イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

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【オバマ広島演説・日本語訳】 オバマ大統領「核なき世界」に思う

ヒロシマとクルドをつなぐもの

オバマ大統領の広島での日本語訳つき演説はいくつもYouTubeで動画が公開されているので、あらためてここで掲載する必要もないのだけれど、今回は、自分がテーマにしてきたクルド問題とのかかわりについて書いてみたい。

【動画・日本語訳】オバマ大統領・ヒロシマでの演説(2016/05/27)
現職のアメリカ大統領として初めて被爆地・広島を訪れ、演説をしたオバマ大統領。演説が「抽象的理想主義」という指摘もあったようだが、核兵器だけでなく、通常兵器も含めた戦争・紛争と人類はどう向き合うべきかについても触れている点には注目できる。ただその兵器を作って世界中に売っている最大の国こそアメリカであり、軍需産業の後ろ盾で大統領が選ばれ、自国の思惑で紛争地の勢力に武器を援助している現実がある。演説にある「日常が一瞬に悪夢に変わる描写」の部分は、2011年、ビンラディンを殺害したときの演説にも似ている。(映像はホワイトハウス公表のもの・翻訳は駐日アメリカ大使館公表のものから引用)

イラク北東部にハラブジャというクルド人の町がある。クルド人は民族独立志向が強く、フセイン政権は民族抵抗運動を繰り返し弾圧してきた。イラク・イラン戦争の末期の1988年3月、フセイン政権はハラブジャに化学兵器爆弾を投下した。サリンVXガスなどの成分を含んだガスによって、5000人の住民が犠牲となった。

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1988年3月、イラク北東部のクルド人の町、ハラブジャにいくつもの化学爆弾がイラク軍機から投下された。1発だけでなく戦闘機から何発もが落とされた。サリンVXガスなどで5000人におよぶ住民が犠牲となった。(地元被害者団体提供写真)

クルド人は、広島の原爆投下と、クルド人への化学兵器攻撃の悲劇を重ね合わせ、ハラブジャ事件を「ハラブシマ」と呼んできた。町のはずれに、事件を追悼する祈念館がある。その入り口には「バアス党関係者の立ち入りを禁ずる」という看板があった。バアス党はサダム・フセインが率いた党である。

なぜバアス党関係者は入ってはならないのか。祈念館の館長に、その思いを尋ねたことがある。
ヒロシマの平和祈念館だって原爆を落としたアメリカ人には来てほしくなでしょう。悲劇をもたらしたのはアメリカなのだから」。

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後方に建つのがハラブジャにある「化学兵器犠牲者祈念館」。入り口には「バアス党関係者の立ち入りを禁ずる」と書かれた看板があった。(2006年・撮影:坂本)

そこで自分はこう答えた。「そんなことはありません、日本人はむしろアメリカ人にこそ広島に来てもらって核兵器の恐ろしさを知ってほしいと思っています」。するととても驚かれたのを憶えている。

さらに、自分自身の思いとしては、日本は原爆を落とされた被害者であったが、同時に戦争では加害者ともなった。「加害と被害」の両方の歴史を知って、戦争とは何かを考えるべきではないでしょうか、と伝えた。

クルド人やアラブ人は自分の被害のことは言うが、自分たちの加害の歴史を見つめることはほとんどありません」と館長はあらためて驚いていた。何十年もずっと戦争が続き、さらに時の政権が自国民に銃を向けて弾圧し、虐殺してきた歴史のなかに生きる人びとの思いを、容易に日本と並べて論じれるものでもない。

それでも、互いの歴史や文化を語り合うなかから、共有できる人間の普遍的価値はあると信じている。戦争は一度起きれば、多大な被害をもたらすばかりか、何年にもわたって後世の人びとを苦しめることになる。だからこそ歴史の現場を訪れ、様々な人びとの証言を記録し、戦争の惨禍を伝えなければならないと思っている。

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ハラブジャはイラン国境に程近い小さな町だ。化学爆弾が投下された際、多くの住民が山づたいにイランに逃れた。いまも後遺症に苦しむ人びとは多い。(2006年撮影・坂本)

f:id:ronahi:20160607194209j:plain小さな貧しい町に、地元政府が多額の予算を投じて祈念館を作ったものの、化学兵器被害者の医療支援が遅れてきたことや、町に産業がなく慢性的な経済的困窮にあえいできたことから、2006年、この祈念館は住民のデモ隊によって焼き討ちにあう。地元政府は「イランが仕組んだ」と事件を隠蔽し、住民の抗議運動の鎮圧をはかり、地元青年が治安部隊に射殺されている。のちに祈念館は再建されたが、館長は更迭された。ハラブジャは化学兵器投下事件以来、いまも深い歴史の傷を抱えている。(2006年・住民提供写真)

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ハラブジャ被害者団体の事務所の壁一面に貼られた化学兵器攻撃で死亡した住民の写真。生き残った住民はの多くは、山を越えて隣国のイランに逃れたが、いまも後遺症被害に苦しむ。(2006年・撮影:坂本)

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化学兵器攻撃事件から30年以上たったいまも、生存者は気管支疾患などの後遺症に苦しんでいる。ハラブジャの病院で。(2006年・撮影:坂本)

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