イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

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【イラク・クルド】バルザニ・クルディスタン地域政府大統領「サイクス・ピコ協定100周年に際しての声明」(日本語訳全文)

イラクからのクルド地域離脱にも言及

f:id:ronahi:20160523041737j:plain英仏によるイラク・シリアの線引きがなされたサイクス・ピコ協定が結ばれてから100周年にあたり声明を発表したマスード・バルザニ・イラククルディスタン地域政府大統領。(クルド地域政府公表写真)

イラククルディスタン地域政府(クルド自治区)のマスード・バルザニ大統領は、サイクス・ピコ協定が結ばれてから100年めにあたる5月16日、声明を発表した。この協定は、イラク・シリアの国境線を画定したとともに、クルディスタン分断ももたらした。注目すべきは、ISの台頭とイラク中央政府への不信感を元に、クルディスタン地域の「独立」も視野に入れた踏み込んだ声明となっていることだ。以下はその全文(一部補足の上、意訳)

サイクス・ピコ協定100周年に際しての声明
(マスード・バルザニ イラククルディスタン地域政府大統領)

今日はサイクス・ピコ協定から100年周年となる日です。この協定は、地域住民の声や、この地域における地理的実状をないがしろにしながら、第1世界大戦に連なる地域分割の元となったものであります。協定は、この地域の人びと、とりわけクルド人に対する重大な不正義をもたらすものでもありました。

この協定の結果、イラク国家内におけるクルディスタン住民にとって、真っ先に弊害がもたらされました。イラクは本来、クルド人、アラブ人との協調関係に基づいて誕生したにもかかわらず、実際には、クルド人を疎外するものでした。以降、続いたイラクの各政権は、いずれもクルド人の権利を否定し、クルド人に対する多大な悲劇をもたらしてきたのです。

この関係がクルド人にもたらしたものとは、殺戮と1万2000人におよぶ若きフェイリ・クルド住民訳註:シーア派クルド人の強制追放であり、バルザニ一族8000人の殺害であり、ガルミヤン地域をはじめとした多くの地域において18万2000人が殺戮、行方不明となった事件であり、ハラブジャでの化学兵器による爆撃であり、4500におよぶクルドの村々の破壊であり、クルド人居住区のアラブ化であり、その他、数え切れないほどの不正義でありました。

1991年の蜂起訳註:湾岸戦争でのクルド人による反フセイン政権蜂起)以降、クルディスタン住民はイラク国家であらたな章を開くことを選択し、(一連の過去の行為に対する)加害者への報復については控えてきました。しかし、イラク政府がクルド人に対し抑圧的な政策を続けたことは、それらが無駄であったことを知りました。

2003年のバアス党政権崩壊以降、クルディスタン住民は、バグダッドで(中央政府に参加し)誠実な協調関係と民主主義、連邦制の原則を保証する新憲法を成立させることをもって、新たなイラク建設の助力となることを決断しました。ところがイラクの諸政権は、憲法をないがしろにし、自らの誓約を守らず、協調関係を無視し、クルディスタン地域政府の予算配分を削減することを決定したのです。

サイクス・ピコ協定がもたらしたものは戦争、悲劇、不安定、過激主義台頭であり、これはこの地域に暮らしてきた人びとを人工的な国家、とりわけイラクのなかに無理やり押し込めるものでありました。イラククルディスタン、そしてこの地域の人びとは、これらの人為的な国境線が敷かれて以来、一度たりとも平和と安定を享受することはなかったのです。

どう見たとしても、今日のイラクは宗派の意向に基づく分断国家となっています。イラク、シリア、そして他の国々において、ダアシュ(イスラム国)は、国境線をなきものとし、新たな国境を作り出すにいたりました。クルディスタン住民は、イラクでのこの事態について一切の責任はありません。その責任は、この地域が線引きされた100年前に遡るものであり、また力と暴力と抑圧を通じてこの地域の安定化を図ろうとしてきた為政者たちの失政にあるのです。かくして、それらは失敗したのです。

この100年、クルディスタンの人びとは、イラクの領土的統合を守るために最善を尽くしてきました。イラクの統一性を守るためにクルド人はさらに何ができるだろうか、とこれまで申し出てきてくれた諸氏すべてに感謝の意を表すものであります。

戦争、不安定化、さらなる悲劇を防ぐためには、サイクス・ピコ協定は書き換えられなければなりません。イラク人は、もうこれ以上、戦争、不和、過激主義を容認することはできません。我々はさらなる悲劇を継続させることはできませんし、実証的に破綻が明らかとなった100年におよぶ協定にこだわることはできないのです。

イラクでの悲劇を終結させるために、この国の構造を考慮し、自身の政治的未来を決めることはイラク人の手に委ねられるべきであることを国際社会と周辺諸国は理解しなければなりません。他方、クルド人の未来については、クルド人がおかれた特殊な事情に基づいた上で、平和と対話を通じた解決が希求されねばなりません。

我々は新たな現実を直視しなければなりません。市民権はなんら進歩したわけではなく、国境線と主権統治は意味なきものとなりました。サイクス・ピコ協定はもはや終わったのです。国際社会はこの歴史的責任を担わなければならず、イラクの人びとのさらなる苦悩が続くことばかりをつきつけるのではなく、イラクとこの地域の本当の解決を追求しなければなりません。この困難な状況において、悲劇、苦悩、過去の過ちの再来を阻止する歴史的機会が我々のすべてにあるのです。

サイクス・ピコ協定から100年めに際し、アルビル訳註:イラククルディスタン地域の首府)バグダッドのあいだで新たな解決に向けた真摯な対話がなされることを呼びかけます。もし協調関係が達成されない場合は、兄弟として、そして良き隣人となる方向へと進むでしょう。

もし、クルディスタン地域の各政党が、どのような理由であれ、この歴史的責任の実行は担わないと判断するならば、人びとは独自の決断をすることになるでしょうし、人びと自身によるこの決断は、より強く、より正当なものとなりましょう。クルディスタン地域の住民が正しい判断を下すことに、私は確信を持っております。

2016年5月16日

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イラク北部4県にまたがってクルディスタン地域がある。クルド人の他にキリスト教徒やトルコマン、アラブ人、ヤズディ教徒らが暮らす。キルクーク油田や天然ガスなどに恵まれるが、その資源配分と行政統治権を巡ってバグダッド中央政府と対立が続いてきた。

【解説】
フセイン政権崩壊直後、クルド独立はあるのか、とクルド地域の住民や政治家に直接取材して聞いてみたことがある。このときは「将来の夢としてならあるだろうが現実的ではない」という答えが多数だった。

ISの台頭でイラククルド人のアラブ人への不信はかつてないまでに高まっている。「アラブ人とはもうつきあってられない」という本音をこれまで多くのクルド人が表立って出すことはなかったが、いまは公然と口にし、イラク・クルド独立が現実味を帯びつつある。声明の中で「もし協調関係が達成されない場合は、兄弟として、そして良き隣人となる」とあるのは、ひとつの国にとどまるのではなく、独立もありうることを示唆している。

もしそうなればイラク国家の解体も意味する。ユーゴスラビアが消滅したように、クルディスタン地域がイラクから離脱し、残る地域をシーア、スンニで別の枠組みに移行することもありうる。

f:id:ronahi:20160523031909j:plain写真右がバルザニ・クルディスタン地域政府大統領。フセイン政権崩壊以降、バルザニはシーア派スンニ派を仲立ちすべく尽力してきたが、シーア派のマリキ政権が登場するとスンニ派を強力に締め上げ始めた。中央はスンニ派政党代表のタリク・ハシミ。のちにイラク副大統領となったが、マリキ政権によって死刑判決が出され、トルコに亡命。左はスンニ派ドレイミ部族の代表で息子2人がテロ容疑で相次いで逮捕・投獄された。スンニ派シーア派の宗派対立は頂点に達し、それがISの台頭を招く結果となった。(2006年・撮影・坂本)

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イラク北部ではクルディスタン地域の防衛部隊ペシュメルガとISの激しい戦闘が続く。写真はISが制圧したクルド地域の町に掲げられていたバルザニのポスターをIS戦闘員が引きちぎる様子。(IS映像)

バルザニが言及する「クルド地域の住民の決断」とは年内にも予定されているイラクからのクルド地域独立についての住民投票のことも含んでいる。住民の大半 が「独立賛成」と投じれば、それを根拠にイラクからの離脱へと大きく舵を切るかもしれない。クルドとイラク中央政府の不和が続くなら、IS壊滅へ向けた戦いとそれを支援するアメリカを始めとした有志連合の戦略、そして各国の中東政策にも大きく影響することになる。

サイクス・ピコ協定から100年。前回の記事で 取り上げたようにISはカリフ制再興とウンマイスラム共同体)建設を掲げて協定を否定し、他方、イラククルド人クルディスタン分断への怒りと民族自決の立場から協定を終わらせるべきとする主張を出した。帝国主義の勝手な線引きが現在に続く禍根をもたらし悲劇へとつながっている。

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