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イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

クルド衛星放送ROJ-TV(ロジテレビ)裁判から見えてくるもの(2)「自分たちの言葉」のテレビ

 ◆「自分たちの言葉」のテレビ
一般的に「放送は中立公正であるべき」などといわれているが、はたしてどれほど実効力をもっているだろうか。日本でNHKが領土問題を報道する際、両論併記としてロシア、中国、韓国などの主張はとりあげても、あくまでも日本の立場が反映される。それが国際社会では普通におこなわれている。

f:id:ronahi:20160225120040j:plainメッドテレビが放送した子供番組。クルド語での民謡やアニメ番組さえも、これまでトルコでは禁止されてきたため、人びとはこぞってメッドテレビを見るようになった.クルド人どうしで話すときはクルド語のことを「ズマネ・メ(私たちの言葉)」と表現する。その言葉を奪われてきたことが、大きな民族運動へとつながった。

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オランダでのクルド移民のデモを取材するスタッフ。ヨーロッパ在住の移民・難民たちの運動を故郷クルディスタンの人びとが衛星放送でその日のうちに見ることが出来るようになったことは、民族意識に大きな変化をもたらすことにもつながった。(撮影:坂本 2001年)

f:id:ronahi:20160225120048g:plain「世界に見放された国なき民族」クルド人による衛星放送は開局以来、政治的な壁に直面してきた。『自分達の言葉でテレビで聞くことすら許されなかったトルコのクルド人の苦悩を象徴する。MED-TV(メッドテレビ)以降、放送事業免許を登録する国や衛星契約会社からで閉鎖措置がとられるたびに、会社登記や事業免許を各国に移しながら存続してきた。

トルコのクルド人は、自身の言語によるメディアを持つことが許されなかった。自分たちに起きている出来事を広く伝えることができなかったのである。トルコ軍に村が焼かれている現実も、自分たちの立場や視点で取材し、報じるすべがなかったのだ。

それを可能にしたのがクルド移民同胞が資金を出し合って設立した衛星放送局だった。政治や社会の動きをクルド人の視点で伝えることは民族意識を目覚めさせた。クルド語の歌や子ども番組さえ認められていなかったなかで、テレビが民族のうねりをつくりだすことになった。

だが、当時のトルコにとっては、クルド語衛星放送は、国家を分裂に導く「分離主義」以外の何者でもなかった。トルコ政府は、放送阻止のため、あらゆる手段を講じた。 クルド衛星放送ROJ-TV(ロジテレビ)のもとになったMED-TV(メッドテレビ)はイギリスで会社登記をし、放送事業免許を取得し、95年に放送を開始した。トルコ政府は放送開始直後からPKKとの関係を問題視し、放送免許を与えたイギリスに外交圧力をかけ、免許剥奪を迫った。だが、言論の自由の問題もあり、議論は慎重に進められていた。

99年にオジャラン議長がトルコ当局に拘束された際、ヨーロッパ各地で抗議行動があいついだ。移民クルド人たちがイスラエルやギリシア大使館に突入占拠し、多数の逮捕者を出した。メッドテレビは各国での行動を逐一、番組内で大きく報じ、「さらなる抗議を」と呼びかけるPKK幹部の声を報じ続けた。これが暴力の扇動にあたるとしてイギリスの放送審査機関は免許剥奪の措置をとった。

その後、メッドテレビはフランスで免許を取り直し、MEDYA-TV(メディヤテレビ)として放送を再開したが、フランス政府はPKKとの関与を理由に閉鎖へと動いた。審理は最高裁まで持ち込まれ、また弁護団は欧州人権裁判所にも訴えたが、結局、免許停止に追い込まれる。

放送スタジオはベルギーに置きながらも、2004年に会社登記と事業申請はデンマークに移し、ロジテレビとして運営を始めた。2008年にはドイツの制作スタジオが閉鎖され、2010年にはベルギーの放送センターもベルギー警察の捜索をうけ、機材が押収された。そのたびに、クルド移民の支援を呼びかけ、放送を続けてきた。 (つづく>>
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