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イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

〔トルコ〕アンカラ爆弾事件(6)◆トルコとクルドの攻防

◆PKK拡大とトルコの懸念
2013年に停戦をしたにもかかわらず、それを破棄し、再び活動を過激化させているクルディスタン労働者党(PKK)。PKKは非合法地下組織として1970年代に結成された。この頃はトルコの地下クルド組織はクルディスタン社会党(PSK)が最大勢力で、その他は中小の左翼組織が乱立している状況だった。そのなかのひとつにすぎなかったPKKが、なぜこれほどまでに勢力を広げたのか。

f:id:ronahi:20160313050555j:plainPKKはトルコ南東部の農村や山岳地帯を拠点に武装闘争を続けてきた。マルクス・レーニン主義を掲げ、アブドラ・オジャラン議長を指導者とし、ゲリラは銃とともに政治思想で武装した。女性ゲリラも多い。のちにマルクス主義をトーンダウンさせ、武装闘争は堅持しつつも社会民主主義路線を打ち出すが、現在も左翼的性格は色濃く残る。(トルコ国境にほど近いイラク北部のPKK軍事キャンプで撮影:坂本)

当時、世界は冷戦で東西に別れ、民族解放闘争が各地で起きていた。PKKはソ連の支援を受けたから拡大したとよく誤解されがちだが、ソ連が密かに支援していたのはPKKではなく、PSKである。1980年に軍部がクーデターを起こすと、反政府的な社会運動はイスラム、右翼、左翼政党から労働組合まで一掃される。もちろんクルド民族運動も封じ込められた。そんななか84年に武装闘争を開始したのがPKKだった。

トルコでは建国以来、「クルド民族はわが国には存在しない」とし、同化政策を強いてきた。クルド民族の解放を掲げて軍を襲撃するPKKを、「英雄」と受け止めた住民も少なくなかった。クルド人が多く暮らす南東部が経済開発から取り残され、貧困にあえいでいたことも背景にある。一方で、PKKは「小学校はトルコ同化政策の拠点」と教師を脅したり、政府に協力的な部族や人物までも襲撃した。

資金源は密輸やクルド人店主や企業家などから徴収した「税金」に加え、ヨーロッパの移民からのカンパだった。とくにクルド移民の多いドイツ在住の移民同胞からの支援は大きく、PKKの急拡大を支えたとも言える。

トルコ軍はゲリラ封じ込めのために、クルド村の住民を武装させ、村落警備隊(キョイ・コルジュ)として政府の準軍事組織を編成した。拒否した村は、破壊や焼き払われるなどして無人化された。またPKKも村落警備隊を「裏切り者」として攻撃し、クルド人どうしが殺しあった。家を失ったクルド住民は国内の都市部に流入し、一部はヨーロッパへ政治難民として逃れた。

f:id:ronahi:20160313050754j:plain潜伏先のシリアを追われたアブドラ・オジャランPKK議長は1999年2月、移動先のケニアでトルコ治安機関に拘束された。トルコはこれでPKKを壊滅できるとしたが、PKKの闘争は続いた。オジャラン議長はのちに「死刑判決」を受けたものの、トルコでは死刑執行は事実上していないため、1999年以降、ブルサの沖にあるイムラル島の拘置施設に収監されたままだ。(トルコ治安当局公表写真)

それまでシリアに庇護されていたアブドラ・オジャランPKK議長がシリアを追放され、1999年2月、移動中にケニアでトルコ治安当局に逮捕される。これをうけPKKは穏健路線に大きく転換、コングラ・ゲル(人民評議会)と党名も変え、左翼イメージの払拭をはかった。さらに2003年、アメリカの「イラク占領」でイラク北部の軍事キャンプを失いかねない状況に陥ると、PKK内部で大きな揺れが生じ、クルディスタン独立や自治要求もトーンダウンされた。ところが穏健路線をとった一部幹部はのちに追放され、いくつかの混乱を経て再び武闘路線を志向、PKKの党名に戻り、現在にいたる。その延長線上で起きたのがシリア内戦だった。

f:id:ronahi:20160313050914j:plainエルドアン政権は、PKKには強硬な姿勢で知られるが、一方でクルド人の文化的権利は拡大させた。2009年には国営TRT放送でクルド語チャンネルが始まり、民間レベルであれば、クルド語教室も部分的に認められるようになった。15年前ならクルド語のポスターや看板など掲示しただけで「国家分離主義テロ組織」の対象とされ逮捕・投獄を覚悟しなければならなかった。写真はディヤルバクルの路上に貼られたクルド語のポスター。(トルコ南東部ディヤルバクルで撮影・坂本)

PKKはシリア出身のゲリラを故郷の町や村に戻し、地元で活動拠点を作り、自警組織を結成した。これが人民防衛隊(YPG)の原型になっている。いまシリア北部のクルド人居住地域に広大な支配地域を獲得したクルド勢力は、トルコにとってはもっとも深刻な懸念のひとつだ。シリアとトルコの国境線は約800キロ。そこからPKKゲリラがトルコに出撃してくるかもしれない。トルコではさらに過激なクルド青年がYPGをまねて市民防衛隊(YPS)を各地に結成し、軍・治安部隊と衝突している。トルコ、シリア、イラクと国ごとに分ける問題ではなくなりつつある。(つづく

f:id:ronahi:20160313050956j:plainクルド人の集会の警備にあたるトルコ警察の機動隊。クルド人のPKK支持は南東部を中心に無視できないほど後半に広がる一方、政府治安部隊との衝突に疲弊した市民も少なくない。クルド人の文化的権利が大きく拡大した中で、武装闘争を激化させるPKKの政治的獲得目標も不明だ。(トルコ南東部ディヤルバクルで撮影・坂本)

f:id:ronahi:20160313051337j:plain「テロ組織PKKとは一切交渉しない」とする立場を繰り返し明確にするエルドアン大統領。2013年にはPKKとの停戦に持ち込んだが、再び戦闘は再開。停戦後、PKKがふたたび過激路線に転じた背景には、昨年のトルコ総選挙で躍進した合法クルド政党の排除するごとく選挙やり直しを命じたエルドアン大統領の強権発動への反発やシリア情勢が影響していると思われる。衝突は激化の一途をたどり、事態は先行きの見えない方向に進もうとしている。

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