に及んでいた。前線でYPGの部隊総指揮を担っていた司令官はコバニ出身でインタビュー当時40歳。取材時もIS部隊が数百メートルの距離に展開し、ときおり砲撃の音も響いた。この1か月半後に形勢は逆転し、ISはコバニ攻略をあきらめ退却。YPGはコバニの戦いをISに対する抵抗戦だけでなく、ロジャヴァ革命戦争と位置づける。

YPG司令官:マハムード・ベルホェダン・インタビュー(1/2)

◆坂本:YPGはどのような背景で組織され、戦いを開始したのですか?

司令官: クルディスタン各地で自由を求めるクルド人民の闘争が続いてきた。それはクルディスタンの大地の占領に対する戦いだった。シリアで革命が起きたとき、ロジャヴァ(シリア・クルド地域)では40年にわたる地下での闘争が基盤となって広がった。我々は組織を地下で構築してきたゆえに、シリア動乱という事態に即応して強力に戦えたと言える。

ロジャヴァの地と人民を防衛することが当初の主要な目的だった。この3年、ヌスラ戦線、自由シリア軍諸派との戦いののち、ISが台頭した。あらたな情勢のなか戦いはいまも続いている。これまで我々は自分たち自身、そしてわが地域の人民を組織してきた。それはこのロジャヴァの地を防衛するためだ。
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◆YPGはロジャヴァの多くの地域でシリア政府軍や武装諸派を戦闘で駆逐していきましたが、これらの勢力は軍事力がありながらなぜ敗退したのですか?

司令官: シリア・クルドの戦いの象徴が「7・19革命」であり、それはコバニから始まった。革命と人民、そしてロジャヴァ地域の防衛のためにYPGが結成された。政府側や他の勢力はいずれもYPGをシリアにとって危険な存在とみなした。

訳注:7・19革命=2012年コバニでクルド勢力がシリア政府施設を制圧した日で、同様の動きがクルド地域の他の都市へ広がり、実質上の自治が獲得されたことをYPG系のクルド勢力はロジャヴァ革命闘争と位置づけている)

当初、どの勢力もロジャヴァでYPGに攻撃を仕掛ける十分な準備はできていなかったが、外国や多様なグループから様々な形で支援をうけ、自由リシア軍や武装諸派はYPGとの対峙関係を先鋭化させた。またその他の地域でもYPGを排除することを目的として画策した。しかし、我々はこれらの武装組織と戦いぬき、ひとつひとつ勝利を勝ち取ってきた。

革命はコバニから始まり、のちにロジャヴァ全体に広がった。ヌスラ戦線などイスラム武装各派がセレカニエやアフリンなどの各地で一部の登場したものの、内部で分裂したり、互いに反目してこれらが強力な存在として結集することはできなかった。そしてのちに「イスラム国」を名乗るダアシュ(IS)が台頭することになった。

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ISがコバニに向け進撃を開始したのは2014年9月。ラッカとマンビジの両面から1日あたり3キロの速さで村々を制圧。YPG側はISの猛攻の前にコバニ市街地の半分近くを制圧され、2キロ四方ほどのエリアのみを残す状況にまで追い込まれていた。

◆シリアにはイスラム軍やアハラール・シャムなどいくつも武装諸派がありましたが、なぜISが突出して急速に強力になり、広範なエリアを制圧していったのですか?

司令官: ISは「理念」を掲げていた。2001年にアルカイダビンラディンを世界が見たごとく(9・11事件のような)彼らなりの「アピール」を使った。ISは突然に台頭したのではない。我々がシリアで革命を宣言した時、他の武装諸派は戦いの準備が不十分だったのに対し、ISは初期の頃から非常に組織されていた。 

ISはイラクとシリア国内だけでなく、アフガニスタンチェチェン、ヨーロッパなどでもネットワークを構築していた。ゆえにISが突如として巨大かつ強力になったというわけではない。

イラクフセイン政権が崩壊した時期、ISの源流となる武装組織がスンニ派住民を組織し始めた。彼らは時間をかけながら徐々に地域と住民のあいだに浸透し、勢力を拡大させていった。シリアで混乱が始まり、内戦になると彼らはシリアに入り込んだ。戦闘力の弱い自由シリア軍の部隊などを取り込んだり、屈服させるなどしてその勢力や支配圏を広げてきた。

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【YPG】ISとの前線で戦うコバニのYPG戦闘員。YPGは「ベルホェダナ・コバニ」(コバニ抵抗戦)と呼び、徹底抗戦で臨んだ。ISに包囲されたなか、トルコのクルド青年らもYPGに志願し、密かに越境して対IS戦に参加した。(2014年・YPG映像)

◆ISはどのような構造のもとに編成され、軍事組織としてどのように機能しているのでしょうか。例えば、PKKの部隊編成にはタブール(大隊)、タクム(小隊)、マンガ(分隊)などの構造がありますが、ISの指揮系統や部隊編成はどうなっているのでしょうか。

司令官: ここじゃPKKのことは聞かないでくれよ(笑)。

ISの部隊構造でいうなら、まずアミール(=指揮官・隊長)がそれぞれに任命されている。軍事機構として各戦線ごとに小隊、中隊、大隊、連隊にアミールを置き、規模が大きいほどアミールに副官、補助指揮官が随伴し、補佐している。また砲兵大隊、戦車部隊なども存在する。
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◆IS戦闘員は、シリア・イラクを含めて何人ぐらいの総員規模なのでしょうか?どこまで戦闘員とみなすかにもよるでしょうし、宗教警察や行政機関に配属された外国人なども戦闘になれば前線に配置され、また地方部族の若者が動員される例もあると思います。それらも含めて総員規模はどれぐらいとみているのでしょうか?

司令官: シリア・イラクにまたがるIS支配地域全域ということなら、モスルを制圧した直後(2014年6月時点)は最大で10万人規模いたと我々はみている。外国人や地元動員の戦闘員もあわせての推計だが、その後、各地で攻防が続いた結果、若干減ったようだ。

コバニはロジャヴァ東西のくさびであり、ISにとって何が何でも攻略したい場所だった。ゆえにこの小さな町に圧倒的な兵器、戦力をもって次々と部隊を送り込んできた。それで一気にコバニを制圧したいと計画し、それをできると思っていたが、我々の徹底した抵抗に直面した。

激しい攻防戦はいまも続き、我々の被害は大きい。だが同時にIS側の被害も甚大である。IS戦闘員のあいだには負傷だけでなく、一部で戦意喪失も広がっている。戦線から離脱して逃亡する者さえ出始めているという報告が入っている。

彼らはたくさんの戦闘員をコバニ市内とその近郊地域で失った。ゆえにコバニ戦は我々にとって重要な戦いの地であり、敵の戦意をくじく大きな契機となった地でもあった。そうした意味ではコバニ戦は我々にとって象徴的な場所であり、歴史に残る戦いとなるだろう。

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【IS】 コバニ市に進撃するIS部隊。3.5キロ四方ほどの小さなコバニの町を戦車40両で包囲し、電撃急襲戦を試みた。コバニ近郊村落部を含む住民10万人以上が家と土地を捨てて、国境を越えてトルコに一時避難。(2014年10月・IS映像)

◆IS戦闘員を殺しても、トルコ国境を越えて次々と新たな外国人戦闘員志願者が入り込んできます。どんな国からの戦闘員が多いですか?

司令官: コーカサス地方(ロシア)からのチェチェン人がいるし、彼らの志気はかなり高い。タジキスタンアゼルバイジャン、ドイツ人もいる。アラブ諸国では、サウジ、ヨルダンなども多い。いくつもの国々から入り込んでいる。総じて外国人戦闘員は地元のシリア人戦闘員よりも志気が高く、自爆をいとわなかったりする。

しかし、コバニ攻防戦が激しく、ISは当初の計画のように町を短期間に陥落させることができなかった。彼らの犠牲が拡大するなか、ISは有能な司令官をさらにコバニに送り込んできた。外国人の組織された部隊やその司令官もコバニの前線に配置された。

その結果、IS側は戦闘員の消耗も激しく、一部の部隊で兵員補充ができなくなった。ISはコバニ近郊の村々で「部隊に参加せよ、さもなくば首を切り落とす」とふれてまわった。家族を守るためにしかたなくISに入った地元の男たちもいる。ただコバニ市内では住民は、誰もISには従わなかった。
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◆ISは高い地位の司令官が死んだ場合、自分たちでその首を切り落として持ち帰り、戦死した司令官が誰かわからないようにしているという噂が地元民のあいだにあるが事実でしょうか?

司令官: それは知らないし、そうしたことはないと思う。ただ一部で彼らのなかで仲間割れを起こして部隊どうしで武力衝突が起きた例があるという報告は入ってきている。(2に続く>>)

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【IS】 コバニに侵攻し、YPGと市街戦を繰り広げるIS部隊。YPGの激しい抵抗が続いたため、ラッカとテルアブヤッド、マンビジの各方面から増員部隊が送り込まれた。(2014年・IS系アマーク通信映像)

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【YPG】 コバニ東部地区の最前線。ISとの銃撃戦で銃弾を補充するYPG戦闘員。すぐ左に建物があり、そこからISが激しく撃ってくる。(2014年12月・撮影:坂本)

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【YPG】 マハムード司令官は言明を避けたが、クルディスタン労働者党(PKK)ゲリラとしてイラク北部カンディル山岳地帯にいたことが推測できる。あえてPKKにからめて質問を向けると「ここじゃPKKの話はしないでくれよ」と笑った。YPGの立場は、あくまでもシリア・クルド地域の防衛部隊で、PKKとは一線を画していることになっている。実際には、YPGの古参の幹部指揮官の多くがPKKゲリラの経験がある。ISが豊富な兵力・武器で進撃してきたなか、多大な犠牲を出しながらもコバニを防衛できた背景でもある。他方、トルコは「YPGはPKK傘下のテロ組織」とし、YPG地域に砲撃を加え、またYPG側もトルコ軍に反撃するなど緊張が続く。(YPG映像)

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