イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

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〔シリア・イラク〕 イスラム国(IS)日本人人質事件(7) 「イスラム国」表記問題

◆言葉の置き換えだけで対処するのでなく問題の本質と向きあうことが重要
人質事件以降、武装組織イスラム国(IS)をめぐる表記が問題となっている。イスラムへの偏見を助長するので呼称を変えてほしいとする要望が日本のムスリム団体などから出された。その趣旨については配慮をすべきだ。しかし率直な感想を言うと、カギカッコをつけ「いわゆるイスラム国」にしたり、アイシル(ISIL)と英語略に言葉のみに変えたからといって、そもそもの問題が解決するわけではない。

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ISの旗には「アッラーのほかに神はなし」「ムハンマドアッラーの使徒」とある。この言葉自体はムスリムにとってもっとも神聖かつ重要なものであり、イスラム国の過激主義とはまったく別のものである。(12月末撮影・シリア北部コバニ)

ISの問題を報じる際、その実態に迫り、支配地域でどれほどの人権侵害がおきているか、複数の角度から検証しながら伝える努力をした。それと同時に、多くのイスラム教徒がISの非道に心を痛めていることも報じ、拉致されたヤズディ女性を救出するために身の危険を冒しながら尽力しているイスラム教徒が多数いることもあわせて紹介した。メディアがすべきは、ただ呼び名を変えるのではなく、その支配下で起きている問題の実相を伝え、多くのイスラム教徒はそれをどう感じているかをあわせて報じること、そしてイスラム教徒の宗教観や日常生活を紹介することだ。それが誤解や偏見を防ぐことである。

今回、人質事件で、モスクに嫌がらせがあったのは許せない。残念ながら、いつの時代でも、おかしな人はいる。しかしISが蛮行の限りを尽くしているからといって、イスラム教が異常な宗教だと普通の人は思わないし、そう思うほうがおかしいのである。メディアがイスラム理解をしないままに表記だけを変えるのは問題の本質からの逃亡である。

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数時間前までISの拠点だった場所に入ったところ。壁の文字には、「ダウラ・アル・イスラミーヤ、バーキヤ・ワ・タタムダッド」(イスラム国は、永劫残り、広がる)とあった。ISはこのバーキヤ(残リ続ける)の言葉を、捕らえた敵兵に無理やり言わせ、言わなければ処刑する。湯川遥菜さんも拘束時の映像で「バーキヤ」と何度も言わされている。(12月末撮影・シリア:坂本)

シャルリー・エブド事件で、東京新聞が預言者ムハンマドの風刺画の紙面を掲載し、「読者に判断材料を提供しただけ」などと言ってのけた感覚。フジテレビが風刺画紙面をイスラム教徒に無理やり見せてカメラの前で感想を聞いたセンス。少し前には「イスラムはケンカばかり」とオリンピック候補地イスタンブールよりも東京が優れているとアピールする材料にイスラムを持ち出した作家出身の都知事もいた。他文化、宗教への感覚を持ち合わせず、イスラム理解に努力してこなかった日本のメディアや言論人が、いま急にイスラム国からアイシル(ISIL)に字づらを置き換えたところで、それは「ややこしい抗議」をかわすための方便にしかならない。

2001年の9・11ニューヨーク貿易センタービル攻撃事件直後、反イスラム感情がアメリカに広がりかけたことがある。それはあの未曾有の事件のなか、一部のアメリカ人が抱いたパニックとヒステリックな心情のあいまった状況で起きたわけだが、彼らの怒りの矛先は、事件を起こした犯人だけでなく、イスラム教、アラブ人などにも向けられた。そして報復感情はアフガン空爆へと一気につながっていった。こうしたとき問題の核心は何かを冷静に見つめ、一時的な社会的激高を抑えるメディアや言論人がいるのが成熟した社会だと思う。ちょうど日本では、NHKでイスラムについての良質な特集番組も作られ、ラジオ・テレビでアラビア語講座が始まり、「BS世界のニュース」でこれまでなかったアル・ジャジーラがCNNやBBCとならんで扱われるようになった。それはNHKのなかに、イスラムやアラブへの偏見を防ぎ、問題の本質に正しく向き合おうとする意識あるプロデューサーがいたからではないだろうか。

◆表記の議論を越え、イスラム理解の機会に
イラクでもシリアでもISは、アラビア語略のダアシュと呼ばれる。自分も取材ではダアシュを使う(というか、現場ではそう言わないと通じない)。ダアシュとは「イラク・シリアのイスラム国」のアラビア語の頭文字を短くしただけであるが、実際にはイスラム国に批判的な人が使っている用語である。IS支配地域の住民がダアシュなどと言おうものなら処刑や投獄されるため、地元民は戦闘員と同じように「ダウラ(国家)」というしかない。

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レヴァント(大シリア)とは、現在のシリアを越えたレバノンなどを含む地中海の東部沿岸地方をさす概念。「イラクの聖戦アルカイダ機構」のザルカウィ指導者が米軍の空爆で殺害され、その後、組織改変や諸派合流を経て、「イラクイスラム国 ISI」(2006)となり、内戦に陥ったシリアで勢力を伸ばし「イラクとレヴァントのイスラム国 ISIL」(2013)となった。昨年6月、モスルを制圧して以降は「イスラム国 IS」(2014)と改名、「カリフ制に基づくイスラム国家」を一方的に宣言した。カリフはアブ・バクル・バグダディ指導者とするとしている。ダアシュはアラビア語表記の頭文字をとった略語だが、ISに批判的な人たちのあいだで用いられる。これに対しISの戦闘員は「ダウラ(国家)」と呼ぶ場合が多く、最近は支配地域を指して「カリーファまたはヒラーファ(カリフ国)」が増えている。

イスラムを武装組織が使うことが問題となるなら、東トルキスタン・イスラム運動も「イスラム」を隠してETIMと略称にしなければならなくなる。彼らがなにをよりどころとして中国共産党政府と戦い、弾圧されているのかもわからなくなってしまう。ISだけをダアシュやISILと呼びかえるのが有効なのか。

かつてエジプト・ルクソールで武装組織「イスラム集団」による日本人10人を含む観光客大量殺害事件が起きた際は、イスラム原理主義組織の「原理主義」の扱いが議論されたが、イスラムの言葉が入っているかどうか自体が問題になることはなかった。

ISが台頭したのは、アメリカがイラクに戦争をしかけ、宗派間の混乱のなかで、シーア派マリキ政権がスンニ派を抑圧、不当逮捕や拷問を繰り返してスンニ派住民に反発が広がったことも背景となっている。自分の暮らすコミュニティを守ることもできず、過激組織であってもしかたなく従うことを選択した地元住民も少なくない。

イラクイスラム教徒が直面してきた問題の複雑さを無視して、「ISILに置き換えれば済むこと」としてしまっていいのだろうか。じつはそういう人ほど、「理解者」を自認しながら、イスラムときちんと向き合っていない人ではないか。

今回の問題は、かつて日本であった、トルコと縁もゆかりもない「トルコ風呂」がソープランドの呼称に替わったような「置き換え」とはそもそも質が異なる。イスラム国は昨年6月に「イラクとレヴァント(大シリア)」を取り払って、「イスラム国」に改名している。政治的恣意性を排除し、呼称に忠実にするならIslamic State(IS)とするのが正しい。

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イラクTVでは「テロリスト・ダアシュ」と呼んでいる。写真は反イスラム国のキャンペーンCM映像。イラク軍兵士が踏みつけている黒い旗にはダアシュとある。ISの旗の文字「アッラー以外に神はなし」「ムハンマドアッラーの使徒」自体はイスラム教にとって神聖な言葉であり、たとえ「テロ組織の旗」でも文字を踏みつけるような扱いはしない。ゆえにイラク兵が踏んでいるのは、あくまでもダアシュという文字。イラク、シリアをはじめほとんどの中東諸国では、「ISはテロ集団」としている。ただ、いまでこそ「武装組織」という扱いだが、支配地域では裁判所、自治体など実際に行政運営を始めている。タリバン政権をサウジやパキスタンが承認していたように、もしISが現在の場所で存続し続ければ、「国家」として認める国々も出てくるかもしれない。

日本に先んじて呼称が問題となったフランスなど欧州メディアのなかには、ダアシュDaesh を使うところも出てくるなど、どこの国でも表記をめぐっては苦悩しているようである。

現在、CNNはThe Islamic State in Iraq and Syria(ISIS)、BBCは The Islamic State(IS)。アラブメディアは、ダアシュとするところもあれば、「イスラム」の言葉をはずし、タンディーム・ダウラ「国家を名乗る組織」と呼ぶところなど様々だ。

トルコでは国営TRT放送はダアシュを指すDEAŞに切り替えたが、ほかの多くのメディアはこれまで一般的だった「イラク・シリアのイスラム国」IŞİDの呼称をいまも使い、イスラムの言葉を消してはいない(イスラム系メディアはフルネームは書かずにIŞİDの略号のみ)。
【「駐日トルコ大使館が日本のメディアに呼称変更を呼びかけた」と日本の一部メディアが報じ、Wikipediaの「ISIL」の項目もこれをもとに大使館が名称変更呼びけとあるが、この記述は正しくない。「在京報道機関へ」【2015/02/06付】と大使館サイト内案内板に呼びかけ文を出したのは、トルコ大使館ではなく、「TRT放送・東京特派員」個人である。トルコ大使館の日本語サイト上ではこれまで「イスラム国」という表記を使い、DAESHに切り替えたのは日本人人質事件以降になってから。エルドアン大統領はトルコ国内のメディアにDAEŞへの表記変更を働きかけているが、トルコで呼称は統一されておらず、「イラク・シリアのイスラム国」とイスラムを入れた表記がいまも多数ある。

日本では、例えば記事では、何度も出てきて印象が残る記事見出しぐらいはISにするなどして、文中では【武装組織「イスラム国」(IS)】とし、2回目に出てくる場合はISとするのがいいのではないかとも思う。印刷媒体と違ってテレビは文字テロップと音声、つまり視覚と聴覚で同時に「イスラム国」が連呼されるので、新聞よりも工夫がいるだろう。

問題を単語の置き換えで終了とするのではなく、これをイスラム教への正しい理解の機会とし、同時にイラク・シリアでイスラム国という武装集団がなぜ生まれ、支配地域で何をしているのか、こうしたことにも関心を寄せるべきだろう。メディアが忘れてはならないのは、IS支配下でたくさんの普通のイスラム教徒たちが過激主義と暴力の恐怖に脅えながら暮らしているということであり、それをきちんと報じ続ける姿勢である。 (つづく) (2015/02/06)
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