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イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

日本語訳【イスラム国(IS)機関誌】バングラデシュ・ダッカ襲撃事件「グルシャン攻撃戦の殉教戦士たち」ルミーヤ第2号 (後編) Rumiyah

◆恵まれた家庭環境で育った青年もISに
ダッカ襲撃事件に加わった青年たちの多くが、恵まれた家庭環境で育ち、高い教育を受けていた。イスラム国(IS)のプロパガンダに感化されたのか、個別に勧誘されたのか。彼らは事件の数か月前から、家族や友人との連絡を絶ち、行方をくらました。その期間に軍事訓練を重ねていたと思われる。なぜ未来を捨てて、過激な行動を引き起こしたのか、謎は多い。ISは事件を最大限に利用し、組織を誇示している。ISのメディア戦術に振り回されるとその術中にはまるが、過小評価もすべきでない。いま標的は、企業駐在員や観光客を含む民間人にも広がっている。(戦闘員の本名は地元メディアなどが報じたもの)一部意訳・IS側のルミーヤ編集部註と、訳註(坂本)とがあるのでご注意ください
前編後編

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事件直後にISは声明を出すとともに、戦闘員の写真を公表。計画的に襲撃作戦が遂行されたことが伺える。いすれも笑顔で写る彼らだが、日本人を含む多数の民間人を「十字軍・不信仰者」という理由で殺害した。手に持つ銃はAK-22ではないかと思われる。

<<前編 グルシャン攻撃戦の殉教戦士たち(後編)


【アブ・ラヒーク・アル・ベンガリ】
アブ・ラヒーク(アッラーよ、彼を受け入れたまえ)は、ホーリー・アーティサン・ベーカリーで十字軍を戦慄せしめるために送られた5人の突撃決死戦士のリーダーであった。また、アブ・ジャマル・アル・ベンガリの近しい友であった。(※3)

ルミーヤ編集部註※3:アブ・ジャマル・アル・ベンガリについては、ダービク誌14号「信仰者の中の勇士たち:アブ・ジャマル・アル・ベンガリ」で紹介している)

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組織名アブ・ラヒーク・アル・ベンガリ(本名ロハン・イムティアズ)

アブ・ラヒークは、アワミ同盟の圧政政府に関係する世俗背教的な家族のもとで育てられたにもかかわらず、彼は、カリフ国が宣言されてすぐに忠誠を表明したベンガルでの最初の唯一神信仰者のひとりであった。年齢的にはまだ若かったものの、アッラーの恩寵のもと、アブ・ラヒークは軍事指揮官としてのあらゆる資質を備えていた。その勇敢さと、不信仰者に対する非妥協的な対峙姿勢から、彼の上官からは、「ひとり軍隊」というニックネームまでつけられていたほどであった。

彼は、自分が十字軍への突撃決死作戦の人員に選ばれた吉報を知るやいなや、「アッラーは偉大なり」と叫び、満身の歓喜をもって、ひざまずいて平伏し、アッラーの大いなる祝福に感謝し、アッラーが自身をお受け入れになるべく請い願った。彼は命令に忠実で、規律ある兵士であった。

アブ・ラヒークは、敬虔で信仰心に満ちた若者として知られ、つねにアッラーへのズィクル(唱念)に専心していた。彼の心は、つねに御主と来世に結ばれていたといえるほどである。作戦の訓練をしている期間のあいだ、夜にまで及んだ過酷な訓練のなか、また聖月ラマダンの断食のときでさえも、コーランを暗誦し、夜の礼拝を欠かさなかった。

彼は、イスラム国の有名なナシード(宗教歌)「カリーバン、カリーバン」(さあ、まもなく、まもなくだ)に心を動かされ、作戦訓練期間もずっとその歌詞を口ずさみ、「これこそ、アッラーの御意のもとに、我々が十字軍たちにやってやることだ」と言っていた。

訳註:このナシード「さあ、まもなく、まもなくだ」の歌詞については、過去記事の3番目の動画を参照

彼はその言葉と行動の両面でアッラーに誠心忠実であり、またアッラーも誠心をもって接された。

我々は彼をこのように捉え、またアッラーは彼にふさわしき判断をお下しになった。アッラーが彼を殉教者としてお受け入れになり、彼の言葉と行動が、さらなるジハード戦士を奮起させることを願うものである。(※4)

 (ルミーヤ編集部註※4:アブ・ラヒークの同胞戦士たちによると、彼は、ベンガルのカリフ国兵団が編成されるまで、シリア、リビア、西アフリカへの移住をなそうとしていたと伝えている。信仰と、日常の信仰義務に誠実で、知識を身につけることに意欲的であった。また、ささいな議論にかかずらって時間を無駄にするようなことはことはしなかった。コーランの注釈書で、ジハードについての記述を好み、またそれから得た知識を、仲間に伝えるなどしていた。(軍事訓練先の)施設では、他の兄弟同胞たちの世話をし、あらゆる日常の雑事も彼がこなしていた。彼は自身の父に対する信仰的な対峙姿勢を表明し、「誰が標的となるべきかを知っている。それは自分の父だ」として、自分で父親を暗殺することを認めてもらうべく上官に求めるほどであった。

【アブ・ムハリブ・アル・ベンガリ】
アブ・ムハリブ(アッラーよ、彼を受け入れたまえ)は、裕福な家庭出身で、現世の世俗的生活を享受してきた、若き唯一神信仰者であった。

アブ・ムハリブは信仰に立ち返る以前、裕福な同級生や仲間に囲まれ、豪勢な生活を送っていたが、アッラーの慈悲によって、現世において信仰者ムスリムのもっとも重要な宝は、信仰心とアッラーのお導きであり、この低みにある現世で人びとが競う、外見や富、学歴や物質的基準などのようなものではないことを悟るにいたった。預言者がこう仰せになったごとく。

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組織名アブ・ムハリブ・アル・ベンガリ(本名ニブラス・イスラム

「まこと低き現世で競われるごとくのもの、アッラーはあなたがたの外見や財産をご覧になっているのではなく、あなたがたの心と行ないをご覧になっているのだ」ハディース:サヒーフ・ムスリム・アブ・フライラによる伝承)

カリフ国が宣言され、イスラム国指導部から、(カリフ国への)移住の呼びかけがなされたとき、アブ・ムハリブはシリア、あるいはリビアに移住をなそうとしていたが、そのいずれもがかなわなかった。にもかかわらず、実際の移住はなせなかったものの、ジハードへの彼の固い決意は彼の意志の誠実さを示すものとなり、それに値する報奨の栄誉に授かることとなった。

預言者は、こう述べられた。「善行をなさんと奮起しながら、でもそれをなせぬ者は誰であろうと、アッラーがそれを善行をなしたとして書き留めておかれる。そして、もし奮起して、それをなし遂げたならば、アッラーはそれを十の善行、さらには700倍、またはそれ以上のたくさんの善行をなしたと書き留めになられる」ハディース:ブハーリとムスリムのイブン・アッバースによる伝承)

アブ・ムハリブがベンガルのカリフ国兵士となる前、彼の父親は、服飾関連ビジネスを担わせ、また車を買い与えようとしていた。彼の親族らは、「身を固め」て、結婚するよう促し始めていた。だが、アッラーはアブ・ムハリブが現世の様々な誘惑に堕ちることからお守りになった。

アッラーの慈悲のみをもって、彼は現世の些細な享楽を超え、来世の永遠の楽園を選択したのであった。アブ・ムハリブは、欠かさぬズィクル(唱念)とコーランの暗誦をその証しとして、御主と固く結ばれた。

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ぼかしを入れたが、警察が公表した5人の襲撃犯の遺体。戦闘で死ねば「殉教」できると信じていたことにとまどうばかりだ。

作戦遂行のための訓練のなかで、彼はまた、非常に勇敢であり、忍耐強き者として知られるようになった。突撃決死作戦の戦士として選ばれ、「アブ・ムハリブ」のクンヤ(組織名)を自身で選択した。それは、十字軍メディアで「ジハーディ・ジョン」として知られる戦士同胞、アブ・ムハリブ・アル・ムハジールを、彼が尊敬していたゆえである。世界の不信仰者を、そのナイフで戦慄させた「ジハーディ・ジョン」のごとく、自らも十字軍と背教徒を殺すことを望んだのだった。

彼はアッラーに誠心忠実であり、アッラーもまた彼に誠実にお応えになり、東西の不信仰者どもを戦慄させる高貴なる願いをアッラーは満たされ、アブ・ムハリブは殉教を達成した。アッラーが彼と、彼のなした行為をお受け入れになることを請い願う。(※5)

ルミーヤ編集部註※5:アブ・ムハリブとともにあったジハード戦士同胞らによると、彼は他の同胞たちに明るく接し、過酷なときでも忍耐強く、一神教、ワラーゥ・バラァ(訳註:信仰忠誠と、その敵に対する姿勢)、信仰理解、コーラン読誦についてさらに学ぶことを熱望していたという。上官の言葉に聞き従い、命令を拒否することはなかった。兄弟同胞が腹を立てるようなことがあったときは、すぐに駆け寄って詫びを入れ、赦しを請う姿勢を示した。また、他人の失敗を正すことには尻ごみしなかった。コーランを読むことを好み、困難に直面した者に対しては、アッラーに頼るすがる心を持つことを説いた。また料理も覚え、当番でなくとも調理場に立ち、同胞を手伝った。

作戦訓練の期間、下痢になり、1週間にわたって胃痙攣と嘔吐が襲ったことがあり、顔と体に見て取れるほどに体重を落としたことがあった。だが、それでも彼は不平をもらすことなく、忍耐強さを示し、「この病いの苦しみは、自分の過去の一切の罪を浄化してくれるんだ」と言ったのだった。片方の足に骨の問題を抱えていたにも関わらず、軍事訓練の課題のすべてをやり遂げた。もし、現世について言及する兄弟同胞がいるなら、彼はこう答えるだろう。「アッラーの思し召しのもと、僕らは天国でより良くなるよ」と。

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組織名アブ・サラマ・アル・ベンガリ(本名ミール・サミ・ムバシール

【アブ・サラマ・アル・ベンガリ】
アブ・サラマ(アッラーよ、彼を受け入れたまえ)は、5人の突撃決死隊の、祝福されし作戦に選ばれた戦士のなかで最も若かった。裕福な家庭に育ち、家族の多くが背教的で、信仰に背き、あざけり、彼が信仰を表明することを阻止すべく必死になるような家族であった。アブ・サラーマが、家族のもとを去り、ジハード遂行の意志のもと、ベンガルのカリフ国の兵団に移ったとき、彼の背教家族は、圧政政府に助けを求め、彼を力づくで引き戻すべく、メディアに彼の写真を提供したのだった。

この試みは、結局、アブ・サラーマの意志と信念をより固くしただけであった。

アッラーがかく仰せになったごとく:

【そんな人びとが、彼らに向かって言った。「見よ、あなたがたに対して(敵の)軍勢が結集した。彼らを恐れるべきだ」。だが、これは却って彼らに信仰心が増したのであった。アッラーがいれば万全。彼こそ最も優れた管理者であられる】(イムラーン家章:173節

作戦の訓練期間、アブ・サラーマは忍耐強く、命令を忠実に守る、誠実な戦士として知られた。訓練の際、いかに課題や、生活環境が苛酷であろうとも、不平を口にすることはなかった。イスラム国に対する戦争を主導する十字軍との戦いを心から切望していた。アッラーが彼を大いなる殉教者のひとりとしてお受け入れ給うよう、請い願うものである。

【アブ・ウマイル・アル・ベンガリ】
アブ・ウマイル(アッラーよ、彼を受け入れたまえ)は、不信仰者に対する熾烈な姿勢にも関わらず、温厚な口調での謙虚な人物で知られていた。

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組織名アブ・ウマイル・アル・ベンガリ(本名ハイラルイスラム・パイェル)

祝福されし突撃決死作戦に加わる前は、アッラーは彼にいくつかの地下作戦に参加する機会をお与えになった。そこには、ヒンズー教聖職者、キリスト教宣教団、その他の不信仰者、背教徒を標的とし、殺害に及んだ作戦も含まれている。

アブ・ウマイルは非常に献身的なジハード戦士であった。また、軍事訓練と作戦任務のあいだに時間を見つけては、コーランハディース(言行録)を学ぶことに打ち込み、知識を懸命に獲得する姿勢の持ち主であった。アッラーが彼を大いなる殉教者のひとりとしてお受け入れ給い、さらなるジハード戦士と知の求道者たちが彼の足跡に続くことを請い願うものである。(※6)

ルミーヤ編集部註※6:アブ・ウマイルとともにあったジハード戦士同胞によると、彼は若い頃から宗教について学ぶことを切望し、ベンガルの地で一連の作戦が開始される前は、各地の一神教徒の会合に参加するなどしていたという。上官の助言に誠実に従った。また、つねに気さくな人柄でもあった。武器訓練も好んだ。若い年齢でありながら、信仰逸脱者や背教的な年長者やイスラム教導者の宗教的な理解不足、すなわち自身の魂を何に捧げるかの意味を彼は明確に理解し、またこれは彼が自ら最後まで支えぬいたものであった。

【アブ・ムスリム・アル・ベンガリ】
アブ・ムスリム(アッラーよ、彼を受け入れたまえ)は、他の同胞に寛大かつ奉仕の心と忠実さ、立派な振る舞いで接することで知られた、愛情あふれる親切心あふれる兄弟同胞であった。

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組織名アブ・ムスリム・アル・ベンガリ(本名シャフィクル・イスラム・ウジャル)

カリフ国が再興された際、彼は現世と決別し、ベンガルのカリフ国兵士に参集した。聞き、従うことに非常に誠心忠実であった。

訳註:「聞き、従う」は、IS指導者バグダディ師への「忠誠=バヤアの最初の文言。IS忠誠式参照 >> )

アブ・ムスリムは、命令遂行の際にミスをしたと思われるような場面では、きちんと赦しを請う姿勢を示した。非常に温厚で、情緒豊かな人物であった。宗教に関する討論の場に出ると、目を涙で潤ませたりした。家族はがコーランの暗誦を十分に教えてこなかったことで、アブ・ムスリムは深く傷ついていた。このことで、彼は仲間の前で、涙をこぼしながら泣いたこともあった。

軍事訓練では、与えられた課題は、精励さをもって投げ出すことなく奮闘し、やり遂げた。訓練が、祝福されしラマダン月に至ると、断食後の毎夕の食事の際、手を掲げて、戦闘で殉教者となって、アッラーに受け入れてもらえるよう請い願った。アブ・ムスリムは、アッラーに誠心忠実であり、アッラーもまた彼にかくのごとくお応えになった。我々は彼をこのように捉え、またアッラーは彼にふさわしき判断をお下しになった。アッラーが彼を大いなる殉教者のひとりとしてお受け入れ給うことを請い願うものである。 

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事件を伝える地元テレビ。襲撃実行犯のほとんどは裕福な家庭で育ち、高等教育を受けた若者だった。

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この文章の筆者とされるタミーム・チョウドリーは、8月27日、ダッカの潜伏先で警察部隊の急襲をうけ、殺害された。写真はチョウドリーがいた隠れ家。(警察公表写真)

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