イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

【シリア・クルド】イスラム国(IS)掃討作戦~シリア民主軍(SDF)報道官、トルコに「寝返り」(1)写真10枚

◆SDF タラル・セロ 元報道官~米国武器支援の内情暴露
シリアでイスラム国(IS)との戦闘を続けるシリア民主軍(SDF)。10月にはISの拠点都市ラッカを制圧し、勝利を世界に向けて宣言した。その後、SDFはデリゾール北部に進撃し、米軍の武器支援のもと、IS残存勢力を追い詰めつつある。シリア北東部のIS壊滅が見えてきたなか、タラル・セロ司令報道官が11月、突然、トルコが支援する反体制エリアに脱出し、事実上、トルコ側に「寝返る」展開となった。SDFに何が起きたのか。
第1回 第2回】

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トルコへの伝えられたSDFのタラル・アリ・セロ。報道官としてSDFの「顔」となってきた人物が突然、11月、消息を絶ち、トルコが支援するシリア北部の反体制派地域に入ったことが伝えられた。(SDF写真)

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SDFの前身となったのは、2014年9月に結成された「ユーフラテスの火山」作戦の合同部隊(写真)。作戦では、IS拠点都市ラッカ攻略を目的とし、YPGが自由シリア軍(FSA)ほか諸派と合同部隊を編成したが、のちに各派が離反するなどしたため、組織を改編し、2015年10月、あらたな枠組みのもとSDFの結成となった。(2014年9月・作戦司令部写真)

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クルド・人民防衛隊(YPG)がおもにシリア北東部のクルド人地域の防衛部隊として機能してきたなか、YPG主導のもと、アラブ人やトルクメンなど諸民族、アッシリア人などのキリスト系諸宗派の武装各派や地方部族を組織し、広範なIS掃討作戦を進めるためにSDFが編成された。IS掃討作戦の合同部隊を設置することで、アメリカの武器支援を受けやすくする狙いもあった。写真中央がタラル・セロ司令・報道官。(SDF写真)

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SDF結成当初から司令・報道官として「SDFの顔」となってきたのがタラル・アリ・セロ。クルド人ではなく、シリアのトルクメン(トルコ系住民)の出身。SDFは実質的にはクルド・YPGが主導するが、クルド人でないタラル・セロを前面に出した。SDFはクルド人組織ではない、と内外にアピールする思惑があったようだ。

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タラル・セロはもともとシリア北部アル・ラアイ近郊チョバンベイ(アラブ名ジョバンブク)を拠点とするトルクメン旅団で司令官(大佐)だった。ここはトルクメン(トルコ系住民の町。トルコはシリア内戦当初から、トルクメン諸組織を支援。ところがトルコはジャラブロスのトルクメン組織メフメト2世旅団に肩入れし、トルクメン旅団は革命戦士軍に合流。革命戦士軍はSDFと共闘関係を結び、司令官のひとりだったタラル・セロがSDF報道官となった。写真は、トルクメン旅団司令官時代のタラル・セロ。(2015年8月)

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2015年にクルド系ロナヒTVで話すタラル・セロ。「我々、シリアのトルクメンは、シリア人であり、トルコ人ではない。トルコがシリアのトルクメンを取り込めると思っているなら間違いだ。SDFを通して、クルド人、アラブ人とともに、シリアの将来のために尽くす」と当時、話している。(ロナヒTV映像・2015 年)

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SDFはIS「首都」ラッカ攻略を目指すユーフラテスの憤怒作戦を2016年11月に開始。地方部の町や村を包囲しながら、ラッカ市内に突入。激戦の末、2017年10月にラッカ攻略を果たしたSDFは、作戦の勝利を宣言。写真はラッカの競技場で勝利宣言を読み上げるタラル・セロ報道官(写真中央)。(YPG映像・2017年10月)

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タラル・セロ司令・報道官が突然、消息を絶ったのが11月。SDFは直ちに声明を出し、「トルコがセロ報道官と彼の子どもにまで圧力・恫喝を加えた」「トルコ情報機関が関与」とした。司令・報道官というトップが消息を絶ち、実質的に組織を裏切る事態となったことで、YPGやSDFは大きく動揺した。(写真は11月16日付で出されたSDF声明)

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タラル・セロがSDFを離れ、シリア北部ジャラブロスを経由してトルコに入ったとされる。ここはトルコ軍が支援する自由シリア軍武装組織のエリア。トヨタのワゴン車で移動した先でトルコ側装甲車が待ち受け、事前に準備された脱出だったようだ(シリア人記者の現場写真)。彼の出身地はアル・ラアイ。内戦当初は近郊のトルクメンの町チョバンベイでセルジュク旅団を指揮。(アル・ラアイはISが支配していたが、トルコ軍の「ユーフラテスの盾作戦」でトルコ軍・シリア武装諸派が制圧。過去のIS映像(11分35秒~)にアル・ラアイが出てくる >>

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タラル・セロ失踪から約2週間後の12月2日、トルコ・アナドル通信のインタビューに登場。「SDFはただの看板で、すべてはYPGが牛耳っていた。SDFはアメリカの支援を受けるために作られた」と話す。さらにYPGはクルディスタン労働者党(PKK)の指示のもとに動いていた、とし、PKKの深い関与を内部情報を交えて語った。SDF・YPGにPKKに関係しているのは周知の事実だが、組織トップにあった当事者が具体的な人物の名前を挙げて「証言」した意味は大きい。ただ、かつてはトルコを批判していたタラル・セロが、今回の脱出後にトルコの主張に沿う形の答えをしている点にも留意しておきたい。(アナドル通信映像より)

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シリア北部でSDF・YPGとIS掃討作戦で連携する米軍。トルコ・アナドル通信のタラル・セロの「証言」は、シリア・クルドと結びつきを深めるアメリカをトルコが強く牽制することにもなった。写真はトルコ軍機のケレチョホ空爆事件で現場視察に向かう米軍の装甲車ストライカー。(ロジャヴァ・ニュース映像・2017年4月)

SDF報道官、トルコに「寝返り」米国武器支援とPKKの関係を証言(2) につづく>>

「ユーフラテスの憤怒」作戦・これまでの流れ(おもな声明一覧)
第1段階・開始声明 (2016/11/06)    第2段階・開始声明 (2016/12/10)
第2段階・戦果報告 (2017/01/16)    第3段階・開始声明 (2017/02/04)
第3段階・第2攻勢 (2017/02/17)    第4段階・開始声明 (2017/04/13)    
タブカ・ダム制圧声明
(2017/05/12) 
ラッカ突入・大攻勢戦開始声明
(2017/06/06)
ラッカ解放・勝利宣言 (2017/10/20)

【シリア・クルド】イスラム国(IS)掃討作戦~シリア民主軍(SDF)部隊編成(写真・図 11枚)

◆YPG主導で進むシリア北東部でのISとの戦い
10月にISの「首都」とされたラッカを制圧したシリア民主軍(SDF)。それを主導するのはクルド・人民防衛隊(YPG)だ。そしてその母体となったのはクルディスタン労働者党(PKK)である。アメリカはPKKを「テロ組織」とする一方、IS掃討作戦を迅速に進めるために、SDFには武器支援し、空爆や米軍地上部隊派遣などで連携してきた。PKKの武装闘争に苦しめられてきたトルコは、シリア北部でのSDF勢力拡大を警戒する。SDFにはどのような組織が参加しているのか。

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シリア民主軍(SDF)に参加・共闘する武装諸派。合計の兵力規模は5万人前後とされる。多様な組織の連合体であるが、実質的にはYPG主導。赤い枠で囲んだ部分は、主観ながら、PKKの影響度が強い組織。シリアのキリスト教系組織はシリア正教やアッシリア人組織。このほかSDFには各国の左翼義勇兵らが参加する国際自由大隊(IFB)なども参加。自由シリア軍系は諸派乱立し、SDFと共闘するのはラッカ近郊の部隊などで、ほかのアラブ人地域ではSDFには批判的。

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ラッカでのISとの戦いを続けるSDF部隊。SDFが結成されたのは2015年10月。「民主主義と世俗主義によるシリア建設」を目的とする。クルドYPGがIS掃討戦を進めるなかで、地元アラブ人を組織化して広範な武装部隊を編成し、また建前上はYPGと切り離すことでアメリカなど外国からの軍事・物資支援を受け入れやすくする狙いもあった。(2017年・SDF写真)

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米大統領選で「自分ならISを早期に壊滅させる」とアピールしてきたトランプが大統領になって以降、SDFへの武器支援は顕著になった。写真はアメリカが供与した装甲車両。(2017年・SDF写真)

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アメリカは支援武器を小型・中型火器や装甲車などに限定し、トルコの反発にも配慮している。迷彩の装甲車はアメリカがSDFに供与したIAGガーディアン。(2017年・YPG映像)

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2017年12月時点のおおよそのシリアの勢力図。クルドYPGにとっては、北部のクルド地域での自治が主要目的。クルド人戦闘員の多大な犠牲を出してもアラブ人が多い町、マンビジ、ラッカ、デリゾールで対IS戦争を進めてきたのは、政治カードにできるという思惑もある。国際的な後ろ盾を持つことができなかったクルド民族が自治地域を獲得し、世界に承認させるには、どれだけカードを持っているかも重要になる。シリアはイラクのような大型油田はないが、デリゾール東部には中小規模の油田地帯が点在し、将来的な政治交渉でアサド政権と北部「クルド自治区」実現の交渉材料にもなりうる。 

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SDFは、ラッカ攻略を目指す「ユーフラテスの憤怒作戦」での勝利を宣言。その後、デリゾール方面のIS残存部隊を北部、東部から追撃する「ジャジーラの嵐」作戦を展開。ジャジーラとは、シリア北東部一帯の地域を指す。(2017年・SDF写真)

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ISとの戦いでは、戦死者もあいついでいる。戦死すると顔写真・氏名・入隊日・戦死日などが公表される。(2017年・SDF写真)

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IS残存部隊を地域から排除するには、地元部族の協力が欠かせない。部族側は周囲の政治状況や力関係、協力へのメリット・デメリットなどを考えながら判断する。写真はデリゾール近郊の部族に協力を求めるSDF。(2017年・SDF写真)

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写真はISが7月に公開した映像。前線でSDF戦闘員を拘束し、「こいつがブタ野郎だ」とISが言う。ISはSDFを「PKK無神論者」とし、諸派連合や地元部族のSDF協力を批判。IS広報官アブル・ハサン・ムハジールの6月声明でも、イラク・シリアでの戦いを、ムハンマド時代のイスラム軍勢が部族連合軍と戦った故事を持ち出し、「野合・結託した部族連合に対するカリフ軍勢の戦い」と表現した。(2017年・IS映像)

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SDFの「顔」となってきたタラル・セロ司令・報道官は、11月、突然、姿を消し、トルコが支援するシリア北部の反体制派地域に入ったとされる。突然の「トルコへの寝返り」にYPGも騒然とし、トルコ情報機関MiTの謀略工作・介入であると非難している。タラル・セロ司令官自身はクルド人ではなく、シリアのトルクメン(トルコ系住民)の出身でセルジュク大隊司令官だった。詳細>>

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ラッカ中心地で勝利を語るYPJナスリン・アブドラ司令官の背後にあるのはオジャランPKK指導者の肖像。「オジャラン思想によって勝利は導かれた」などと話す。クルド人であるオジャランの肖像を、アラブ人地域で大々的に掲げるのは余計な反発につながるのではないかとも思うが、国際的な宣伝効果は大きい。ISを駆逐したあとはSDF系の住民委員会が町や村を統治することになり、この統治システムはオジャランの民主コンフェデラリム思想に基づくものとなる。アラブ人が多い地域では、治安回復と復興に期待を寄せつつも、クルド主導による統治機構への移行に不安を抱く住民も少なくない。(2017年・YPG映像)

「ユーフラテスの憤怒」作戦・これまでの流れ(おもな声明一覧)
第1段階・開始声明 (2016/11/06)    第2段階・開始声明 (2016/12/10)
第2段階・戦果報告 (2017/01/16)    第3段階・開始声明 (2017/02/04)
第3段階・第2攻勢 (2017/02/17)    第4段階・開始声明 (2017/04/13)    
タブカ・ダム制圧声明
(2017/05/12) 
ラッカ突入・大攻勢戦開始声明
(2017/06/06)
ラッカ解放・勝利宣言 (2017/10/20)

【イラク】アバディ首相・イスラム国(IS)に対する戦い「勝利宣言」(日本語訳・全文)(2017/12/09)

ISに「最終勝利」と宣言
2017年12月9日、イラクのアバディ首相は、武装組織イスラム国(IS)に対する「勝利宣言」を発表した。この宣言はイラク政府・軍が、ISに勝利したことを内外に示したものとなる。実際にはアンバルやキルクークの一部地域にIS残存勢力が残っており、最終勝利にはまだ時間がかかるとみられる。以下は「勝利宣言」の全文。(一部意訳)

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ISに対する「勝利宣言」を読み上げるアバディ首相。(イラク首相府写真・2017年12月9日)

アバディ・イラク首相・ISに対する勝利宣言 
(2017/12/09)

慈悲深く、慈愛あまねアッラーの御名において。

【その日、信徒たちはアッラーの勝利を喜ぶであろう。御方(=アッラー)は御心のままに助け給う。全能で慈悲深き御方】コーランビザンチン章:4-5節)

イラク国民の皆さん
皆さんの国土は完全に解放されました。占領された都市、町々はわが国民の心にもとへと取り戻され、解放の夢はいま現実のものとなったのです。

ともに国民として、アッラーの恩寵のもと、わが英雄的な軍の勇敢さと国民の不屈さをもって、多大なる試練と困難のなか、私たちは課せられた責務を果たし、成し遂げたのです。殉職戦死者ならびに負傷者が流した血とともに、国民は確固とした歴史的な勝利を勝ち取りました。これはのちの世代のイラク人すべての誇りとなるものでしょう。

きょう、私たちはイラク国民に呼びかけます。わが英雄たちは、ダアシュ(IS)の最後の拠点をここに一掃しました。最後に残されていた占領地域だったアンバル県の西部各地にイラク国旗を高々と掲げたのです。きょう、私たちの国旗はイラク全土、そして遠隔の国境地帯に至る隅々にまで、高く翻っているのです。

3年という長きにわたり、諸君の勇猛果敢なる部隊が各地の町という町、都市という都市をあいついで解放したのです。彼らの決意と確固たる信念は、敵を震撼させ、他方、わが同胞にとっては歓喜となり、世界からは、諸君が成し遂げた任務に畏敬の念が向けられました。

最も過酷で苛烈なる状況のなかにあって、困難や試練を乗り越え、打ち勝った姿。これこそがイラク人の正真正銘の姿であります。

イラク国民の皆さん。
きょう、皆さんは勝利を高らかに誇りましょう。国民の団結と決意、尊い犠牲があってこそ勝ち得た勝利です。アッラーの祝福をもって、この勝利を確固と守り抜き、国民どうし結束し、祖国に献身し、安全で安心できるイラクの新たな未来を切り開いていこうではありませんか。

この歴史的な機会に際し、私はわが親愛なる国民と勇敢なる戦士たちに、心からの、そして誠実なる祝福の賛辞を贈りたい。きょう、私たちが祝福する勝利は、すべてのイラク人にとって、祝日として後年にわたって記憶されるものとなるでしょう。

3年前に開始された解放作戦は、イラクの勝利の歴史に確固と刻まれます。そしてこれはまた、わが国民の歴史とその民の畏敬に値する神聖なる戦いにおいて輝き続ける灯火となるでありましょう。

殉職戦死者ならびに負傷者のご家族の方々に対しまして、申し上げたいと思います。「皆さんのお子さんたちの血は決して無駄に流れたのではありません。胸を張って、息子さんたちの犠牲献身が、イラクとすべてのイラク国民に確固たる誇りをもたらしたのです。

歴史は語り継ぐでしょう。大アヤトラ、サイード・アリ・シスタニ師が発した奮勇の導標たるファトワ(宗教令)が、わが祖国とすべての聖地を防衛するジハードを招集し、信徒たちはその呼びかけには馳せ参じ、若きも老いも最長におよぶ義勇兵動員をもってわが軍部隊を支え、テロに対する戦いとして、空前の義勇国民の総参集となりました。それによって、民衆動員隊(PMU)やその他の多数の有志参加者を結集させたのです。

イラク国民の皆さん
私たちの勝利は、わが国の分断の局面が到来した状況下にあって、イラクの結束の維持をもって確固としたものとして成し遂げられるのです。

アッラーの称讃のもと、これはイラクと国民の結束であり、大いなる国民的成果を形作るものであります。

私たちは分け隔てなくすべての国民に奉仕するにあたり、同様の決意と決心をもって臨むでしょう。国富を維持、発展させ、また質を向上させつつ、社会正義と法の支配を憲法の統治のもと、また、わが国民各人の自由、信仰、信条の多様性、民族的多様性を尊重しながらなされるものであります。

きょう、私たちは勝利の次の段階を迎えています。ダアシュ(IS)や他のトロリストや腐敗分子らが恐怖におののくなか、他方、わがイラク国民は、いかなる危害からも安全で、かつ治安が確保された統一国土イラクの新たな夜明けを目にしようとしているのです。

我々が成し遂げた勝利、この武器こそ統一です。そして、これは私たちが保ち続け、確固と守り続けなければならないものです。
きょう、イラクとその富は、イラク人すべてのものであります。東西南北にいたる各地で誰もが、安定と治安、発展と繁栄この勝利を享受できるものでなければなりません。

解放された都市や街を再建するのが私たちの次のゴールであり、その歩みを止めてはなりません。これらは。わが国の勇敢なる息子たちが国民を守りぬいてくれたすべての国土におよぶ地域です。

すべての政治家ならびに行政職員には、その責務を誠実に果たすことを呼びかけます。そして、テロが二度と戻らぬよう、平和と安定の確立に向けて尽力することを求めます。

ダアシュ(IS)集団の台頭を招き、わが国の町々を制圧し、数百万のイラク人を故郷から追い立て、筆舌に尽くしがたい惨禍や犠牲、国土の富と資源の多大なる損失を招くことにつながった、宗派利害や先導的な言辞を厳に慎むことをすべての国民に強く求めます。

すべての武器は国家の法的統制のもとに確固と管理運用されることが、わが主権国家を強化し発展させる最良の方途であり、それらはイラクに社会正義、平等、治安をもたらすものです。

腐敗に対する戦いの取り組みは、わが国と国民の解放における延長上にあるものです。イラクがダアシュ(IS)の存在を許さぬごとく、腐敗も存在を許してはなりません。

これはまたもうひとつの戦いでもあるのです。それぞれが自身の場において、積極的に取り組みに加わり、その一部となるものであり、ひとりや個別主体の責任とするのではなく、ともに分担し、社会が共有すべきものであるのです。

みなさんの国はいま、この地域において、その正当なる立場と地位を向上させつつあります。そして私たちはすべてのアラブ諸国ならびに周辺国と新たな関係を再構築してきたのです。また世界の他の国々に対しても同様であります。

これらの諸関係は、国家主権の尊重と互恵的関係のもとに構築されたものであり、互いの内政への干渉とは距離を置くものです。

勝利を導いたすべての方々に敬意を表します。わが勇敢なる治安要員、警察官、軍、民衆動員隊(PMU)、対テロ機関、空軍、陸軍航空隊、ペシュメルガ部隊、ならびに技術部門、医療、物資部門を含む各種すべての部隊、そして支援と協力してくださった市民の皆さん、部族指導者諸氏の方々にも同じく敬意の念を表明したく思います。

加えて、社会インフラや基幹サービスを復旧することを支え、貢献するために献身的に尽力した各省庁、政府機関の職員にも敬意を表します。解放のための任務のあいだ、国民と軍とともにあってくれたジャーナリスト、メディア関係者、芸術家、知識人、すべての自由なる声となった諸氏で犠牲となられた方々、あるいは精神的支援と声援を与えてくださった方々すべてを称え、敬意を表明したく思います。

ダアシュ(IS)の野望は潰えました。この残滓を一掃し、テロリズムが復活するのを許してはなりません。

わが国の若者たちが流した血、安全の喪失とコミュニティの治安、(戦火で)移住を強いられた数百万のご家族の苦悩をはじめ、わが国民は多大なる損害を被りました。このページは上書きして書き換えられねばならず、決して元に戻るようなことがあってはならないのです。

これは最終の勝利宣言でありますが、しかし私たちは警戒を怠ってはなりませんし、わが国と国民をテロの脅威にさらす、いかなる企てをも挫き、阻止するよう対処しなければなりません。

テロリズムは常に脅威であり、このテロに対する私たちの戦いは今後も続くのです。私たちの偉大なる勝利のカギは、結束と調和です。私たちはこれを確固として守り抜かねばなりません。

この(ISとの戦いの)期間中、イラク国民のために尽力していただいた各国の国民、NGO機関、人道支援機関にも感謝したい。

また、祖国を守るためにそれぞれ武器をとって戦ってくれたすべてのイラク人に敬意を表します。殉職者の御霊みたまとすべての負傷者、ならびに犠牲者たちのご家族に敬意を表します。その犠牲の一つ一つがイラクと国民の結束の証しなのです。

イラクの勝利万歳。イラクのすべての子供たちに、安全と繁栄があらんことを。

万有の御主、アッラーにすべての称讃あれ。

ハイダル・アル・アバディ  イラク首相
最高司令官
2017年12月9日

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ISに対する「勝利宣言」のスピーチをするアバディ首相。2014年、モスルが制圧された直後にファトワ(宗教令)を発して「ISに対する祖国防衛の戦い」を呼びかけたシーア派指導者シスタニ師にあらためて謝辞を述べている。(イラク首相府写真・2017年12月9日) アバディ首相のモスル解放宣言全文とシスタニ師ファトワ >>

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ISはシリア内戦の混乱を利用しつつ、イラク各地で勢力を拡大させ、西部一帯の都市を次々と攻略、2014年6月には北部の大都市モスルも制圧した。(写真は2014年当時のモスル攻略戦を伝えるIS映像)

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イラククルディスタン地域のペシュメルガ部隊もIS掃討戦を戦ったが、今回のアバディ首相の「勝利宣言」では一箇所出てくるだけで、クルド地域政府については言及すらしていない。アバディ首相は「イラク国土の統一」と表現していることからも、9月におこなわれたクルド地域独立を問う住民投票を実施したクルド地域政府を強く意識したと伺える。クルド政府が実効統治していたキルクークなどにバグダッド中央政府イラク軍や民兵を送り、緊張は続く。写真はクルド地域政府のバルザニ大統領(当時)。住民投票での前のバルザニ演説全文(2017/09/22) >>

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ISに対する「勝利の日」として、アバディ首相はバグダッドイラク軍の戦勝パレードを閲兵。イラク軍各部隊のほか、シーア派主導の民兵組織PMUもともに行進したが、クルドペシュメルガの姿はなかった。(首相府写真・2017年12月10日)

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後ろの文字は「勝利の日」。(イラク国防相映像・2017年12月10日)

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「勝利の日」閲兵式の米国製エイブラムス戦車。このほか、ロシア製戦車やイラン製機動車両も走行し、現在のイラクの国際関係を示すものともなった。後ろの剣を模した「勝利門」はフセイン政権時代に建てられたもの。(イラク国防相映像・2017年12月10日)

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イラクのアンバルやキルクークでもISの残存勢力が治安部隊などへの襲撃を繰り返している。西部のスンニ派地域ではISは去ってもシーア派主導政府への不信も根強い。シーア派民兵がIS支配地域だった町や村の青年を報復や金銭目的で拘束する事件も多発。スンニ派勢力や地元部族を政府がどうまとめながら治安回復と復興をするかが今後の大きな課題となる。(イラク国防相映像)

【IS動画・日本語訳+写真28枚】イスラム国(IS)戦術分析(27)◆出撃(2)「死の誓い」と殉教

◆「死の誓い」唱和した幹部アブ・マリク、スフナ攻略戦で戦死【動画+写真28枚】
イスラム国(IS)の宣伝映像には「死の誓い」の場面が何度も登場している。戦闘前に部隊が右手を重ねあい、「勝利か、殉教かを獲得するまで戦い抜く」とアッラーに誓う。今回の映像で「死の誓い」を唱和しているのはIS幹部アブ・マリク。この戦闘で本人も戦死。ISは、率先して前線に立って「死の誓い」の言葉を唱和し、戦死したアブ・マリクを殉教者として扱い、のちに追悼のための弔い合戦も展開。パルミラ制圧戦の端緒を開いたスフナ攻略戦と、死を誓って出撃し戦死した幹部アブ・マリクについて。

動画のロードに時間がかかる場合があります
【IS動画・日本語訳】シリア・ホムス県「スフナ解放戦」 一部意訳・転載禁止

シリア・ホムスで政府軍陣地に攻撃戦を仕掛けるIS部隊の映像。この戦闘は2015年5月上旬でパルミラ(タドムル)制圧に至るホムス県でのIS攻勢のひとつ。出撃前の「死の誓い」を唱和するのは、サウジ出身のアブ・マリク・アッ・タミーミ。ともに死を誓うアブ・マリクの部隊がシリア政府軍陣地に突撃する「勇姿」を描くプロパガンダとなっている。アブ・マリクはこの戦闘で戦死。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年5月)

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今回の映像の2015年4~6月のおおよその勢力図。赤斜線部分はISの攻勢でシリア政府軍が2か月間で失った地域。シリアの面積は日本のほぼ半分なので、九州よりも大きい広範な地域が短期間に制圧されたことがわかる。動画に出てくるスフナはパルミラとデリゾールを結ぶ町。ISはこのスフナ攻略戦ののちさらに進撃を続け、1週間後には歴史都市パルミラ(タドムル)までも制圧。その後、政府軍がスフナを奪還したのは2017年8月である。

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IS小型ドローンのカメラ映像。民生用ながらかなりの高度まで飛ばすことができているようだ。「イスラム国軍・無人航空機」との表現は、他の地域のドローン映像でも使われている。この当時はまだ偵察・撮影用途がおもだが、のちにドローンに爆弾や小型砲弾をつけて飛ばし、遠隔操作で敵の上空から投下する戦術へと進化を遂げる。

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映像の冒頭で「死の誓い」を唱和しているのは、アブ・マリク・アナス・アン・ナシュワン(アブ・マリーク・アッ・タミーミ)。ISの宗教指導も担う幹部のひとりだった。サウジ出身で2009年にアフガンに渡ったとされ、以前からサウジ当局やアメリカから手配リストに名が挙がっていた。密かにシリア入りを果たし、ISに忠誠を表明。

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タアブ・マリクは2015年4月のIS公式映像(フルカーン)に登場。欧米キリスト教世界を主軸とする十字軍同盟との「対決の論理」や支配地域内のキリスト教徒住民の扱いについて解説。映像の最後では、リビアの2つの場所でエチオピア人のキリスト教徒計30人を銃殺と斬首で処刑する残酷きわまりないシーンが挿入されている。(IS映像・2015年4月)

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戦死したアブ・マリク(右)。スフナ攻略戦が戦われたのは2015年5月13日。当時、ホムス県メディア部門が配信した速報写真には「スフナ戦における殉教志願ジハード戦士アブ・マリク・アナス・アン・ナシュワン師」とある。戦闘員とともに死を誓い、戦死したアブ・マリクをISは「殉教者」として扱っている。この写真では他の戦闘員を前に戦意奮起(タハリード)のスピーチを行なっているようだ。(IS写真・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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青いハチマキは意味があるのかとシリア人に聞いたところ、色そのものに宗教的な意味はなく、突撃して接近戦になった際に味方を識別するためや、部隊の決意のほどを示す意図があるのではないかということだった。別の戦闘では白や赤などのハチマキも使われている。(IS戦闘員に直接聞いたわけではないので実際のところは不明です。ごめんなさい)(IS写真・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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「スフナ解放戦の戦闘開始前の準備」とある。写真に写っているのは部隊の一部とみられ、これだけで30人以上。だいたいこのぐらいの人数が小隊(ムフルザ)に相当。これが複数で中隊(たぶんサラヤ)、その複数が大隊(カティーバ)を構成。一応、その上に旅団(リワ)があるが、ISは数百人規模の部隊でも「旅団」とつけて超大盛りにしたりするので、各隊の実際の人数規模は不明。(IS写真・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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突撃戦を前に、戦車を準備。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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「ヌサイリ(シリア政府軍)への突撃戦を前にズフル(正午)礼拝」。ISメディア部門は、こうしたシーンも宣伝写真に入れ込んでいる。(IS写真・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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シリア政府軍陣地に向けて突撃するISのT-55戦車。この作戦が戦われた2015年5月はISの高揚期で、コバニ戦では敗北したもののホムスでは小さな町や村を攻略しながら拡大攻勢を続けていた。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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政府軍陣地に突撃をかけるIS部隊。ISのナシード(宗教歌)「死に向かって進め」が挿入されている。死を誓って出撃する戦闘員の姿を映し出し、ジハードや殉教を連想させる仕掛けがプロパガンダに組み込まれている。IS戦闘員がよく動画で語るフレーズに「我々はお前たちが生きることを望む以上に死を望んでいる」がある。ただし、IS幹部でも逃亡したり、敵軍に拘束され尋問で内部情報を話す例も多い。ISプロパガンダを見るにあたっては、こうした部分にも留意しておくべきだろう。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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対戦車誘導ミサイル(ATGM)でシリア政府軍戦車を破壊。9M113 コンクールスのように見える。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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陣地から次々と逃げ出す政府軍兵士。上に示した地図でもわかるとおり、この時期、ISはホムス県で大攻勢をかけ、この一帯でのシリア政府軍の志気低下は著しかった。映像に挿入されているナシードは「軍事キャンプの歌」。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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敵陣までたどり着き、兵舎に近接突撃をかける。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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シリア政府軍陣地への攻略突撃(カタハム)で、目標のひとつを制圧したIS部隊。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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建物のなかにあったアサド大統領のポスターを引き破る。このあと次々と拠点を制圧していく。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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左はヒズボラの旗。このあとヒズボラの旗に火をつける。レバノンからのヒズボラ義勇兵はシリア政府軍兵士と比べて志気が非常に高いので、現場から逃げずに最後まで戦って死んだのではないかと推測される。右の旗の文字は「おお、アリー・イブン・アビー・タリーブ」。シーア派を示す映像を交えることで、スンニとシーアの戦いであると印象づけている。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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殺害したシリア政府軍兵士の死体(一部ぼかしています)や身分証なども晒している。(IS写真・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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政府軍陣地の攻略を果たし、祈りをささげるIS戦闘員。殉教と死、そしてアッラーからの勝利を想起させる編集になっている。(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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「ヌサイリ(政府軍)を一掃したスフナ」とある。ISは「背教徒・多神教徒・十字軍結託同盟たる勢力(ここではアサド政権とそれを支援するシーア派、さらにロシア)からスフナのムスリム住民を解放」という位置づけである。(IS写真・シリア・ホムス県・2015年)

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映像では、町に入ってきたIS部隊を「歓迎」する住民のようすが映っている。内戦という状況下、力のない一般住民は新たに入ってきた勢力を受け入れるしかない現実がある。同じ戦車のアップはこの下の写真↓(IS映像・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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右端の赤い丸で囲んだ部分はぼかしを入れたが、政府軍兵士とみられる生首をのせている。こんなのが戦車で町に入ってきて「統治」を始めるわけで、住民にはどうすることもできない。ISがいれば政府軍の空爆の巻き添えとなり、政府軍が奪還してもISの砲撃にさらされる。町を脱出できても生活の糧がなければ生きてゆけず、行き場のない住民は戦闘のはざまで耐えることを強いられる。(IS写真・シリア・ホムス県スフナ・2015年)

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左上が「スフナの解放」を伝えるISホムス県公式声明(2015年5月13日付)。同じ日にホムス県下の各地で攻撃戦があり、T4航空基地へのロケット砲攻撃やパルミラ(タドムル)でミグ戦闘機撃墜などいくつもの戦闘声明を出した。この1週間後、ISはパルミラ市を制圧。このときの一連のIS大攻勢の速度はすさまじく、政府軍兵士の志気にも影響を与えていた。

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スフナ制圧後、約2年間にわたってISの統治が続く。この写真は2016年6月にモスクでコーランを学習・暗記する子どもたちのようすを伝えている。(IS写真・シリア・ホムス県スフナ・2016年)

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モスクで子どもがコーランを学ぶこと自体はアサド政権下でもあったことだが、ISはこうした場所でジハードと殉教をセットにして教えたり、異教徒・他宗派排撃の思想を子どもの心にすり込む。斬首映像を見せたり、軍事訓練をさせ、殉教すれば天国が約束されるとして戦闘へと駆り立てる。(IS写真・シリア・ホムス県スフナ・2016年)

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戦死したアブ・マリクの死体とされる写真。ネットで出回ったもので真偽は不明。ぼかしを入れた部分の顔は損傷している。腰に黒い帯状に巻いているものは小型自爆ベルトのように見え、同じ日の出撃前の写真で同様のベルトをしている点や戦闘服、チェストリグの形状は一致する。

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ISは幹部が死亡した場合、公表を遅らせたり、伏せることが多い。アブ・マリクのような指導的幹部の戦死がIS公式メディアで写真つきの「速報」として出る例はあまりない。指導層であっても、死を誓って前線で一般戦闘員の同胞とともに戦ったこと、そして殉教者となったのだと伝える効果も意図したのではないか。

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アブ・マリクの「殉教」を受け、この後に続く攻略戦では、「アブ・マリク・アッ・タミーミ師・大攻勢戦」と彼の名を冠した作戦名がつけられ、動画はPART1・PART2が出ている。とくにPART2は歴史都市パルミラの制圧を伝える内容。これについては、次回に続く 

(IS内部の用語や軍事用語については不明な部分もあるので加筆・修正する場合があります)
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【IS動画・日本語訳+写真21枚】イスラム国(IS)戦術分析(26)◆出撃(1)「死の誓い」と薬物使用

◆死の忠誠で「勇姿」伝える一方、戦闘で興奮薬物も 【動画+写真21枚】
イスラム国(IS)プロパガンダが伝える勇ましいジハード戦士の姿。その決意の固さを示す「死の誓い」は、IS映像に繰り返し登場する。死をいとわず突撃する果敢さが、敵を苦戦させてきた。強い信仰心で武装した戦闘員の数は確かに他組織よりも多い。一方、戦闘の現場では大量の興奮覚醒薬物も見つかっている。戦闘時の興奮作用や鎮痛目的で使うものとみられる。今回は出撃時の「死の忠誠」映像に加え、薬物使用について考察。

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【IS動画・日本語訳】シリア・デリゾール「軍事空港一帯での戦闘」 一部意訳・転載禁止

前回と同様、シリア・デリゾールでの政府軍空港基地攻撃戦。一連の「アッラーからの勝利」シリーズではない。公開は2015年11月。撮影時期はそれより少し前の10月上旬。軍事空港一帯での戦闘の様子と自爆突撃する戦闘員らのメッセージのみを抜粋。

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IS部隊が出撃前にするいろいろなこと。武器弾薬準備、作戦説明のほかに隊長(アミール)の戦意奮起(タハリード)、バグダディ指導者への忠誠や死の誓い、そしてアッラーからの勝利を祈る礼拝などがある。いずれも戦闘での戦意奮起や固い決意を示すものとして宣伝映像に挿入されている。タハリードは前回解説 >>

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互いに右手を差し出し「誓い」(バイア)を唱和するIS戦闘員。バイア自体はムハンマドの時代にさかのぼるもので、ISが作り出したものではない。ただ、ISはバグダディへの忠誠や死の誓いに宗教性や歴史性を付与し、戦いも異教徒殺戮もすべて根拠のある正当なジハードのように見せている。

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フード付きの迷彩戦闘服を揃えている。戦闘員らに向けて発する言葉は「殉教か勝利か」の戦意奮起であると同時に、ジハードへの意志確認でもある。

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複数のカメラを使い、撮影段階から「勇姿」を演出する計算がなされている。全員フードを被るよう指示もしているのだろう。当時はまだシリア入りが比較的容易だった時期。これらの「カッコよさ」を伝える映像に感化され、各国からIS入りした者も少なくない。

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ボディアーマー(防弾ベスト)を着用しているようにみえるが、プレート挿入部分から青い起爆ケーブルが伸びているので、爆薬を入れた自爆ベストとして使っていると思われる。こういう場合の自爆ベストや自爆ベルトは近接突撃戦での自爆用のほかに、敵に包囲された場合の自決用でもある。また「固い決意」を示すアイテムともなっている。

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戦闘員に向けて、「敵前逃亡はもっとも重い罪のひとつ」と説く。「さらなる戦いに備えたり、味方の隊への合流する場合を除いて、戦いの日に敵に背を見せるような者は、たちまちアッラーの御怒りを背負い込み、その者の行く先は地獄」(戦利品章:16節)とコーランを引用し、逃亡や投降を認めないことをあらためて確認している。

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中央の戦闘員は丸いボール型の手製爆弾(アブワ・ナスィファ)をぶら下げている。防護壁爆破や近接戦での投げ込み弾としてISがよく使う。このデリゾール軍事空港基地攻略戦の映像は、2015年10月上旬のもの。武器装備もふんだんにあった時期で、繰り返し空港基地一帯を攻撃していた。結局、ISは多大な犠牲を出しながら、この空港基地を攻略することはできなかった。基地を死守したシリア政府軍側の損失も多大なものとなった。

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この映像では2人の戦闘員が装甲車両で自爆突撃を敢行している。ひとりはアブ・オマル・アル・マスリとあるので、エジプト出身とみられる。ISのプロパガンダ映像の組み立て方は、「ジハードはムスリムの義務・カリフ再興を願う者はイスラム国に移住せよ・敵はイスラムを攻撃している・敵と戦って死んだら殉教となり天国が約束されている」のような手法が多い。のちにIS地域入りが困難になると、「自分の国で決起し、一般市民を狙え」といった扇動が増える。

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シリア政府軍拠点に向けて自爆突撃するアブ・オマル・アル・マスリの装甲車。旧ソ連時代に開発されたBTR-50のようだ。

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2人めの自爆要員は「イスラム国へ来たれ」と呼びかける。シリア・イラクの多くの一般住民、そしてスンニ派指導者や他のジハード系武装組織でさえ、「バグダディとか、こいつ、そもそも誰やねん」と思っている。バグダディがカリフを名乗る宗教的根拠も正当性も不明である。「今日からバグダディ師がカリフ。スンニ派ムスリムとカリフ制再興を願う者はイスラム国とバグダディに忠誠を誓え。文句言うやつはみんなアッラーの敵」とする無茶な論法にもかかわらず、巧妙なプロパガンダに取り込まれ、シリア入りした外国人も少なくない。バグダディ・カリフ宣言(2014)>

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第2の自爆突入装甲車両 BMP-1。砲塔部分の文字は「カディシーヤ軍」とある。現在のイラクナジャフ近郊で正統カリフ時代イスラム軍勢がササン朝ペルシア軍を打ち破った故事にちなんでいるようだ。イランやシーア派への対抗から、スンニ派武装勢力にも「カディシーヤ軍」の名を冠する組織がある。

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IS映像には「死の誓い」「バグダディへの忠誠の誓い」がいくつも出てくる。いずれも右手を差し出し、ジハード戦士として戦い抜くことを誓う。写真は2015年4月、サラハディン・イラク軍堡塁突撃戦を前に、少人数の分隊で誓いを唱和する様子。「イスラム国兵士によるアッラーの大道の死の誓い」とある。(IS写真・イラク・2015年)

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シリア・ホムスの前線で政府軍陣地に突撃をかけるIS部隊の出陣前の「死の誓い」。例えば日本軍も兵士に死を誓わせ、戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」は自決や玉砕戦にもつながった。日本軍は天皇陛下と皇国のため、ナチス・ドイツ軍は総統と第三帝国のため、ソ連社会主義祖国のためと、どの軍隊でも兵士に「忠誠と死」を求める部分には共通性がある。ISの「死の忠誠」だけをもって、そこに狂信性や特殊性を見るべきではないだろう。(IS写真・シリア・2016年)

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ISラッカ県メディア部門は、2015年、「死の誓い」とタイトルをつけた映像を公開。シリア・ラッカからイラク・サラハディンへの増援部隊の出撃で、死の誓いを立てる内容。「さあ兄弟たちよ、十字軍、ラフィダ(シーア派イラク軍)、ヌサイリ(アラウィ派シリア政府軍)に思い知らせるのだ。アッラーの軍勢と戦ったことを後悔させてやれ。シリアからイラクに出撃する殉教志願戦士と決死突撃戦士が戦列をなし、苛烈な殺戮戦を仕掛けよ!」と戦意奮起のスピーチを行なっている。(IS映像・2015年・シリア)

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「死の誓い」を英雄的、扇情的に映し出すISだが、実際はどうだったのか。サウジのような国からシリア入りしてきた戦闘員は、宗教的なガチ度も強く、決死性が高い傾向があった。一方で、シリアの貧しい農村出身の地元青年らは、家族を養うためにとか、村の部族の動員で入ったりする例が多かった。なかには殉教を信じた者はいるものの、逃亡したり、降伏して捕虜となった者も少なくない。(IS映像・2015年・シリア)

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日本軍にも、敵に包囲され玉砕突撃や自決した兵士もいれば、捕虜になった者もいる。戦いに殉じた上官がいた一方、部下や住民さえ見捨てて逃げた指揮官がいる。ISも同様で、確かに「ジハードでの殉教は天国に至る道」と信じて戦死した者もいれば、投降した者もいるし、逃げた司令官もいる。そういった意味では、軍の決死性の突きつけの度合いこそあれ、どの世でも、どの地でも似ているところがあるとも思える。

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ISが敵弾のなかを果敢に突撃できたのは、信仰心や志気の高さもあるが、もうひとつは一部部隊で薬物を使用していたという点。ISは宗教警察を設置し、麻薬・大麻などの薬物を厳しく取り締まり、イスラム法統治を宣伝した。一方、戦闘現場で興奮作用や鎮痛目的で覚醒薬物を使用していた。享楽目的でない薬物をISがどう規定しているかは不明だが、戦闘での薬物使用は対外的には伏せられてきた。(IS写真・2016年・シリア)

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クルド・人民防衛隊(YPG)の戦闘員が携帯で撮った映像。殺したIS戦闘員のポーチから薬物と注射器が出てきたところ。小分けのパックになっている。組織的に部隊に供給されていたのか、一部の激戦地域の部隊が使用していたかは不明。医療用途やモルヒネのような鎮痛剤ではないかとYPG司令官に確認したところ、鎮痛用と興奮覚醒用の2つの目的があるという。突撃に失敗して拘束されたIS戦闘員のなかには、薬物の作用でもうろうとして、ろれつが回らなかったり、極度の興奮状態で明らかにおかしい者もいたということだった。(YPG映像・2014年)

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シリアを取材したときに撮影。YPGがIS拠点に突撃して殺した司令官が所持していた薬物。コバニ南部戦線で指揮をとっていたIS司令官(アミール)、アブ・ザハラのもの。ISは恐怖心克服の興奮覚醒用や負傷時の鎮痛用で使っていたという。実際に袋を手に取ってみると、ふわっとする感じで、見た目よりもえらく軽い印象だった。吸引か注射か聞いたら、吸引もあるだろうし、注射器も見つかっていると話していた。ビニール袋に穴が開いていて、手とか服の袖についてあせった…。(シリア・コバニ・2014年12月・撮影:坂本)

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短剣も死んだIS司令官アブ・ザハラの所持品。その下の黒いのはラップトップPC。耐衝撃・防塵・軍用規格準拠のDELLのXFRとかすごいの持ってた。殺されてからまだ2時間ぐらいのときに撮影。(シリア・コバニ・撮影:坂本)

【動画】ISが使っている戦闘時の薬物(転載禁止)

せっかくなので短いですが動画もあります。「戦闘時に注射」とコメントが入っていますが、YPG戦闘員は吸引も注射も両方あるだろうと、言ってました。(シリア・2014年12月末・撮影:坂本)

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戦闘での恐怖心克服や興奮作用のための薬物使用は珍しいわけではない。かつて日本軍でもヒロポンのような覚醒薬物が使われていた。ただISは「死の誓い」「アッラーの大道」を前面に押し出し、勇猛なジハード戦士像を見せ、自らをアッラーの兵士などと宣伝しながら、一部の戦闘現場で興奮覚醒剤を使用していた現実があった。無理やりISに入隊させられた地元住民、少年などは志気も高くない。薬物で突撃させられた例もあるのではないか。(IS映像・2015年・シリア)

(IS内部の用語や軍事用語については不明な部分もあるので加筆・修正する場合があります)
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【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(4)〔アーカイブ〕写真7枚(全4回)

◆「シリア・クルド自治区化」とシリアの一体性
イスラム国(IS)との戦いと同時に進められるシリア北部の行政統治。2016年3月には「ロジャヴァ民主連邦」樹立が宣言された。コバニ県知事アンワル・ムスリム氏はロジャヴァ(シリア・クルド地域)の将来像をどう描いているのか。インタビューの第4回め。(取材は2014年12月末)
第1回第2回第3回第4回

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2015年1月末、約4か月半にわたる攻防戦を経て、コバニ市内からISを掃討したとして「勝利宣言」をするアンワル・ムスリム・コバニ県知事(中央)。右はマハムード・ベルホェダン・人民防衛隊(YPG)司令官(インタビュー記事 >>)。近郊農村地区はまだISが展開し、YPGとの戦闘が続いた。また、市内でISが設置した仕掛け爆弾で多数のYPG戦闘員が死傷した。(2015年1月末・クルド地元メディア写真)

アンワル・ムスリム・コバニ県知事インタビュー(4/4)

◆坂本:コバニで反アサド政権の動きが広がった当初は、自由シリア軍(FSA)系支持者も多数いましたが、一部の報道では、アサド政権がクルド側の民主統一党(PYD)と合意を結んで、「クルド側が政権打倒を掲げず、FSAにこの地域に関与させないなら、クルド自治を認める密約を交わした」とする説も出ました。これは本当でしょうか?

アンワル氏:  いくつかの方面から批判が出たのは事実です。アサド政権派からは、私たちが反体制諸派と結託していると批判を受け、他方、反体制派からは私たちがアサド政権と手を結んでいるのではないかなどとする批判です。私たちはそのいずれでもありませんし、私たちはクルド人の権利のために尽力して活動してきました。1946年のシリア独立以降、クルド人の民族的権利を求めて闘い続けてきました。それはクルド語を認めてほしいという権利を含むものです。しかし、今日に至るまで、その権利がもたらされることはなかったのです。

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IS拠点の建物に突入したYPG戦闘員が、ISの残したスローガンを消すためにPYDの旗で覆っていた。ロジャヴァではPYD以外のクルド勢力も存在するが、PYDが早い段階から政治的主導権を握ってきた。(2014年末・コバニ・撮影:坂本)

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これはIS宣伝映像から。コバニを「アイン・アル・イスラム」と表記している。2014年段階では、YPGと自由シリア軍の一部の部隊が部分的な共闘関係にあった。YPGはラッカ攻略のための「ユーフラテスの火山作戦」構想を打ち出すが、欧米諸国の支援が得られず実現にはいたらなかった。ISが世界的脅威となると状況は一転、2016年末には「ユーフラテスの憤怒作戦」としてクルド勢力主導でラッカ攻略戦が開始された。ISはYPG・PKKは無神論者、自由シリア軍を背教徒などと呼び、プロパガンダで批判を繰り返した。(2014年11月・IS映像) 

今後、ロジャヴァはシリアにおける「クルド自治区」となるのでしょうか? その場合、どこが「首都」となるのでしょうか? コバニ、カミシュロ、アフリンのどれしょうか?

アンワル氏: 現在、コバニは「抵抗の首都」となっています。ロジャヴァだけでなく、全世界がそうした状況です。しかし私たちにとっては今後、どこが首都になろうとも問題ではありません。なぜなら私たちはシリア全体のコミュニティの平等性を求めているからです。これはこの地域の構成主体である住民全体が共通で議論する問題です。ロジャヴァにはクルド人以外の人もいるので、どこが「首都・首府」となるかついてもクルド人だけでなく、皆で希望を出し合いながら議論して進められるべきことです。そうした問題を話し合うのはまだ早いと思いますし、しばらく時間をかけるべきことでしょう。

コバニは「抵抗の首都」であり、ホムスは「進歩の首都」であり、他の町は他の首都であっていいでしょう。ただし、全体にとっての首都はダマスカスであることに変わりありません。

私たちには3つの県(カントン)の共同調整会議があります。それぞれの県には3人の構成委員がいます。おそらく現在はカミシュロが「首都」と皆が考えていると思います。しかしコバニの抵抗闘争ゆえに将来はコバニが「抵抗の首都」と認識されるように人びとの考えが変わるかもしれません。(了)
第1回第2回第3回第4回

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アンワル氏とインタビューした時点では、ISとの戦いや避難民支援などが主要な課題で、将来的な統治形態のありかたには深い言及はなかったが、のちにロジャヴァ3県件は、さらに自治色を強めた民主連邦制構想を打ち出し、2016年3月には北シリア・ロジャヴァ民主連邦を宣言(写真)するに至る。またコバニ県はのちにユーフラテス県と改称。2016民主連邦宣言・全文>>

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これはすこし古い写真で、内戦前、アサド政権統治時代にコバニを取材した2004年に撮影した看板。当時はアラブ名アイン・アル・アラブ(=アラブの泉)のみで表記されていた。「コバニ」はクルド語ではなく、オスマン帝国末期にバグダッド鉄道を建設したドイツの鉄道会社がここに線路を敷設しにやってきたことに由来する。住民のあいだで、会社(カンパニー)がなまって、コバニとなったとされる。(2004年8月:撮影・坂本)

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ISはコバニの一部を制圧すると町の名をアイン・アル・イスラム(=イスラムの泉)に改称。のちに敗退したため、定着しなかった。IS映像では、アイン・アル・アラブ、コバニ、アイン・アル・イスラムの呼び名が混在。写真の背後の看板はクルド語とアラビア語で「ようこそコバニへ」とあった。ISは黒スプレーで消し「アイン・アル・イスラム」と書き換えた。(IS写真より)

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YPG戦闘員の後にある肖像はオジャランPKK指導者。アラブ人地域では、ISからの解放は歓迎し、安全と復興に期待を寄せつつも、こんどはクルド勢力に統治されることへの不安やオジャラン絶対化への不満も渦巻く。(2014年末・コバニ・撮影:坂本)

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【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(3)〔アーカイブ〕写真8枚(全4回)

◆ISが世界の脅威となるなかで
2014年6月、イスラム国(IS)が「国家」を宣言すると、勢力拡大の動きはさらに加速した。戦闘員志願者を募ると同時にリアビアやアフガンでの支部建設を進め、さらに欧米での襲撃をも呼びかけた。アメリカがこれまで支援していた自由シリア軍が離反や内部対立を繰り返すなか、米軍主導の有志連合は、ISと互角に戦えるクルド・人民防衛隊(YPG)への軍事支援に動きだす。一方、「YPGはクルディスタン労働者党(PKK)傘下のテロ組織」とするトルコはこの動きを強く警戒。コバニ県知事アンワル・ムスリム氏は、有志連合との連携やトルコに対する見方について話した。現地取材アーカイブの3回目。(インタビューは2014年12月末)
第1回第2回第3回第4回

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インタビューに答えるアンワル・ムスリム・コバニ県知事。ISに包囲されたなか、戦える者は誰もが銃をとる状況に追い込まれていた。政治家で弁護士のアンワル氏の傍らにもライフル銃があった。「ISに町を占領されると二度と取り戻せない住民の犠牲が出ない戦闘地区であれば、空爆で家屋が破壊されてもやむを得ない」と暫定自治行政当局は苦渋の決断を下した。(シリア・コバニで)

アンワル・ムスリム・コバニ県知事インタビュー(3/4)

◆坂本:コバニ県行政当局は、アメリカにも支援を求めました。その結果、コバニのIS拠点に対する空爆作戦が始まり、いまも続いています。これはコバニ当局者の皆さんの要請に対し、アメリカが応えたものですか、それともアメリカ側がやってきて、空爆支援について向こうからアプローチしてきたのですか?

アンワル氏: 私たちは国際社会全体に向け、テロ集団ダアシュ(IS)と戦うための呼びかけをしました。これに対し、40カ国が呼びかけに応えました。それらの国々は肯定的に応え、その中にはアメリカもありました。そしてアメリカ主導のもと国際的な有志連合が空爆作戦を進めています。世界の脅威であるISに対し、私たちが民族として戦っていたため、彼ら(アメリカ)が私ともとにやってきて、私たちもこれに応えました。

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【IS】ISはコバニを包囲し、市街地への入り口を固めていたYPG拠点を次々と制圧しながら町のなかに攻め込んだ。(IS映像)

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【IS】コバニ市内を進むIS部隊。とくにコバニの南部と東部地区が激しい攻防戦となった。(2015年1月・IS映像)

◆現実にはアメリカやヨーロッパ諸国はYPGをPKKの一部と見なしています。アメリカがISに対し、軍事行動や空爆をしているのは、自分たちの国に脅威と感じるゆえであって、ロジャヴァでのクルド人自治獲得の支援が目的ではないように見えます。それは皆さんが目指すゴールとは異なっているのではないでしょうか。アメリカやEU諸国に完全な信頼を置いて、ともに活動や作戦を進めることはできると考えていますか?

アンワル氏: PKKはテロリストではありません。クルドのために戦う組織です。トルコには2000~2500万人のクルド人がいます。

彼らは民族的権利を持つことなく暮らしてきました。トルコでは、ただ「自分の言語」を話したというだけで数え切れないほどの人びとが投獄されたのです。彼らは権利を奪われた状態におかれてきました。言葉の権利、文化の権利もなく、クルド人の歴史そのものも否定されてきました。こうした背景から、クルドの民族的権利を取り戻す戦いがトルコで高揚したのです。

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米軍主導の有志連合軍はコバニのIS拠点に戦闘機や攻撃型ドローンで空爆を続けた。YPGは、地区ごとのIS部隊の布陣情報を有志連合に伝えた。ISはYPGを「背教徒・十字軍の輩徒」などとし、宣伝映像で批判を繰り返した。写真はISが撮影したコバニ上空の戦闘機。(2015年1月・IS映像)

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IS拠点に着弾した有志連合軍の戦闘機からの爆撃。建物の向こう側はIS部隊の陣地。IS側も砲撃を加えてくる。砲撃と空爆で多くの地区が破壊された。(2014年12月末・撮影:坂本)

◆PKKの武装闘争の過程で、トルコでは一般市民も犠牲となった過去があります。ゆえにトルコも欧米諸国も「テロ組織」と指定しているのではないでしょうか?

アンワル氏: YPG・YPJもPKKもいずれもクルド人の権利のために戦っている組織です。ゆえにクルドを弾圧してきたトルコ政府の一方的な主張だけを受け入れて「テロリスト」などと呼ぶのは正しくありません。PKKはバクール(北クルディスタン=トルコ・クルド地域)はクルド民衆のために戦う組織であり、トルコ国内の民主主義と平和のために戦う運動体です。 

トルコはNATOメンバーでもあり、従ってアメリカやヨーロッパ諸国もトルコに歩調を合わせる形でPKKに対する姿勢をとり、PKKを「テロ組織」のリストに入れました。私たちはこの自由と民主主義のために闘う運動をテロリズムとはみなしませんし、国際社会はPKKへの見方を見直すべきと思います。PKK指導者オジャラン氏は、「平和への歩み寄り路線」を打ち出しています。私たちはこのプロセスに協力したいと思っています。

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戦闘が激しかったコバニ南部前線地域のIS拠点。手前は空爆で吹き飛ばされた建物。まだIS戦闘員の死体が残ったままだった。この向こうはすべてIS地区で背後の丘の先はラッカまで続く。(撮影:坂本)

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【YPG】コバニでISと攻防戦を戦うYPG戦闘員。(2014年12月・YPG映像)

◆ISはシリアだけでなく、その影響力を外部にも急速に拡大させつつあり、ヨーロッパ諸国やアメリカは「世界の脅威」と見なすようになっています。そのISと対決し、コバニから排除するために何が必要でしょうか。また、世界はISとどう向き合うべきと考えますか?

アンワル氏: まず何よりも、人道的な安全回廊(コバニとカミシュロの間をつなぐ地域を結び住民のための安全地帯を人道的に確保するという意味)を構築することが重要です。なぜならコバニはISによって包囲され、戦闘と関係のない一般住民が身動きできない状態で、苦しんでいます。

他方で、ISと戦うYPGのための武器と弾薬が必要です。彼らは人道のためにISのテロ集団と戦っているのであり、そのためには武器・弾薬が必要なのです。国際社会には、最前線でISと戦うYPGへの支援を求めたい。

すべての人が知っているごとく、ISはコバニの敵、クルド人の敵だけではありません。アメリカ、ヨーロッパそして日本も含む世界の脅威であり、敵でもあるのです。リビア、サウジなど各国から入り込んだ戦闘員がいて、ISが存在し続け、拡大すれば、シリア、イラクだけでなく、各国の市民に対し、テロを企てるでしょう。ゆえにこのテロ集団に対し、軍事的、政治的に世界各国が一致して対処しなければなりません。

政治家は政治を担い、軍事指揮官は戦闘任務を担っています。しかしISを掃討するには、コバニの地上戦だけを戦うのではなく、国際社会が軍事支援に加え、政治的な包囲網を構築し、団結してISに打ち勝たなければなりません。
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第1回第2回第3回第4回

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シリア国境沿いに展開したトルコ軍の戦車。トルコはPYD・YPGを「クルデスィスタン労働者党(PKK)と一体のテロ組織」と見なしている。また米国やEU諸国もPKKをテロ組織に指定しているが、ISと戦うYPGについては別組織という扱いで、トルコ政府はYPGに軍事支援しないよう関係国に求めてきた。(2014年12月・撮影:坂本)

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国際支援を訴え、イラクのフアード・マアスーム大統領(中央)に会うアンワル・ムスリム・コバニ県知事(右から2番目)。左から2番目の女性はギュルタン・クシャナック・ディヤルバクル市長(当時)。(2014年・クルド系ANF通信写真より)

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【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(2)〔アーカイブ〕写真8枚(全4回)

◆IS侵攻で20万人の避難民
2014年9月、コバニへの侵攻を始めたイスラム国(IS)。近郊の農村地帯も含め村や町を追われ避難民となった住民は20万人にのぼる。その多くはトルコ国境に避難した。コバニで苦境に立たされたクルド・人民防衛隊(YPG)は、米軍主導の有志連合軍の空爆支援を受けながらISに対する抵抗戦を続けていた。切迫した状況になか、コバニ県知事アンワル・ムスリム氏は国際支援の必要性を訴えた。(インタビューは2014年12月末)
第1回第2回第3回第4回

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アンワル・ムスリム・コバニ県知事。ISの侵攻でコバニ住民が過酷な状況にあるなか、国際支援を訴えた。コバニ県はのちにユーフラテス県に改称。 (シリア・コバニ)

アンワル・ムスリム・コバニ県知事インタビュー(2/4)

◆坂本:ISはコバニ制圧のために、ラッカやマンビジからたくさんの戦闘員を送り込みました。これに対し、皆さんは激しく反撃しました。ISは幾千もの戦闘員をここで失い、これはISにとっても高くついたコストとなったわけですが、なぜISはそこまでしてコバニを制圧したかったのでしょうか?

アンワル氏: まず第一の理由として、ダアシュ(IS)は「イスラム国家」なるものを宣言し、モスルからラッカ、デリゾール、その他のシリアの地域にわたって支配下に置こうとしてきました。そして地理的にこれら地域を「イスラム国」として統合させようと試みてきました。コバニはロジャヴァ東西をつなぐ要衝でありながら包囲が続いてきました。

ISは6月にモスルを制圧するとイラク軍基地から大量の武器を強奪します。その軍事力を背景に西方への展開をすさまじい速さで拡大させたのです。 

もうひとつ理由としては、ISはクルドが独立し、民族的権利のもとにシリアの一つのモデルとなる民主自治を私たちが確立するのを何としても阻止したいのです。

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【IS】2014年9月、ISはコバニへの侵攻を開始。ラッカ、テルアブヤッド、マンビジの3方向から大部隊を送り込み近郊の村々を制圧。写真はコバニに向け進撃するIS部隊。(IS映像)

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【IS】コバニ市内に瓦礫のなかを走るIS戦闘員。ISはラッカ県とアレッポ県から部隊を投入。この映像はISアレッポ県メディア部門が公開したため、右上のロゴは「アレッポ」となっている。(2014年11月・IS映像)

ISの侵攻の速度は非常に早く、住民の多くはトルコへの越境を余儀なくされました。避難民の受け入れにトルコ政府の協力は十分だったと言えますか?

アンワル氏: ISから逃れるために、ジャジーラ(カミシュロ・ハサカ一帯の地域)に逃れた人もいます。他はアフリンに逃れた住民もいますが、ほとんどは国境を越えてトルコ側に逃げました。国境を挟んで親戚がいたりする住民もいたからです。すべての避難民がキャンプにいるというわけではなく、トルコ側にいる村の親戚の家に身を寄せている人も多数います。

ISの侵攻で土地を追われたのはクルド人のほか、アラブ人、トルコマン、キリスト教徒も含まれています。20万人におよぶ住民が避難民となり、その多くが着の身着のままで国境を越え、トルコに逃れました。

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【YPG】IS拠点への突撃戦で瓦礫のなかを進むYPG戦闘員。左はトルコ南東部からYPGに義勇入隊したクルド人。(2014年12月末・撮影:坂本)

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ISとYPGの激しい戦闘で破壊されたコバニ。(2014年12月・撮影:坂本)

住民に必要な支援活動をするクルド諸政党、行政機関、民間団体のいずれもが、トルコ政府に支援を求めたものの、今まで何らの支援も受けることができていません。トルコ当局は国境の通過のみを認めただけです。しかしこれは十分とはいえません。

私たちは人道団体や国際援助機関に人道的な支援を呼びかけています。とりわけ冬は子どもや女性に様々なものが必要となります。もし支援がなければ、こうした状況がさらに悪化するでしょう。 

実際にはトルコは、国境を挟んだシリア側にクルド人の行政統治機構が出現することを望んではいません。ゆえにISを様々な形で支援し、私たちの動きを牽制し、妨害しているのです。

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コバニのYPG地区に撃ち込まれたIS側からの砲撃。住民のほとんどは近くのトルコ国境を越えて避難民となった。(2014年12月)

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コバニからトルコ側に逃れてきた避難民の子ども。ISが町に攻め込んできたため、国境の鉄条網地帯を徒歩で越え脱出。避難生活の家族を少しでも支えるために、冬の寒空の下、路上でパン(ナン)を売っていた。トルコの貨幣に慣れず、きょうだいで必死に計算していた。(2014年12月・トルコ・スルチ・撮影:坂本)

具体例としてはトルコ国境側からISがコバニの私たちを攻撃してきたこともあります。モスルを制圧した際、ISはモスルで人質にとった外交官、職員と家族ら49人を解放しました。

他方で多くの国々の人びとがISの人質となっています。ISはこれらの人質を解放していません。トルコ外交官だけがなぜ解放され、その他の人質だけが解放されないのか。解放交渉の過程で何らかの「合意」や「取引」があった可能性もあります。

トルコはISに対する有志連合には入っていません。すべての国際社会が一致してISに対して戦っているなかで、なぜトルコは参加していないのでしょうか。私たちはトルコ政府に対し、ISに対する立場を明確にするよう求めてきました。トルコは表面ではISの脅威を言いながら、それと戦う勢力や避難住民に冷ややかな態度をとっているのが現実です。
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第1回第2回第3回第4回

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シリア国境沿いを走るトルコ国境警備隊の装甲車。その向こうの鉄条網を隔ててシリア。たくさん並ぶトラックや自動車はシリアからの避難民が越境する際に置いて残してきた車両。トルコ政府にとってはシリア・クルド自治区化すれば、PKKの出撃拠点となるかもしれず、また国内のクルド人の運動にも大きな影響を与えるためロジャヴァの動きを強く警戒している。(2014年12月・撮影:坂本)

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第1回第2回第3回第4回

【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(1)〔アーカイブ〕写真9枚(全4回)

ISへの抵抗戦とロジャヴァ革命
シリア北部では内戦の初期段階からクルド人居住地域の各都市をクルド勢力が掌握。暫定統治機構が地域を3つの行政区域カントン(県)に分け、ジャジーラ(カミシュロ、ハサカを含む地域)、コバニ、アフリンで暫定自治を進め、2016年3月には「ロジャヴァ民主連邦」樹立を宣言した。

これはコバニ県「首相」(いわゆる県知事)のアンワル・ムスリム氏との現地でのインタビューで、取材したのは2014年12月末。イスラム国(IS)の包囲下で激戦が続いていたため、対IS戦の状況などがおもな内容となっているが、ロジャヴァ(シリア・クルド地域)での一連の戦い、アサド政権やトルコとの関係をコバニ行政最高責任者がどう位置づけているかを知る手がかりとなるだろう。
第1回・第2回第3回第4回

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ロジャヴァ地域コバニ県首相(=県知事)アンワル・ムスリム氏。行政統治部門の最高責任者としてコバニと近郊地域を含む県行政を統括する。弁護士出身で内戦前からクルド人の人権問題に取り組み、アサド政権の秘密警察に「国家分断、テロ組織組織活動」などを理由に逮捕、投獄された経験がある。(シリア・コバニ:撮影:坂本)

アンワル・ムスリム・コバニ県知事インタビュー(1/4)

◆坂本:現在の「県」(カントン)による自治行政統治機構は何を目指しているのでしょうか?

アンワル氏: ロジャヴァ西クルディスタン=シリア・クルド)において私たちが求めているのは、「シリアの民主的体制・民族的権利・平等」です。この実現こそ中東におけるひとつのモデルとなると信じています。 

シリアでの民衆運動は当初、平和的なものでしたが、反体制勢力各派は、これを武力を通じた反政府武装闘争に変えようと試みました。クルド人は、シリアにおける私たちの地域での基本的生活権を保障し、町と人びとを守るため、平和的な運動を追求してきました。 

2012年7月19日、コバニで民衆革命が起こりましたが、自由シリア軍(FSA)などの武装組織、そして過激組織を含めた諸派がこの革命を破壊しようと企図し、コバニを包囲し、攻撃しました。これに対し、人民防衛隊(YPG)と地元住民は防衛戦を戦い抜きました。 

2014年1月には、暫定憲章採択をもって私たちはアフリン、コバニ、ジャジーラで「自治行政区」を宣言するに至ります。しかし各派との対峙に続いて、こんどはダアシュ(IS)が台頭し、激しい攻撃を加えてきました。それがいま直面している戦いです。私たちはISに対し、100日にわたる抵抗戦を戦っています。民主主義、平等、市民、そしてこの町をテロリストから守るために戦っています。多数の死傷者が出て、町もひどく破壊されています。しかし、平等な民主社会をロジャヴァに建設する目標を実現させねばなりません。

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カミシュロ蜂起(2004年3月)は、シリア北東部のクルド人が多いカミシュロ(アラブ名カミシュリ)で、サッカー地元チームとスンニ派アラブ人の多いデリゾールチームのサポーターが衝突(写真左)したことに端を発する。市内での暴動に発展し、治安部隊の発砲で死者があいつぎ、抗議したクルド人が反政府デモを繰り広げ、アサド像や治安機関庁舎が破壊されるなどした。抗議行動(写真右)はカミシュロからアムーダ、コバニ、アフリンなど北部各地の都市にもおよんだ。アサド政権は増援部隊を送り込んでデモを鎮圧し、死傷者のほか多数の逮捕者が出た。この前段状況がのちのシリア内戦でのクルド勢力の動きにつながっている。(写真・2004年3月:住民撮影)

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2011年、「アラブの春」はシリアに及び、全土に反体制運動が広がった。アサド政権と反体制勢力の衝突は内戦へと至る。シリア北部コバニは当初、複数の反体制派やクルド諸組織が混在し、写真のように旗も自由リシア軍系やクルディスタン旗など様々だった。のちに反体制勢力各派が衝突するようになると、活動基盤や防衛機構を固めていた民主統一党(PYD)・人民防衛隊(YPG)系の組織がシリア・クルド地域での運動のヘゲモニーをとる。(2012年4月・地元住民撮影)

ロジャヴァ西クルディスタン=シリア・クルド地域)でのクルド民衆蜂起と、そのあとに続くISに対する抵抗戦の背景はどこに由来するのでしょうか?

アンワル氏: 2011年3月11日、政治変革と人権を求めたシリア革命の前から、クルド人はシリアにおける民族的権利のために闘い続けてきました。シリアのクルド人の人口は300~400万人ですが、これらクルド住民に対して、アサド政権は「文化抹殺政策」を推し進めてきたのです。 

政治犯として投獄され、拷問された人もたくさんいます。2011年以前にはいくつかの前段階状況があります。とりわけ2004年にカミシュロでの反乱がありました。この革命闘争をもって、シリアのクルド人が運動の表舞台に出ることとなりました。すべてのクルド住民が望んだのは、民主的政治体制でした。それを勝ち取るために、そしてクルド抹殺攻撃に対抗する私たちの抵抗の戦いは今も続いています。

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写真左は2012年7月上旬のデモ。写真右はアサド政権がコバニから退去し、庁舎の屋上に黄・赤・緑のロジャヴァ旗を掲げるようす(7月19日)。PYD・YPG系のクルド勢力側は「7・19革命」と呼ぶ。クルド人が多い北部の都市や村に反アサドのうねりが広がった。(2012年7月・いずれも地元住民撮影)

◆カミシュロでは、「コバニは特別な町だ」というよく人びとの声を聞きました。カミシュロに比べてコバニはとても小さな町です。なぜクルド人のあいだでコバニは「特別」という意識が共有され、「抵抗の象徴」となったのでしょうか?

アンワル氏: コバニの住民は、故郷を愛してきました。ここには様々な人びとが暮らしてきました。住民レベルで言えば、ここにはクルド人のほかにスンニ派アラブ人、トルコマンなどが互いに尊重しあい、隣人としてともに暮らそうとしてきました。 

シリアでの革命の過程で、ほぼすべての勢力が安全を求めてこの地に逃げ込んできました。コバニ住民は彼らを受け入れ、手厚く迎え入れ、分け隔てなく接しました。 

7・19革命はコバニで狼煙をあげ、ロジャヴァ全域へと拡大するなか、こうした過去の経緯があるからこそ、自由と平等を求める人びと、クルド人以外の住民も含めた地域住民全体にとってのシンボルとなりえたのです。 

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クルド勢力主体の行政統治機構づくりが進むロジャヴァ(シリア北部クルド地域)。もとはハサカ県、ラッカ県、アレッポ県の一部だった地域を、クルド側はジャジーラ県、コバニ県、アフリン県としてあらたな県境界で分割。2016年3月にはシリア北部で「ロジャヴァ民主連邦」を宣言した。(のちにコバニ県はユーフラテス県に改称) カミシュロ市内の中心部には一部アサド政権地域があり、緊張関係にありながらも「共存」。YPG主導のシリア民主軍(SDF)はISを駆逐してラッカとデリゾール東部地域も統制下に。追記:アフリンは2018年3月、トルコの支援を受けた自由シリア軍諸派が侵攻。PYD・YPG系勢力はアフリンから排除された。また2018年6月にはマンビジ一帯にはYPGが撤収してトルコ軍・米軍が入る動きがでるなど情勢は流動的) 

シリアにおいて民主的平等主義に基づく行政統治を実現することが私たちの願いであり、コバニが将来のそのモデルとなることを私たちは希求してきました。しかし自由や平等を認めようとしないISは、これに激しく反発し、攻撃を加えたのです。

コバニのすべての住民自身が町を防衛する組織としてYPG・YPJを選び、運命を託しました。コミュニティ全体が、外部の攻撃から自らの手で自分たちを守ることを選んだのです。訳注:YPJ=女性防衛隊)

これがコバニという町の象徴性と言えます。ロジャヴァで他の町のクルド人がコバニを「特別な場所」と見ているのは、こうしたことが背景となっていると思います。 
2に続く >>
第1回・第2回第3回第4回

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シリア北部のコバニはクルド人が多数を占める人口7万の小さな町だった。内戦になると周辺地域から多数の避難民が押し寄せ、人口は10万を超えるまでになっていた。ISが迫ると農村地帯からの避難民で人口はさらに急増。ISがコバニ市内にまで侵攻したため、ほとんどがトルコ国境を越えて脱出。写真はIS包囲下のなか、コバニにわずかに残っていた最後の一般住民。砲撃が激しいため、日中のほとんどを電気のない家のなかにこもる。窓はブロックを何重にも積み重ねていた。(2014年12月末)

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【IS】 コバニに向けて進撃するIS部隊。近郊の農村地帯を包囲しながら、コバニ内部に攻め込んだ。(2014年・IS系アマーク通信映像)

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【IS】 IS側は40両を超える戦車をコバニ攻略戦に投入し、YPG防衛ラインを突破していった。(2014年・IS系アマーク通信映像)

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【YPG】 ISはYPG拠点に激しい砲撃と自爆突撃を繰り返し、町の半分まで制圧。町を防衛していたYPGは抵抗戦を続けた。写真はコバニ東部地区前線のYPG戦闘員。(2014年12月末・コバニ・撮影:坂本)

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第1回・第2回第3回第4回

【IS動画・日本語訳+写真28枚】イスラム国(IS)戦術分析(25)◆陣地攻略戦(3) デリゾール軍事空港・工業地区戦闘

◆出撃前の戦意奮起(タハリード)【動画+写真28枚】

イスラム国(IS)が支配していたシリア・デリゾール。軍事空港と工業地区一帯はシリア政府軍が死守する「陸の孤島」のような状態となっていた。前回に続くIS映像「アッラーからの勝利とすみやかなる征服」のPART3を分析。映像ではISは戦いを勝利的に伝えているが、実際には度重なる攻撃にもかかわらず、軍事空港基地の攻略は果たせなかった。今回の動画・写真とも、ISプロパガンダであることを踏まえながら検証したい。

動画のロードに時間がかかる場合があります
【IS動画・日本語訳】シリア・デリゾール・攻略戦(3) 一部意訳・転載禁止

デリゾールでの戦闘を伝えるIS映像「アッラーからの勝利とすみやかなる征服」。今回の映像はPART5まで出たなかのPART3。映像は一連の攻略戦を編集したもので2015年秋頃以降の戦い。この動画は2016年1月に公開された。(検証用ですので短くしています)

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この映像が公開された2016年1月頃のデリゾール近郊の勢力図。シリア政府軍はISに包囲され、「陸の孤島」の状態。政府軍側はロシアの支援も得ながら軍事空港に輸送機で物資・兵器を補給して攻防戦が続いていた。今回の映像は「軍事空港と工業地区」での激しい戦闘の様子。ピンクのハウィージャ地区はPART1。緑の文字のミサイル基地がPART2での攻防戦。このあとISは軍事空港左方面に分け入って進撃し、政府軍エリアを一時的に分断するが、結局は空港制圧にはいたらなかった。その後、ユーフラテス川の西部方面は政府軍が、東部方面からはシリア民主軍が進撃し、ISは南部へと追われる。

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映像の冒頭では、作戦前の準備シーンが挿入される。自走機関砲ZSU-23-4。前回映像の最後でもISが「政府軍から獲得した戦利品」として紹介している。旧ソ連で開発された兵器で、防空兵器の愛称に川の名がつけられたことから、ロシアとモンゴル国境近くにあるシルカ川に由来してシルカと呼ばれる。

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トラックにはハイル県管区「重砲大隊」の文字。自衛隊だと「野戦特科」に相当するのではないか。「大隊」と名前がついていても、必ずしも一般の軍隊で言うところの大隊を構成する人数・装備と同じというものではなく、名前だけ大仰に「大隊」というのもある。自衛隊の「高射特科」にあたる部隊としては、ISには「防空大隊」がある。いずれも部隊の運用は県管区単位となっていた。「ハイル県」とはISがデリゾール県を勝手に改名してつけた名前。

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出撃前は作戦概要の説明が行われるが、これに加え、今回の映像に映る「戦意奮起」がある。アミール(隊長)や宗教的指導の立場にある指揮官らが、部隊を前に戦意奮起の言葉を発する。これは「ケリマット・タハリード」と呼ばれる。戦闘への奮起を促すスピーチは指揮官、隊長からの訓示であると同時にアジテーションであり、また仲間の意志一致でもある。この戦いがジハードであることをあらためて確認し、宗教的意義を持たせ、戦意を奮い立たせる意図がある。

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戦意奮起(タハリード)のスピーチ。これから自分が何のために戦うのかを確認させるのは重要で、敵弾のなかを突撃していく強い意思を奮起させ、また敵前逃亡や投降を防止するためでもある

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この映像に映っているタハリードに整列した人数は約30人が確認できる。いわゆる一個小隊に相当。小隊は一般にムフルザ。ISもムフルザと呼んでいるようだ。

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これは別の出撃部隊のようだ。タハリードの奮起スピーチをするのは他の武装組織も同様だが、宗教性の強い組織ほど信仰心やジハードに関する要素が多くなる。

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出撃前には、あらためて礼拝をして勝利がアッラーから授けられるよう祈る。戦闘だけでなく、礼拝シーンを盛り込み、戦いの「ジハード性」を想起させる演出がなされている。

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目標の政府軍軍事空港基地に戦車や迫撃砲でまず激しい砲撃。そのあとに自爆突撃が加えられる。写真は無反動砲のようだ。IS映像にはやたらと肩載せ発射シーンが「すごいやろ」的に挿入される。無反動といえ反動はけっこうなものだし、命中率もどうかと思うが…。

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一斉砲撃の一部が、戦闘機を格納する掩体壕えんたいごうに着弾している。

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今回の映像に出てきた攻撃戦は2015年秋のもの。軍事空港近辺の現場で誘導を受ける自爆要員操縦の戦車。この戦闘での声明(右上・2015/10/26)では「爆弾戦車で突撃」とある。チュニジア出身の戦闘員だったようだ。

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砲塔部分のないT-55戦車と思われる車両で、シリア政府軍陣地検問所に自爆突撃。戦争とはいえ、こんな使い方をするのは正しき「戦車道」ではないだろう。

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鉄板とスラットアーマー装甲のダンプ。もう何だかわからない車体になっている。この突撃は2015年11月11日。映像のここまでが軍事空港での戦闘。

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ここからはデリゾール・工業地区での突撃戦。ブルドーザー2台、トラック1台が自爆。対戦車砲RPG対策の鉄柵状のスラットアーマーで車体をぐるりと取り囲んだ装甲ブルドーザー。

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第2自爆ブルドーザー。スラットアーマーがすべてのRPG弾を止めるというものではいが、車両ごとに徹底的に覆っているということは、やはりそれなりの効果があると推測される。

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「彼を受け入れ給え」とあるのは、この作戦ですでに戦死したことを意味し、「アッラーよ、彼を殉教者としてお受け入れください」ということを意味している。

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3番目の自爆トラック。突入時に狙われやすい正面部分を頑丈に装甲している。鉄板だけでなく、対戦車ロケット弾よけのスラットアーマーで囲む。運転席のわずかな部分のみ見えるようになっている。この部分のみ装甲車から取り外した防弾ガラスがはめ込まれる場合が多い。この大きさだとハンヴィ機銃部側面の防弾窓の流用ではないか。右下はスラットアーマー部分のアップ。いわば「使い捨て」の自爆車両でも、任務達成を確固なものとするためにがっちり溶接する職人ぶり。自爆車両工場は過去記事参照 >>

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このトラックの場合は正面はガチガチに防御を固めているが、車体後部・上部はそれほど装甲は施されていない。青いタンクに爆薬が詰まっている。

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運転席横に置かれた爆弾。起爆ケーブルがつながっているのがわかる。

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まるで「自爆祭り」のように次々と突撃し爆発。「任務達成の瞬間」とテロップが出る。一回の作戦でいくつも連続自爆をかける戦術は、他の組織と比べるとISが圧倒的に多い。

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この映像が出た時期に頻繁にISプロパガンダに挿入されるようになった宗教歌(ナシード)、「いざ来たれ、イングマスィ戦士よ」。突撃決死戦士(イングマスィ)については過去記事参照 >>

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タイプのアクションカムを装着し、突撃シーンを映す映像では、激しく飛んでくる敵弾のなかを駆け抜ける。まるでFPSゲームのようなライブ感に仕立て、扇情的なナレーションも加わり「勇猛さ」が演出されている。

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戦闘員が手にしている容器(ミルク缶やポリタンクなど)には爆薬が詰まっていて、即製爆発物(IED)として使われる。IEDはアブワ・ナスィファと呼ばれる。近接市街戦では、建物の壁に穴を開けながら地区を攻略していく。爆薬を調節して壁を破壊するほか、写真の量だと敵兵が残存する拠点に設置し、建屋全体ごと吹き飛ばす目的と思われる。IS爆弾製造の過去記事 >>

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IS指導者バグダディと広報官アドナニの言葉が挿入されている。戦闘映像にあわせて高名な指導者のスピーチ音声をオーバーラップさせるのは、ISプロパガンダの「定番スタイル」。アドナニは2016年8月、有志連合の空爆で死亡したが、その後もIS映像にスピーチ音声が象徴的に使われる。また最近ではアドナニの後任の広報官、アブル・ハサン・ムハジールのスピーチ音声が使われる。

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後半の工業地区突撃戦での映像の編集テンポの速さはすさまじい。ナシードと映像を組み合わせ、実際の戦闘をプロパガンダとして「魅力的・煽情的」に見せる手法がシリーズごとに「向上」している。

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この地区では政府軍側にレバノンシーア派組織ヒズボラの部隊がいたようだ。ISはシーア派ヒズボラも正統なイスラムとは見なしていない。ヒズボラとは「神の党」を意味するが、ISは、「悪魔の党」(ヒズブ・シェイターン)とあえて侮蔑的に呼ぶ。この当時、デリゾールではISの猛攻が続いていて、包囲された政府軍兵士が降伏や戦線離脱する可能性さえあった。レバノンからのアサド政権への義勇応援部隊としてヒズボラは士気・戦意が高い。ヒズボラがデリゾールの前線に派遣されていた背景の一端にはこうしたこともあるのではないか。

f:id:ronahi:20180528150618j:plain「戦闘は勝利し、敵の拠点を制圧」と映し出される。IS映像の構成の多くが、信仰忠誠、勇猛な戦闘、敵陣制圧後は敵兵の死体をさらし、敵軍から奪った戦利品を見せる「流れ」ができている。これは政府軍側から奪った戦利品。(動画のオリジナルには政府軍側の死体が多数映っていますが、この字幕動画ではカットしています)

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ISの猛攻にもかかわらず、政府軍軍事空港は持ちこたえた。映像のタイトル、「アッラーからの勝利とすみやかなる征服」はコーラン(戦列章13節)から。だが結果的に「すみやかなる征服」とはならなず、デリゾールから敗退。

(IS内部の用語や軍事用語については不明な部分もあるので加筆・修正する場合があります)
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