読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

動画【シリア・クルドYPG】「7・19 ロジャヴァ革命」から4周年(日本語訳)

◆シリア北部のクルド抵抗闘争
シリア北部のクルディスタン地域での戦いをクルド組織は、ロジャヴァ革命(ショラシャ・ロジャヴァ)と呼ぶ。ロジャヴァはクルド語で「西」を意味する。トルコ・イラク・イラン・シリアと4つに分断されたクルディスタンの西に位置するからだ。2012年7月19日、クルド人がアサド政権の治安機関を追い出したのがコバニ。動画は、クルド組織・人民防衛隊(YPG)とその女性部門(YPJ)による、7・19 ロジャヴァ革命の開始から4周年を記念する様子を伝えるもの。

【動画・日本語訳】「クルドYPG・ロジャヴァ革命4周年」クルド語(一部意訳)
7・19はシリア・クルディスタン(=ロジャヴァ)における革命記念日として記されている。ロジャヴァ革命とは、2012年7月19日から始まったコバニでのアサド政権機関の追放に始まる民衆蜂起の拡大、そのあとにつづいて起きた各派との戦闘、また、その過程で遂行されてきた一連の自治獲得のための闘争を指す。7・19はクルド語ではノズデ・ティルメッ(19 - Tîrmeh)。シリア・クルドにおいて7・19はロジャヴァ革命のシンボルとなっている。映像は先月、YPG・YPJが公開したもの。場所はシリア北東部デリク(アラブ名マリキーヤ)。冒頭のデリク地区司令官ヘレコル(ハサン・チャウィシュ)はのちに事故死が伝えられた。

コバニから広がった「ロジャヴァ革命」は北西アフリンや、北東カミシュリ地域のクルド人が多い町々へとつながった。このとき闘争の主導的な役割を担った政党のひとつが、民主統一党(PYD)である。アブドラ・オジャランを指導者とするクルディスタン労働者党(PKK)影響下にある政党で、シリアでの闘争を目的に2003年、地下非合法党として結成された。 アサド政権機関が追い出されたクルド地域では、武装部隊のYPGが実質的に自治地域での防衛任務にあたり、のちにヌスラ戦線や自由シリア軍、そしてイスラム国(IS)との戦いへとつながっていく。

f:id:ronahi:20160831045826j:plain

PKK系は「ロジャヴァ革命」として2012年7月19日を強調するが、実際にはシリア・クルドの民衆蜂起には2004年カミシュリ蜂起などそれまでの前段状況がある。2011年にシリア騒乱が始まった当初は、各地で自由シリア軍系の反体制組織やクルディスタン旗(写真後方の赤白緑旗)を掲げるクルド系政党諸派が存在した。その後、ヌスラ戦線やISとの激戦のなかで、PKK率いるYPG・PYDが地域全体の主導的存在となった。いまでは、緑赤黄(ケスク・ソル・ゼル)のロジャヴァ旗や、オジャラン議長の旗が圧倒的になっている。緑赤黄はクルド民族の伝統色としておもPKK系が使う。(写真はクルド・メディアから)

「ロジャヴァの戦いは民主主義のための戦い」。映像に映るYPG戦闘員たちのこうした声は、いずれもPKK支持のクルド人の声に共通するものだ。トルコで死刑判決を受け、収監中のアブドラ・オジャランPKK指導者の思想の下に結束した人民が、ロジャヴァと民主シリア建設への闘争を前進させるというものである。だがそれはすさまじい流血を伴うものでもあった。

他のクルド組織は、PKKの戦闘性や英雄烈士主義を「血の思想」として批判してきた。指導部絶対性や市民を殺傷する自爆攻撃など過激な闘争方針についていけずにPKKと距離を置いた元メンバーも少なくない。粛清、追放された幹部もいる。

f:id:ronahi:20160831045836j:plain

YPGの女性部門YPJの戦闘員は、男性と同じように最前線に立つ。封建的な価値観が根強く残るクルド社会では、長い間、女性は男性の下に置かれてきた。マルクス主義の影響を受けたオジャラン思想では、女性解放闘争もイデオロギー支柱のひとつとなった。それが今日のロジャヴァ革命での女性の戦いにつながっている。イラク・クルド地域のペシュメルガにも女性兵はいるものの数もわずかで、おもに後方支援が任務だ。だが、ロジャヴァYPJは戦闘現場で戦う。戦死者も絶えず、たくさんの犠牲を出してきた。写真はシリア・ハサカ出身の女性戦闘員。コバニのIS拠点突撃戦の前線で。(2014年末コバニ・撮影:坂本)

「民主ロジャヴァ」と言っても、PKK指導部に反対できる民主制ではないのが実際であるし、オジャラン絶対化や、トルコでの自爆攻撃には強い批判が向けられている。一方で、暴力的な独裁政権にさらされ、またトルコで、言葉も民族存在も否定されてきたクルド人にとって、武装闘争が民族運動高揚につながってきた側面がある。トルコにおけるクルド文化の容認は、投獄や拷問にさらされながら続いたクルド抵抗闘争のなかで勝ち取られたものである。

f:id:ronahi:20160906151111j:plain

2014年9月に始まったコバニ攻防戦ではYPG側は4か月で300人近い戦死者を出した。IS側の死者は有志連合の空爆もあり、2000人を超えている。ISは相当数の兵力を4キロ四方の小さな町、コバニに投入して失ったことになる。YPGは戦死者の顔写真・氏名・出身地、戦死場所などの情報を毎日公表する。写真はすべて戦死した戦闘員。緑の写真はYPJ女性戦闘員。左端はアフリン出身のアリン・ミルカン。2014年10月にISに対し自爆突撃を敢行して戦死。コバニ戦のシンボルとなった。YPJに入る前は、イラク北部の山岳地帯でPKKゲリラだった。

武装闘争を志向せず、自由と民主理念を掲げるクルド政党はいくつもあった。だが、いま我々が目にしているISのような過激組織が登場したとき、唯一、対抗できたのは、自己犠牲をいとわないYPGのような戦闘部隊だけだった。

ここに、これまで世界から無視され、誰も助けてくれなかったなかで、自らの力で自由や民族存在を戦いとっていくことを突きつけられたクルド人の悲劇のひとつがある。そして暴力の衝突の中で市民を含むたくさんの命が奪われ、同時に奪ってもきた。

f:id:ronahi:20160831045940j:plain

コバニの最前線でIS陣地に向けPK機銃を撃つYPG戦闘員。ISと互角に戦えたのは、YPG戦闘員の士気と、強力に組織された戦闘部隊のゆえだった。他方、クルド主導の「革命」において、これまでのアラブ人統治からパワーバランスが逆転した「解放地域」では、こんどはアラブ人がクルド側に対する不信や不安を募らせつつある。ロジャヴァをめぐるもう一つの側面だ。(2014年末コバニ・撮影:坂本)

◆IS・イラク・シリア・クルド情勢の
新着記事はツイッターで案内しています>>

広告を非表示にする