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イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

動画【PKK・日本語訳】クルディスタン労働者党 カラユラン司令官 ネウロズ声明 2016

◆クルド新年ネウロズ声明「抵抗闘争を継続」
3月21日の春分の日を祝うネウロズは、イランや中央アジアなどで新年の祝祭としてひろく受け継がれてきた。だが分断民族クルド人にとってのネウロズは、圧政に対する抵抗闘争の象徴の日だった。とりわけトルコではネウロズは長きにわたって「国家分離主義テロ」との関連を理由に集会そのものが禁止されてきた。クルド民族運動の高まりをうけて、ようやく認められるようになったが、それでもネウロズの集まりでは参加者が街頭で機動隊と衝突するなど、毎年、トルコ各地で数百人を越える逮捕者を出している。

【動画・日本語訳】PKK・ムラット・カラユラン・ネウロズ声明 一部意訳・転載禁止
(2016/03/21 イラク北部・クルド・PKK―HPG人民防衛軍 公表映像)
クルディスタン労働者党(PKK)最高幹部ムラット・カラユランのネウロズ・メッセージを訳してみた。カラユランは、PKK中央委員最高幹部のひとり。トルコで死刑判決を受け収監中のアブドゥラ・オジャラン議長に次ぐ実質上のナンバー2。カラユランの両脇にはPKK軍事部門の幹部や、女性戦闘部隊YJA-STAR司令官も並ぶ。「烈士マズルム・ドアン」とは、1982年にディヤルバクルの刑務所でネウロズの日にトルコ政府のクルド政策と獄中処遇に抗議して自死決起したPKKメンバー。いまもPKKの集会では彼のポスターが飾られ、革命烈士として顕彰されている。

2013年のネウロズでは、トルコで死刑判決を受け収監中のオジャラン指導者が「停戦」を呼びかけ、約30年に渡って続いた衝突が解決するかとの期待が高まった。エルドアン大統領は独裁的な強硬姿勢で知られるが、クルド問題については、これまでの政権以上に踏み込んだ政策転換を図り、政府の枠組みながらもクルド語テレビ放送を認可するなど文化的権利拡大を進めてきた。PKKはこれを融和・懐柔策としたが、クルド人のあいだにも、「もう流血の時代は終わりにしよう」という声が広がり始めていた。また、この「2013停戦」が発表されたのは、オリンピック選考の直前で、東京と並んでイスタンブールが最終候補になっていた時期と重なる。ゆえにトルコが誘致条件を整えるために、収監中のオジャランとなんらかの協約を結んだのではないかとも言われた。

f:id:ronahi:20160423120316j:plain部隊の整列点呼はイチティマとよばれる。捧げ銃のまま腰を前かがみにし、殉死した同志に対する追悼礼は整列時に必ずおこなわれる。PKKはすさまじく戦死者が多いが、この烈士精神がPKKの強固さを支えていると言える。PKKが結成したシリア・クルド人民防衛隊(YPG)も、整列時にはこれとまったく同じイチティマをおこなう。マルクス主義政党として結成されたPKKは、のちに共産主義思想をトーンダウンさせたが、いまも反封建主義-女性解放闘争をイデオロギー支柱のひとつとし、女性も最前線で戦う。

ところがそれ以降、エルドアンがトルコの国是である世俗主義と真っ向から対決し、その最大の擁護者だった軍部の干渉を政府内から排除し、さらに憲法改正にも乗り出したことなどをうけ、クルド情勢とPKKの武装闘争路線めぐる流れも大きく変わることになった。この時期にシリアで武装組織イスラム国(IS)が急速に台頭したことも影響している。シリア北部でPKKを母体とするクルド・人民防衛隊(YPG)が支配権を固め、またイラク北西部では、ISに襲撃されたヤズディ教徒の町シンジャルの奪還戦をPKKが敢行し、この一帯に組織的な足がかりを築き始めた。トルコにとっては「テロ組織PKK」が、イラク・シリアの国境線を支配すれば、そこからゲリラが出撃してくることになり、安全保障上の重大な懸念となる。

映像では、カラユランが「エルドアンはISと手を結んだ」としている。トルコ・アンカラやスルチでISによる自爆攻撃で多くの犠牲者を出したのは、いずれもクルド人の集会だ。それもトルコ国民議会総選挙直前のタイミングである。この事件の真相はいまも不明だが、スルチ爆弾事件を境に、トルコ政府はPKKへの軍事作戦を強化させた。カラユランが言う2015年7月24日とは、このことである。PKKはこれをもって「和平交渉は不毛」とし、全面抵抗戦を宣言した。南東部の町々では、シリアのYPGを真似た組織・市民防衛隊(YPS)が編成され、都市ゲリラ戦を展開し、これまでトルコ治安部隊双方あわせて1000人を超える犠牲者が出ているといわれる。

映像では、ベルホェダン(Berxwedan) という言葉が何度も出てくる。クルド語で「抵抗闘争」を意味するが、クルド人は自らの存在を、この抵抗によって勝ち取ってきたと認識してきた。分断や同化にさらされた民族にとって、生きる残るすべは抵抗闘争しかなかったことが、クルド問題の悲劇の一側面と言える。

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PKKは1999年オジャラン指導者逮捕以後、「クルド独立」のスローガンを後退させ、トルコ民主化とクルド地域での自治拡大要求へと方針を転換したが、武装闘争は堅持。トルコ当局は、「PKKの目標はテロを通じた国家分離」と規定し、掃討作戦を続けている。イラク戦争後の情勢を受け、PKKはトルコ、イラク、イラン、シリアのそれぞれで政党を結成し、その国の情勢にあわせた政治闘争を進める方針を打ち出した。それが現在のシリア・クルド(ロジャヴァ)情勢とクルド政党PYDにつながっている。オジャラン指導者は、2005年頃、民主連合主義(デモクラティック・コンフェデラリズム)のイデオロギーを示し、赤い大枠で囲まれたクルディスタン共同体連合(KCK)に運動全体を包括するシステムとなった。これはオジャランが獄中で読んだマレイ・ブクチンの思想に影響を受けたためと言われる。リバタリアニズムエコロジー的な要素が取り入れたものだが、一方で、オジャランのカリスマ性ゆえに、リバタリアニズムとは対極的な「オジャラン絶対化」が維持されたものとなっている。シリアやイラクでは各政党の下に軍事組織があるわけではなく、一応、それぞれ独立した統制系統になっている。(具体的には、政党であるPYDの軍事部門としてYPGがあるではない。) 旗の色がいずれも「緑・赤・黄」なのは、クルドの伝統色(ケスク・ソル・ゼル)とされてきたことを反映している。

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