イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(4)〔アーカイブ〕写真7枚(全4回)

◆「シリア・クルド自治区化」とシリアの一体性
イスラム国(IS)との戦いと同時に進められるシリア北部の行政統治。2016年3月には「ロジャヴァ民主連邦」樹立が宣言された。コバニ県知事アンワル・ムスリム氏はロジャヴァ(シリア・クルド地域)の将来像をどう描いているのか。インタビューの第4回め。(取材は2014年12月末)
第1回第2回第3回第4回

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2015年1月末、約4か月半にわたる攻防戦を経て、コバニ市内からISを掃討したとして「勝利宣言」をするアンワル・ムスリム・コバニ県知事(中央)。右はマハムード・ベルホェダン・人民防衛隊(YPG)司令官(インタビュー記事 >>)。近郊農村地区はまだISが展開し、YPGとの戦闘が続いた。また、市内でISが設置した仕掛け爆弾で多数のYPG戦闘員が死傷した。(2015年1月末・クルド地元メディア写真)

アンワル・ムスリム・コバニ県知事インタビュー(4/4)

◆坂本:コバニで反アサド政権の動きが広がった当初は、自由シリア軍(FSA)系支持者も多数いましたが、一部の報道では、アサド政権がクルド側の民主統一党(PYD)と合意を結んで、「クルド側が政権打倒を掲げず、FSAにこの地域に関与させないなら、クルド自治を認める」という密約を交わしたという説も出ました。これは本当でしょうか?

アンワル氏:  いくつかの方面から批判が出たのは事実です。アサド政権派からは、私たちが反体制諸派と結託していると批判を受け、他方、反体制派からは私たちがアサド政権と手を結んでいるのではないかなどとする批判です。私たちはそのいずれでもありませんし、私たちはクルド人の権利のために尽力して活動してきました。1946年のシリア独立以降、クルド人の民族的権利を求めて闘い続けてきました。それはクルド語を認めてほしいという権利を含むものです。しかし、今日に至るまで、その権利がもたらされることはなかったのです。

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IS拠点の建物に突入したYPG戦闘員が、ISの残したスローガンを消すためにPYDの旗で覆っていた。ロジャヴァではPYD以外のクルド勢力も存在するが、PYDが早い段階から政治的主導権を握ってきた。(2014年末・コバニ・撮影:坂本)

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これはIS宣伝映像から。コバニを「アイン・アル・イスラム」と表記している。2014年段階では、YPGと自由シリア軍の一部の部隊が部分的な共闘関係にあった。YOGはラッカ攻略のための「ユーフラテスの火山作戦」構想を打ち出すが、欧米諸国の支援が得られず実現にはいたらなかった。ISが世界的脅威となると状況は一転、2016年末には「ユーフラテスの憤怒作戦」としてクルド勢力主導でラッカ攻略戦が開始された。ISはYPG・PKKは無神論者、自由シリア軍を背教徒などと呼び、プロパガンダで批判を繰り返した。(2014年11月・IS映像) 

今後、ロジャヴァはシリアにおける「クルド自治区」となるのでしょうか? その場合、どこが「首都」となるのでしょうか? コバニ、カミシュロ、アフリンのどれしょうか?

アンワル氏: 現在、コバニは「抵抗の首都」となっています。ロジャヴァだけでなく、全世界がそうした状況です。しかし私たちにとっては今後、どこが首都になろうとも問題ではありません。なぜなら私たちはシリア全体のコミュニティの平等性を求めているからです。これはこの地域の構成主体である住民全体が共通で議論する問題です。ロジャヴァにはクルド人以外の人もいるので、どこが「首都・首府」となるかついてもクルド人だけでなく、皆で希望を出し合いながら議論して進められるべきことです。そうした問題を話し合うのはまだ早いと思いますし、しばらく時間をかけるべきことでしょう。

コバニは「抵抗の首都」であり、ホムスは「進歩の首都」であり、他の町は他の首都であっていいでしょう。ただし、全体にとっての首都はダマスカスであることに変わりありません。

私たちには3つの県(カントン)の共同調整会議があります。それぞれの県には3人の構成委員がいます。おそらく現在はカミシュロが「首都」と皆が考えていると思います。しかしコバニの抵抗闘争ゆえに将来はコバニが「抵抗の首都」と認識されるように人びとの考えが変わるかもしれません。(了)
第1回第2回第3回第4回

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アンワル氏とインタビューした時点では、ISとの戦いや避難民支援などが主要な課題で、将来的な統治形態のありかたには深い言及はなかったが、のちにロジャヴァ3県件は、さらに自治色を強めた民主連邦制構想を打ち出し、2016年3月には北シリア・ロジャヴァ民主連邦を宣言(写真)するに至る。またコバニ県はのちにユーフラテス県と改称。2016民主連邦宣言・全文>>

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これはすこし古い写真で、アサド政権統治時代にコバニを取材した2004年に撮影した看板。当時はアラブ名アイン・アル・アラブ(=アラブの泉)のみで表記されていた。「コバニ」はクルド語ではなく、オスマン帝国末期にバグダッド鉄道を建設したドイツの鉄道会社がここに線路を敷設しにやってきたことに由来する。住民のあいだで、会社(カンパニー)がなまって、コバニとなったとされる。(2004年8月:撮影・坂本)

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ISはコバニの一部を制圧すると町の名をアイン・アル・イスラム(=イスラムの泉)に改称。のちに敗退したため、定着しなかった。IS映像では、アイン・アル・アラブ、コバニ、アイン・アル・イスラムの呼び名が混在。写真の背後の看板はクルド語とアラビア語で「ようこそコバニへ」とあった。ISは黒スプレーで「アイン・アル・イスラム」と書き換えた。(IS写真より)

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YPG戦闘員の後にある肖像はオジャランPKK指導者。アラブ人地域では、ISからの解放は歓迎し、安全と復興に期待を寄せつつも、こんどはクルド勢力に統治されることへの不安やオジャラン絶対化への不満も渦巻く。(2014年末・コバニ・撮影:坂本)

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第1回第2回第3回第4回

 
 
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【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(3)〔アーカイブ〕写真8枚(全4回)

◆ISが世界の脅威となるなかで
2014年6月、イスラム国(IS)が「国家」を宣言すると、勢力拡大の動きはさらに加速した。戦闘員志願者を募ると同時にリアビアやアフガンでの支部建設を進め、さらに欧米での襲撃をも呼びかけた。アメリカがこれまで支援していた自由シリア軍が離反や内部対立を繰り返すなか、米軍主導の有志連合は、ISと互角に戦えるクルド・人民防衛隊(YPG)への軍事支援に動きだす。一方、「YPGはクルディスタン労働者党(PKK)傘下のテロ組織」とするトルコはこの動きを強く警戒。コバニ県知事アンワル・ムスリム氏は、有志連合との連携やトルコに対する見方について話した。現地取材アーカイブの3回目。(インタビューは2014年12月末)
第1回第2回第3回第4回

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インタビューに答えるアンワル・ムスリム・コバニ県知事。ISに包囲されたなか、戦える者は誰もが銃をとる状況に追い込まれていた。政治家で弁護士のアンワル氏の傍らにもライフル銃があった。「ISに町を占領されると二度と取り戻せない住民の犠牲が出ない戦闘地区であれば、空爆で家屋が破壊されてもやむを得ない」と暫定自治行政当局は苦渋の決断を下した。(シリア・コバニで)

アンワル・ムスリム・コバニ県知事インタビュー(3/4)

◆坂本:コバニ県行政当局は、アメリカにも支援を求めました。その結果、コバニのIS拠点に対する空爆作戦が始まり、いまも続いています。これはコバニ当局者の皆さんの要請に対し、アメリカが応えたものですか、それともアメリカ側がやってきて、空爆支援について向こうからアプローチしてきたのですか?

アンワル氏: 私たちは国際社会全体に向け、テロ集団ダアシュ(IS)と戦うための呼びかけをしました。これに対し、40カ国が呼びかけに応えました。それらの国々は肯定的に応え、その中にはアメリカもありました。そしてアメリカ主導のもと国際的な有志連合が空爆作戦を進めています。世界の脅威であるISに対し、私たちが民族として戦っていたため、彼ら(アメリカ)が私ともとにやってきて、私たちもこれに応えました。

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【IS】ISはコバニを包囲し、市街地への入り口を固めていたYPG拠点を次々と制圧しながら町のなかに攻め込んだ。(IS映像)

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【IS】コバニ市内を進むIS部隊。とくにコバニの南部と東部地区が激しい攻防戦となった。(2015年1月・IS映像)

◆現実にはアメリカやヨーロッパ諸国はYPGをPKKの一部と見なしています。アメリカがISに対し、軍事行動や空爆をしているのは、自分たちの国に脅威と感じるゆえであって、ロジャヴァでのクルド人自治獲得の支援が目的ではないように見えます。それは皆さんが目指すゴールとは異なっているのではないでしょうか。アメリカやEU諸国に完全な信頼を置いて、ともに活動や作戦を進めることはできると考えていますか?

アンワル氏: PKKはテロリストではありません。クルドのために戦う組織です。トルコには2000~2500万人のクルド人がいます。

彼らは民族的権利を持つことなく暮らしてきました。トルコでは、ただ「自分の言語」を話したというだけで数え切れないほどの人びとが投獄されたのです。彼らは権利を奪われた状態におかれてきました。言葉の権利、文化の権利もなく、クルド人の歴史そのものも否定されてきました。こうした背景から、クルドの民族的権利を取り戻す戦いがトルコで高揚したのです。

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米軍主導の有志連合軍はコバニのIS拠点に戦闘機や攻撃型ドローンで空爆を続けた。YPGは、地区ごとのIS部隊の布陣情報を有志連合に伝えた。ISはYPGを「背教徒・十字軍の輩徒」などとし、宣伝映像で批判を繰り返した。写真はISが撮影したコバニ上空の戦闘機。(2015年1月・IS映像)

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IS拠点に着弾した有志連合軍の戦闘機からの爆撃。建物の向こう側はIS部隊の陣地。IS側も砲撃を加えてくる。砲撃と空爆で多くの地区が破壊された。(2014年12月末・撮影:坂本)

◆PKKの武装闘争の過程で、トルコでは一般市民も犠牲となった過去があります。ゆえにトルコも欧米諸国も「テロ組織」と指定しているのではないでしょうか?

アンワル氏: YPG・YPJもPKKもいずれもクルド人の権利のために戦っている組織です。ゆえにクルドを弾圧してきたトルコ政府の一方的な主張だけを受け入れて「テロリスト」などと呼ぶのは正しくありません。PKKはバクール(北クルディスタン=トルコ・クルド地域)はクルド民衆のために戦う組織であり、トルコ国内の民主主義と平和のために戦う運動体です。 

トルコはNATOメンバーでもあり、従ってアメリカやヨーロッパ諸国もトルコに歩調を合わせる形でPKKに対する姿勢をとり、PKKを「テロ組織」のリストに入れました。私たちはこの自由と民主主義のために闘う運動をテロリズムとはみなしませんし、国際社会はPKKへの見方を見直すべきと思います。PKK指導者オジャラン氏は、「平和への歩み寄り路線」を打ち出しています。私たちはこのプロセスに協力したいと思っています。

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戦闘が激しかったコバニ南部前線地域のIS拠点。手前は空爆で吹き飛ばされた建物。IS戦闘員の死体が埋まったままだった。この向こうはすべてIS地区で背後の丘の先はラッカまで続く。(撮影:坂本)

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【YPG】コバニでISと攻防戦を戦うYPG戦闘員。(2014年12月・YPG映像)

◆ISはシリアだけでなく、その影響力を外部にも急速に拡大させつつあり、ヨーロッパ諸国やアメリカは「世界の脅威」と見なすようになっています。そのISと対決し、コバニから排除するために何が必要でしょうか。また、世界はISとどう向き合うべきと考えますか?

アンワル氏: まず何よりも、人道的な安全回廊(コバニとカミシュロの間をつなぐ地域を結び住民のための安全地帯を人道的に確保するという意味)を構築することが重要です。なぜならコバニはISによって包囲され、戦闘と関係のない一般住民が身動きできない状態で、苦しんでいます。

他方で、ISと戦うYPGのための武器と弾薬が必要です。彼らは人道のためにISのテロ集団と戦っているのであり、そのためには武器・弾薬が必要なのです。国際社会には、最前線でISと戦うYPGへの支援を求めたい。

すべての人が知っているごとく、ISはコバニの敵、クルド人の敵だけではありません。アメリカ、ヨーロッパそして日本も含む世界の脅威であり、敵でもあるのです。リビア、サウジなど各国から入り込んだ戦闘員がいて、ISが存在し続け、拡大すれば、シリア、イラクだけでなく、各国の市民に対し、テロを企てるでしょう。ゆえにこのテロ集団に対し、軍事的、政治的に世界各国が一致して対処しなければなりません。

政治家は政治を担い、軍事指揮官は戦闘任務を担っています。しかしISを掃討するには、コバニの地上戦だけを戦うのではなく、国際社会が軍事支援に加え、政治的な包囲網を構築し、団結してISに打ち勝たなければなりません。
4に続く >>
第1回第2回第3回第4回

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シリア国境沿いに展開したトルコ軍の戦車。トルコはPYD・YPGを「クルデスィスタン労働者党(PKK)と一体のテロ組織」と見なしている。また米国やEU諸国もPKKをテロ組織に指定しているが、ISと戦うYPGについては別組織という扱いで、トルコ政府はYPGに軍事支援しないよう関係国に求めてきた。(2014年12月・撮影:坂本)

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国際支援を訴え、イラクのフアード・マアスーム大統領(中央)に会うアンワル・ムスリム・コバニ県知事(右から2番目)。左から2番目の女性はギュルタン・クシャナック・ディヤルバクル市長(当時)。(2014年・クルド系ANF通信写真より)

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第1回第2回第3回第4回

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【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(2)〔アーカイブ〕写真8枚(全4回)

◆IS侵攻で20万人の避難民
2014年9月、コバニへの侵攻を始めたイスラム国(IS)。近郊の農村地帯も含め村や町を追われ避難民となった住民は20万人にのぼる。その多くはトルコ国境に避難した。コバニで苦境に立たされたクルド・人民防衛隊(YPG)は、米軍主導の有志連合軍の空爆支援を受けながらISに対する抵抗戦を続けていた。切迫した状況になか、コバニ県知事アンワル・ムスリム氏は国際支援の必要性を訴えた。(インタビューは2014年12月末)
第1回第2回第3回第4回

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アンワル・ムスリム・コバニ県知事。ISの侵攻でコバニ住民が過酷な状況にあるなか、国際支援を訴えた。コバニ県はのちにユーフラテス県に改称。 (シリア・コバニ)

アンワル・ムスリム・コバニ県知事インタビュー(2/4)

◆坂本:ISはコバニ制圧のために、ラッカやマンビジからたくさんの戦闘員を送り込みました。これに対し、皆さんは激しく反撃しました。ISは幾千もの戦闘員をここで失い、これはISにとっても高くついたコストとなったわけですが、なぜISはそこまでしてコバニを制圧したかったのでしょうか?

アンワル氏: まず第一の理由として、ダアシュ(IS)は「イスラム国家」なるものを宣言し、モスルからラッカ、デリゾール、その他のシリアの地域にわたって支配下に置こうとしてきました。そして地理的にこれら地域を「イスラム国」として統合させようと試みてきました。コバニはロジャヴァ東西をつなぐ要衝でありながら包囲が続いてきました。

ISは6月にモスルを制圧するとイラク軍基地から大量の武器を強奪します。その軍事力を背景に西方への展開をすさまじい速さで拡大させたのです。 

もうひとつ理由としては、ISはクルドが独立し、民族的権利のもとにシリアの一つのモデルとなる民主自治を私たちが確立するのを何としても阻止したいのです。

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【IS】2014年9月、ISはコバニへの侵攻を開始。ラッカ、テルアブヤッド、マンビジの3方向から大部隊を送り込み近郊の村々を制圧。写真はコバニに向け進撃するIS部隊。(IS映像)

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【IS】コバニ市内に瓦礫のなかを走るIS戦闘員。ISはラッカ県とアレッポ県から部隊を投入。この映像はISアレッポ県メディア部門が公開したため、右上のロゴは「アレッポ」となっている。(2014年11月・IS映像)

ISの侵攻の速度は非常に早く、多くはトルコへの越境を余儀なくされました。避難民の受け入れにトルコ政府の協力は十分だったと言えますか?

アンワル氏: ISから逃れるために、ジャジーラ(カミシュロ・ハサカ一帯の地域)に逃れた人もいます。他はアフリンに逃れた住民もいますが、ほとんどは国境を越えてトルコ側に逃げました。国境を挟んで親戚がいたりする住民もいたからです。すべての避難民がキャンプにいるというわけではなく、トルコ側にいる村の親戚の家に身を寄せている人も多数います。

ISの侵攻で土地を追われたのはクルド人のほか、アラブ人、トルコマン、キリスト教徒も含まれています。20万人におよぶ住民が避難民となり、その多くが着の身着のままで国境を越え、トルコに逃れました。

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【YPG】IS拠点への突撃戦で瓦礫のなかを進むYPG戦闘員。左はトルコ南東部からの義勇入隊したクルド人。(2014年12月末・撮影:坂本)

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ISとYPGの激しい戦闘で破壊されたコバニ。(2014年12月・撮影:坂本)

住民に必要な支援活動をするクルド諸政党、行政機関、民間団体のいずれもが、トルコ政府に支援を求めたものの、今まで何らの支援も受けることができていません。トルコ当局は国境の通過のみを認めただけです。しかしこれは十分とはいえません。

私たちは人道団体や国際援助機関に人道的な支援を呼びかけています。とりわけ冬は子どもや女性に様々なものが必要となります。もし支援がなければ、こうした状況がさらに悪化するでしょう。 

実際にはトルコは、国境を挟んだシリア側にクルド人の行政統治機構が出現することを望んではいません。ゆえにISを様々な形で支援し、私たちの動きを牽制し、妨害しているのです。

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コバニのYPG地区に撃ち込まれたIS側からの砲撃。住民のほとんどは近くのトルコ国境を越えて避難民となった。(2014年12月)

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コバニからトルコ側に逃れてきた避難民の子ども。ISが町に攻め込んできたため、国境の鉄条網地帯を徒歩で越え脱出。避難生活の家族を少しでも支えるために、冬の寒空の下、路上でパン(ナン)を売っていた。トルコの貨幣に慣れず、きょうだいで必死に計算していた。(2014年12月・スルチ・撮影:坂本)

具体例としてはトルコ国境側からISがコバニの私たちを攻撃してきたこともあります。モスルを制圧した際、ISはモスルで人質にとった外交官、職員と家族ら49人を解放しました。

他方で多くの国々の人びとがISの人質となっています。ISはこれらの人質を解放していません。トルコ外交官だけがなぜ解放され、その他の人質だけが解放されないのか。解放交渉の過程で何らかの「合意」や「取引」があった可能性もあります。

トルコはISに対する有志連合には入っていません。すべての国際社会が一致してISに対して戦っているなかで、なぜトルコは参加していないのでしょうか。私たちはトルコ政府に対し、ISに対する立場を明確にするよう求めてきました。トルコは表面ではISの脅威を言いながら、それと戦う勢力や避難住民に冷ややかな態度をとっているのが現実です。
3に続く >>
第1回第2回第3回第4回

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シリア国境沿いを走るトルコ国境警備隊の装甲車。その向こうの鉄条網を隔ててシリア。たくさん並ぶトラックや自動車はシリアからの避難民が越境する際に置いて残してきた車両。トルコ政府にとってはシリア・クルド自治区化すれば、PKKの出撃拠点となるかもしれず、また国内のクルド人の運動にも大きな影響を与えるためロジャヴァの動きを強く警戒している。(2014年12月・撮影:坂本)

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第1回第2回第3回第4回

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【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(1)〔アーカイブ〕写真9枚(全4回)

ISへの抵抗戦とロジャヴァ革命
シリア北部では内戦の初期段階からクルド人居住地域の各都市をクルド勢力が掌握。暫定統治機構が地域を3つの行政区域カントン(県)に分け、ジャジーラ(カミシュロ、ハサカを含む地域)、コバニ、アフリンで暫定自治を進め、2016年3月には「ロジャヴァ民主連邦」樹立を宣言した。

これはコバニ県「首相」(いわゆる県知事)のアンワル・ムスリム氏との現地でのインタビューで、取材したのは2014年12月末。イスラム国(IS)の包囲下で激戦が続いていたため、対IS戦の状況などがおもな内容となっているが、ロジャヴァ(シリア・クルド地域)での一連の戦い、アサド政権やトルコとの関係をコバニ行政最高責任者がどう位置づけているかを知る手がかりとなるだろう。
第1回・第2回第3回第4回

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ロジャヴァ地域コバニ県首相(=県知事)アンワル・ムスリム氏。行政統治部門の最高責任者としてコバニと近郊地域を含む県行政を統括する。弁護士出身で内戦前からクルド人の人権問題に取り組み、アサド政権の秘密警察に「国家分断、テロ組織組織活動」などを理由に逮捕、投獄された経験がある。(シリア・コバニ:撮影:坂本)

アンワル・ムスリム・コバニ県知事インタビュー(1/4)

◆坂本:現在の「県」(カントン)による自治行政統治機構は何を目指しているのでしょうか?

アンワル氏: ロジャヴァ西クルディスタン=シリア・クルド)において私たちが求めているのは、「シリアの民主的体制・民族的権利・平等」です。この実現こそ中東におけるひとつのモデルとなると信じています。 

シリアでの民衆運動は当初、平和的なものでしたが、反体制勢力各派は、これを武力を通じた反政府武装闘争に変えようと試みました。クルド人は、シリアにおける私たちの地域での基本的生活権を保障し、町と人びとを守るため、平和的な運動を追求してきました。 

2012年7月19日、コバニで民衆革命が起こりましたが、自由シリア軍(FSA)などの武装組織、そして過激組織を含めた諸派がこの革命を破壊しようと企図し、コバニを包囲し、攻撃しました。これに対し、人民防衛隊(YPG)と地元住民は防衛戦を戦い抜きました。 

2014年1月には、暫定憲章採択をもって私たちはアフリン、コバニ、ジャジーラで「自治行政区」を宣言するに至ります。しかし各派との対峙に続いて、こんどはダアシュ(IS)が台頭し、激しい攻撃を加えてきました。それがいま直面している戦いです。私たちはISに対し、100日にわたる抵抗戦を戦っています。民主主義、平等、市民、そしてこの町をテロリストから守るために戦っています。多数の死傷者が出て、町もひどく破壊されています。しかし、平等な民主社会をロジャヴァに建設する目標を実現させねばなりません。

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カミシュロ蜂起(2004年3月)は、シリア北東部のクルド人が多いカミシュロ(アラブ名カミシュリ)で、サッカー地元チームとスンニ派アラブ人の多いデリゾールチームのサポーターが衝突(写真左)したことに端を発する。市内での暴動に発展し、治安部隊の発砲で死者があいつぎ、抗議したクルド人が反政府デモを繰り広げ、アサド像や治安機関庁舎が破壊されるなどした。抗議行動(写真右)はカミシュロからアムーダ、コバニ、アフリンなど北部各地の都市にもおよんだ。アサド政権は増援部隊を送り込んでデモを鎮圧し、死傷者のほか多数の逮捕者が出た。この前段状況がのちのシリア内戦でのクルド勢力の動きにつながっている。(写真・2004年3月:住民撮影)

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2011年、「アラブの春」はシリアに及び、全土に反体制運動が広がった。アサド政権と反体制勢力の衝突は内戦へと至る。シリア北部コバニは当初、複数の反体制派やクルド諸組織が混在し、写真のように旗も自由リシア軍系やクルディスタン旗など様々だった。のちに反体制勢力各派が衝突するようになると、活動基盤や防衛機構を固めていた民主統一党(PYD)・人民防衛隊(YPG)系の組織がシリア・クルド地域での運動のヘゲモニーをとる。(2012年4月・地元住民撮影)

ロジャヴァ西クルディスタン=シリア・クルド地域)でのクルド民衆蜂起と、そのあとに続くISに対する抵抗戦の背景はどこに由来するのでしょうか?

アンワル氏: 2011年3月11日、政治変革と人権を求めたシリア革命の前から、クルド人はシリアにおける民族的権利のために闘い続けてきました。シリアのクルド人の人口は300~400万人ですが、これらクルド住民に対して、アサド政権は「文化抹殺政策」を推し進めてきたのです。 

政治犯として投獄され、拷問された人もたくさんいます。2011年以前にはいくつかの前段階状況があります。とりわけ2004年にカミシュロでの反乱がありました。この革命闘争をもって、シリアのクルド人が運動の表舞台に出ることとなりました。すべてのクルド住民が望んだのは、民主的政治体制でした。それを勝ち取るために、そしてクルド抹殺攻撃に対抗する私たちの抵抗の戦いは今も続いています。

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写真左は2012年7月上旬のデモ。写真右はアサド政権がコバニから退去し、庁舎の屋上に黄・赤・緑のロジャヴァ旗を掲げるようす(7月19日)。PYD・YPG系のクルド勢力側は「7・19革命」と呼ぶ。クルド人が多い北部の都市や村に反アサドのうねりが広がった。(2012年7月・いずれも地元住民撮影)

◆カミシュロでは、「コバニは特別な町だ」というよく人びとの声を聞きました。カミシュロに比べてコバニはとても小さな町です。なぜクルド人のあいだでコバニは「特別」という意識が共有され、「抵抗の象徴」となったのでしょうか?

アンワル氏: コバニの住民は、故郷を愛してきました。ここには様々な人びとが暮らしてきました。住民レベルで言えば、ここにはクルド人のほかにスンニ派アラブ人、トルコマンなどが互いに尊重しあい、隣人としてともに暮らそうとしてきました。 

シリアでの革命の過程で、ほぼすべての勢力が安全を求めてこの地に逃げ込んできました。コバニ住民は彼らを受け入れ、手厚く迎え入れ、分け隔てなく接しました。 

7・19革命はコバニで狼煙をあげ、ロジャヴァ全域へと拡大するなか、こうした過去の経緯があるからこそ、自由と平等を求める人びと、クルド人以外の住民も含めた地域住民全体にとってのシンボルとなりえたのです。 

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クルド勢力主体の行政統治機構づくりが進むロジャヴァ(シリア北部クルド地域)。もとはハサカ県、ラッカ県、アレッポ県の一部だった地域を、クルド側はジャジーラ県、コバニ県、アフリン県としてあらたな県境界で分割。2016年3月にはシリア北部で「ロジャヴァ民主連邦」を宣言した。(のちにコバニ県はユーフラテス県に改称) カミシュロ市内の中心部には一部アサド政権地域があり、緊張関係にありながらも「共存」。YPG主導のシリア民主軍(SDF)はISを駆逐してラッカとデリゾール東部地域も統制下に。追記:アフリンは2018年3月、トルコの支援を受けた自由シリア軍諸派が侵攻。PYD・YPG系勢力はアフリンから排除された。また2018年6月にはマンビジ一帯にはYPGが撤収してトルコ軍・米軍が入る動きがでるなど情勢は流動的) 

シリアにおいて民主的平等主義に基づく行政統治を実現することが私たちの願いであり、コバニが将来のそのモデルとなることを私たちは希求してきました。しかし自由や平等を認めようとしないISは、これに激しく反発し、攻撃を加えたのです。

コバニのすべての住民自身が町を防衛する組織としてYPG・YPJを選び、運命を託しました。コミュニティ全体が、外部の攻撃から自らの手で自分たちを守ることを選んだのです。訳注:YPJ=女性防衛隊)

これがコバニという町の象徴性と言えます。ロジャヴァで他の町のクルド人がコバニを「特別な場所」と見ているのは、こうしたことが背景となっていると思います。 
2に続く >>
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シリア北部のコバニはクルド人が多数を占める人口7万の小さな町だった。内戦になると周辺地域から多数の避難民が押し寄せ、人口は10万を超えるまでになっていた。ISが迫ると農村地帯からの避難民で人口はさらに急増。ISがコバニ市内にまで侵攻したため、ほとんどがトルコ国境を越えて脱出。写真はIS包囲下のなか、コバニにわずかに残っていた最後の一般住民。砲撃が激しいため、日中のほとんどを電気のない家のなかにこもる。窓はブロックを何重にも積み重ねていた。(2014年12月末)

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【IS】 コバニに向けて進撃するIS部隊。近郊の農村地帯を包囲しながら、コバニ内部に攻め込んだ。(2014年・IS系アマーク通信映像)

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【IS】 IS側は40両を超える戦車をコバニ攻略戦に投入し、YPG防衛ラインを突破していった。(2014年・IS系アマーク通信映像)

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【YPG】 ISはYPG拠点に激しい砲撃と自爆突撃を繰り返し、町の半分まで制圧。町を防衛していたYPGは抵抗戦を続けた。写真はコバニ東部地区前線のYPG戦闘員。(2014年12月末・コバニ・撮影:坂本)

【シリア・クルド】コバニ県知事インタビュー(2)へ >>

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【IS動画・日本語訳+写真28枚】イスラム国(IS)戦術分析(25)◆陣地攻略戦(3) デリゾール軍事空港・工業地区戦闘

◆出撃前の戦意奮起(タハリード)【動画+写真28枚】

イスラム国(IS)が支配していたシリア・デリゾール。軍事空港と工業地区一帯はシリア政府軍が死守する「陸の孤島」のような状態となっていた。前回に続くIS映像「アッラーからの勝利とすみやかなる征服」のPART3を分析。映像ではISは戦いを勝利的に伝えているが、実際には度重なる攻撃にもかかわらず、軍事空港基地の攻略は果たせなかった。今回の動画・写真とも、ISプロパガンダであることを踏まえながら検証したい。

動画のロードに時間がかかる場合があります
【IS動画・日本語訳】シリア・デリゾール・攻略戦(3) 一部意訳・転載禁止

デリゾールでの戦闘を伝えるIS映像「アッラーからの勝利とすみやかなる征服」。今回の映像はPART5まで出たなかのPART3。映像は一連の攻略戦を編集したもので2015年秋頃以降の戦い。この動画は2016年1月に公開された。(検証用ですので短くしています)

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この映像が公開された2016年1月頃のデリゾール近郊の勢力図。シリア政府軍はISに包囲され、「陸の孤島」の状態。政府軍側はロシアの支援も得ながら軍事空港に輸送機で物資・兵器を補給して攻防戦が続いていた。今回の映像は「軍事空港と工業地区」での激しい戦闘の様子。ピンクのハウィージャ地区はPART1。緑の文字のミサイル基地がPART2での攻防戦。このあとISは軍事空港左方面に分け入って進撃し、政府軍エリアを一時的に分断するが、結局は空港制圧にはいたらなかった。その後、ユーフラテス川の西部方面は政府軍が、東部方面からはシリア民主軍が進撃し、ISは南部へと追われる。

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映像の冒頭では、作戦前の準備シーンが挿入される。自走機関砲ZSU-23-4。前回映像の最後でもISが「政府軍から獲得した戦利品」として紹介している。旧ソ連で開発された兵器で、防空兵器の愛称に川の名がつけられたことから、ロシアとモンゴル国境近くにあるシルカ川に由来してシルカと呼ばれる。

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トラックにはハイル県管区「重砲大隊」の文字。自衛隊だと「野戦特科」に相当するのではないか。「大隊」と名前がついていても、必ずしも一般の軍隊で言うところの大隊を構成する人数・装備と同じというものではなく、名前だけ大仰に「大隊」というのもある。自衛隊の「高射特科」にあたる部隊としては、ISには「防空大隊」がある。いずれも部隊の運用は県管区単位となっていた。「ハイル県」とはISがデリゾール県を勝手に改名してつけた名前。

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出撃前は作戦概要の説明が行われるが、これに加え、今回の映像に映る「訓示・戦意奮起」がある。アミール(隊長)や宗教的指導の立場にある指揮官らが、部隊を前に戦意奮起の言葉を発する。これは「ケリマット・タハリード」と呼ばれる。戦闘への奮起を促すスピーチは指揮官、隊長からの訓示であると同時にアジテーションであり、また仲間の意志一致でもある。この戦いがジハードであることをあらためて確認し、宗教的意義を持たせ、戦意を奮い立たせる意図がある。

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戦意奮起(タハリード)のスピーチ。これから自分が何のために戦うのかを確認させるのは重要で、敵弾のなかを突撃していく強い意思を奮起させ、また敵前逃亡や投降を防止するためでもある

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この映像に映っているタハリードに整列した人数は約30人が確認できる。いわゆる一個小隊に相当。小隊は一般にムフルザ。ISもムフルザと呼んでいるようだ。

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これは別の出撃部隊のようだ。タハリードの奮起スピーチをするのは他の武装組織も同様だが、宗教性の強い組織ほど信仰心やジハードに関する要素が多くなる。

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出撃前には、あらためて礼拝をして勝利がアッラーから授けられるよう祈る。戦闘だけでなく、礼拝シーンを盛り込み、戦いの「ジハード性」を想起させる演出がなされている。

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目標の政府軍軍事空港基地に戦車や迫撃砲でまず激しい砲撃。そのあとに自爆突撃が加えられる。写真は無反動砲のようだ。IS映像にはやたらと肩載せ発射シーンが「すごいやろ」的に挿入される。無反動といえ反動はけっこうなものだし、命中率もどうかと思うが…。

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一斉砲撃の一部が、戦闘機を格納する掩体壕えんたいごうに着弾している。

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今回の映像に出てきた攻撃戦は2015年秋のもの。軍事空港近辺の現場で誘導を受ける自爆要員操縦の戦車。この戦闘での声明(右上・2015/10/26)では「爆弾戦車で突撃」とある。チュニジア出身の戦闘員だったようだ。

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砲塔部分のないT-55戦車と思われる車両で、シリア政府軍陣地検問所に自爆突撃。戦争とはいえ、こんな使い方をするのは正しき「戦車道」ではないだろう。

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鉄板とスラットアーマー装甲のダンプ。もう何だかわからない車体になっている。映像のここまでが軍事空港での戦闘。

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ここからはデリゾール・工業地区での突撃戦。ブルドーザー2台、トラック1台が自爆。対戦車砲RPG対策の鉄柵状のスラットアーマーで車体をぐるりと取り囲んだ装甲ブルドーザー。

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第2自爆ブルドーザー。スラットアーマーがすべてのRPG弾を止めるというものではいが、車両ごとに徹底的に覆っているということは、やはりそれなりの効果があると推測される。

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「彼を受け入れ給え」とあるのは、この作戦ですでに戦死したことを意味し、「アッラーよ、彼を殉教者としてお受け入れください」ということを意味している。

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3番目の自爆トラック。突入時に狙われやすい正面部分を頑丈に装甲している。鉄板だけでなく、対戦車ロケット弾よけのスラットアーマーで囲む。運転席のわずかな部分のみ見えるようになっている。この部分のみ装甲車から取り外した防弾ガラスがはめ込まれる場合が多い。この大きさだとハンヴィ機銃部側面の防弾窓の流用ではないか。右下はスラットアーマー部分のアップ。いわば「使い捨て」の自爆車両でも、任務達成を確固なものとするためにがっちり溶接する職人ぶり。自爆車両工場は過去記事参照 >>

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このトラックの場合は正面はガチガチに防御を固めているが、車体後部・上部はそれほど装甲は施されていない。青いタンクに爆薬が詰まっている。

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運転席横に置かれた爆弾。起爆ケーブルがつながっているのがわかる。

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まるで「自爆祭り」のように次々と突撃し爆発。「任務達成の瞬間」とテロップが出る。一回の作戦でいくつも連続自爆をかける戦術は、他の組織と比べるとISが圧倒的に多い。

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この映像が出た時期に頻繁にISプロパガンダに挿入されるようになった宗教歌(ナシード)、「いざ来たれ、イングマスィ戦士よ」。突撃決死戦士(イングマスィ)については過去記事参照 >>

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タイプのアクションカムを装着し、突撃シーンを映す映像では、激しく飛んでくる敵弾のなかを駆け抜ける。まるでFPSゲームのようなライブ感に仕立て、扇情的なナレーションも加わり「勇猛さ」が演出されている。

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戦闘員が手にしている容器(ミルク缶やポリタンクなど)には爆薬が詰まっていて、即製爆発物(IED)として使われる。IEDはアブワ・ナスィファと呼ばれる。近接市街戦では、建物の壁に穴を開けながら地区を攻略していく。爆薬を調節して壁を破壊するほか、写真の量だと敵兵が残存する拠点に設置し、建屋全体ごと吹き飛ばす目的と思われる。IS爆弾製造の過去記事 >>

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IS指導者バグダディと広報官アドナニの言葉が挿入されている。戦闘映像にあわせて高名な指導者のスピーチ音声をオーバーラップさせるのは、ISプロパガンダの「定番スタイル」。アドナニは2016年8月、有志連合の空爆で死亡したが、その後もIS映像にスピーチ音声が象徴的に使われる。また最近ではアドナニの後任の広報官、アブル・ハサン・ムハジールのスピーチ音声が使われる。

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後半の工業地区突撃戦での映像の編集テンポの速さはすさまじい。ナシードと映像を組み合わせ、実際の戦闘をプロパガンダとして「魅力的・煽情的」に見せる手法がシリーズごとに「向上」している。

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この地区では政府軍側にレバノンシーア派組織ヒズボラの部隊がいたようだ。ISはシーア派ヒズボラも正統なイスラムとは見なしていない。ヒズボラとは「神の党」を意味するが、ISは、「悪魔の党」(ヒズブ・シェイターン)とあえて侮蔑的に呼ぶ。この当時、デリゾールではISの猛攻が続いていて、包囲された政府軍兵士が降伏や戦線離脱する可能性さえあった。レバノンからのアサド政権への義勇応援部隊としてヒズボラは士気・戦意が高い。ヒズボラがデリゾールの前線に派遣されていた背景の一端にはこうしたこともあるのではないか。

f:id:ronahi:20180528150618j:plain「戦闘は勝利し、敵の拠点を制圧」と映し出される。IS映像の構成の多くが、信仰忠誠、勇猛な戦闘、敵陣制圧後は敵兵の死体をさらし、敵軍から奪った戦利品を見せる「流れ」ができている。これは政府軍側から奪った戦利品。(動画のオリジナルには政府軍側の死体が多数映っていますが、この字幕動画ではカットしています)

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ISの猛攻にもかかわらず、政府軍軍事空港は持ちこたえた。映像のタイトル、「アッラーからの勝利とすみやかなる征服」はコーラン(戦列章13節)から。だが結果的に「すみやかなる征服」とはならなず、デリゾールから敗退。

(IS内部の用語や軍事用語については不明な部分もあるので加筆・修正する場合があります)
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【シリア・クルド】人民防衛隊(YPG)司令官インタビュー(2)〔アーカイブ〕写真14枚

◆YPG司令官「必ずコバニからISを駆逐し再建する」
シリア北部コバニにイスラム国(IS)が大規模な侵攻戦を開始したのは2014年9月。圧倒的な武器と兵力で進撃してきたIS部隊に対し、クルド組織・人民防衛隊(YPG)、女性防衛隊(YPJ)は抵抗戦で挑んだ。戦いは134日にわたって続き、多数の死者を出しながらもYPGはISをコバニから退却へと追い込んだ。YPG部隊を指揮したマハムード・ベルホェダン司令官を現地でインタビュー。その2回目。(第1回はこちら >>

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YPGのマハムード司令官はメディアの前面に登場することがほとんどなく、2015年初頭コバニからISを駆逐した「勝利宣言」でテレビカメラの前でスピーチしたのはその珍しい例。(2015年1月・コバニ:クルド系ニュース映像より)

YPG司令官:マハムード・ベルホェダン・インタビュー(2/2)

◆坂本:米軍・有志連合はいま空爆という形でYPGを支援していますが、これは現状ではYPGにとってどれほど効果的なことなのでしょうか。YPGは別の形の支援を望んでいるのでしょうか?

司令官: 空爆は有効であり、ダアシュ(IS)に対して間違いなく効果を発揮している。ただ空爆は地上での戦いが連携し、それが強力でなければ意味のないものである。ISと直接的に地上で戦っているのは我々である。だが我々の武器は十分とは言えない。メインはカラシニコフ銃だ。一方、ISはあらゆる種類の重火砲や戦車を含めた兵器を有し、コバニでの戦線に大量に投入している。ゆえに我々がISを確実にこの地域から排除するには、強力な武器が必要であることを各国は理解して支援してほしい。これまでのところ、米軍機が武器弾薬を我々の部隊に部分的に投下したが、いずれも重火器ではなかった。弾薬や手榴弾程度だ。
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◆なぜアメリカはYPGへの武器支援に積極的でないのですか?
司令官: それはアメリカに聞いてみてほしい。こちらこそ聞きたいことだよ。(笑)

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【IS】 コバニ市街地に侵攻したISのT-55戦車。ISが9月に一気にコバニ攻略を目指した背景のひとつは、イラク・モスルを6月に掌握してイラク軍から奪った大量の兵器・武器を保有していたことだった。そのとき鹵獲した武器で8月のイラク・シンジャルを制圧。そして9月、コバニ攻略を目指した。(IS映像)

アメリカがYPGに支援弾薬を投下したのは、これまでに一度きりだったのですか?

司令官: 一度きりだ。あらためて強調したいのは、我々には重火器が必要ということだ。この地域一帯からISを排除するためには、重火器や高度な武器が絶対的に必要だ。我々は、シリアの別の反体制派グループからは、いかなる武器もまわしてもらっていない。一方でシリア反体制派はISとヌスラ戦線を背後で支援した例がある。過去の例で言えば、我々が防衛していたセレカニエ(アラブ名:ラアス・アル・アイン)での戦闘において、反体制派がヌスラ戦線やISのために中型火器を融通していた事例があった。しかし我々の側は世界のいかなる国からも武器を受け取ってはいない。だがヌスラ戦線とISはシリア反体制派から様々なルートを駆使して武器を入手したり、融通してもらっている。

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【有志連合】米軍主導の有志連合はIS拠点や戦車に空爆を続けた。地上のYPGがイラク・アルビルにある有志連合作戦司令部に地上のIS位置情報を伝え、標的が選定された。写真は有志連合が公開したコバニ近郊でのIS車両へのピンポイント爆撃。トルコが「YPGはクルディスタン労働者(PKK)党傘下のテロ組織」としていることもあり、政治的配慮から米軍はYPGへの武器支援は限定的なものとし、コバニ戦では弾薬程度にとどまった。(有志連合軍:CJTF-OIR公表映像)

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【YPG】YPGはISの猛攻の前に、多数の死傷者を出す状況に追い込まれた。YPGは戦闘員を増強し総力抵抗戦を呼びかけた。戦況が逼迫するなか、シリアだけでなくトルコからもクルド青年の志願があいついだ。写真はYPGのシリアのクルド戦闘員が軍事訓練を終え、「戦士としての忠誠の誓い」(ソンド)を唱和する様子。(YPG映像)

◆司令官としての軍事的観点から、コバニからISを駆逐し、この地域から完全に町を取り戻すのにあと何か月、何年かかると思いますか?

司令官: 具体的に予定している軍事攻勢の内容と時期はここでは話せないが、非常に短期間で駆逐する見通しをもっている。近いうちに奪還できると見ている。必ず駆逐し、奪還を果たす。
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コバニを奪還したあとはどうしますか? コバニ西方のジャラブロス方面と現在ISが展開する東方戦域に戦線を広げ、ラッカ方面までIS掃討戦を広げるのですか?

司令官:まずはコバニの勝利を目指す。さらにギレ・スピ(アラブ名テル・アブヤッド)を解放し、その後はロジャヴァ東西をつなげたい。

ISとの戦いは防衛戦だけではない。ISの脅威を排除するには掃討戦を続けなければならない。我々はISが存在する限り、戦い続ける。どの前線にも進撃する。もし日本にISがいるなら、我々が日本まで追って行って仕留めてやるよ。(笑)

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【IS】 武器弾薬が尽きかけていたYPGに向け、米軍機は支援弾薬を上空から投下。銃弾、手榴弾、RPG砲弾などだった。投下物資の一部は目標をはずれ、IS地域に落下。ISは「戦利品」として映像を公開した。(2014年・IS系アマーク通信)

YPGの戦闘員の総数はアフリンからカミシュロまでロジャヴァ全体で何人いるのですか? またコバニではどのぐらいの戦闘員が戦っているのですか?

司令官: いま敵との戦いの真っただ中にある。司令官として自軍側の総兵員数など具体的な数は公表できないが、敵を倒すには十分な兵力は確保しつつある。コバニで過酷な戦いを強いられたのは事実で、わが方はたくさんの戦士を失った。だが、その何倍も敵を殺害した。敵をコバニから排除するだけの部隊と戦闘要員を確保できるだろう。

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【IS】 ISのコバニ侵攻は2014年9月に始まり、11月頃にはコバニ市街地の半分近くまで制圧した。ISの外国人戦闘員も多数、前線に展開した。(2014年・IS系アマーク通信映像)

ISには外国人戦闘員が多数加わっていますが、他方、YPG戦闘員の構成はどうなのでしょうか。コバニ攻防戦でクルド人、外国人の入隊志願者が急に増えたという状況はありますか?

司令官: ロジャヴァだけでなく、各地のクルド人がYPGに志願している。クルド人以外に地元アラブ人もいる。いまのところYPGには外国人戦闘員はそれほどいない。だがコバニでの抵抗戦が世界的に知られて以降、アメリカやヨーロッパからやってきた志願者もいる。近いうちにこれらの義勇兵の存在も公表されることになるだろう。

彼らがYPGに入隊を求める理由として、我々YPG・YPJがISと戦っているだけでなく、世界の自由と人間的価値、人道主義のために戦っているからである。ゆえに各国から志願する者がいる。
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ISは戦闘での恐怖心を克服するために薬物を使っているということですが、事実でしょうか?

司令官: それは事実だ。戦闘時に覚醒剤や興奮剤のような薬物を服用して、恐怖心を取り除き、銃弾を浴びせるなかでも突撃してくる戦闘員を我々は実際にたくさん見てきた。また所持品からも薬物の実物を押収している。

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【IS】ISは自爆車両攻撃を繰り返し、町の中心部へと侵攻をはかる。写真はコバニでYPGの拠点に自爆突撃するトラック。荷台に円筒状の爆弾を満載しているのがわかる。(2015年1月・シリア・コバニ・IS映像)

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【IS】ISは自爆突撃を2波、3波と連続して繰り返す戦術で、コバニ東部・南部の市街地を制圧していった。写真はYPG陣地への自爆車両攻撃で爆発したIS映像。(2015年1月・シリア・コバニ・IS映像)

◆コバニの町が砲撃と戦闘で破壊されているのを目の当たりにしました。コバニ出身の司令官として、町の惨状をどう思いますか?

司令官: ISとの戦いは過酷な戦争であり、たくさんの家々が破壊された。確かに残念だが、もしコバニから追い出せたなら、そのあとは大したことはない。

破壊されても我々の手で建て直すことができるからだ。だが、ひとたび町を失えば、取り戻すのは容易ではない。住民は土地を失い、永久に故郷に戻れなくなる。だからこそ我々は多大な犠牲を払ってこの町を守り抜いている。

君のような日本人記者がこの戦いの只中に、そして対IS戦争の最前線まで来てくれたことに感謝したい。我々は、ISをコバニから駆逐して奪還し、再建してみせる。(了)

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コバニ中心部でのISによるすさまじい自爆車両攻撃の現場。白い車の後ろにビルがあったが、爆弾を満載した車両の爆発で建物は倒壊した。地面は1メートル以上の深さで大きくえぐられていた。(2014年12月・撮影:坂本)

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コバニ攻防戦での司令官マハムード・ベルホェダン。YPGにとってもっとも過酷な戦線での指揮を担ってきた。コバニ戦ののち、アフリン地域の総司令となる。トルコがアフリン攻撃を準備するといわれるなか、YPGが防衛態勢を固めていることもうかがえる。(2017年・クルド系ロナヒTV映像)

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【YPG】 2017年1月、YPGが公開した映像。アフリン総司令として部隊を前に訓示するマハムード司令官。これまでYPGが公式メディアで彼の顔を公表することはなく、おそらくこの時が初めてではないか。(YPG映像)

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【YPG】 シリア北部のクルド地域は大きく分けてアフリン、コバニ、ジャジーラ(カミシュロ)の3エリアがある。これに加え、ユーフラテス西のシャバハ・マンビジ戦線、東のデリゾール戦域、ラッカ、ハサカ方面などISとの各前線に部隊が展開している。それぞれの地区と前線に指揮官が配置され、またラッカからのIS掃討を目指す「ユーフラテスの憤怒作戦」では作戦指揮官も置かれる。(2015年・YPG映像)

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【YPG】 当時のコバニ司令官はマハムード・ベルホェダン。ではYPG全部隊を率いる総司令官は誰なのか。その名はシパン・ヘモとして知られる。ところがこの「人物」はいっさいメディアには登場しない。YPG戦闘員も多くが目にしたことはない。YPG司令部所属の戦闘員ですらマハムード・ベルホェダンのコードネームがシパン・ヘモと言う。一部のトルコメディアもシパン・ヘモをマハムード司令官の写真で紹介している。シパン総司令がクルド系TVで電話インタビューを受けている音声を聞いたことがあるが、マハムード司令官とは少し声が違っているように聞こえた。ISやトルコ当局の追跡と特定を避けるためというのも理由だろうが、YPGはあえて総司令官について不明瞭にし、謎めいた人物としているようだ。マハムードとシパンが同一人物か、いずれ明らかになるだろう。(YPG写真)

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【シリア・クルド】人民防衛隊(YPG)司令官インタビュー(1)〔アーカイブ〕写真7枚

◆対IS戦争の最前線で~コバニ攻防戦YPG司令官
イスラム国(IS)と熾烈な戦闘を繰り広げるクルド勢力。戦いに並行し、シリア北部地域(ロジャヴァ)では独自の行政統治が進められ、クルド勢力はこれを「ロジャヴァ革命」と呼ぶ。ここでシリア・クルドのキーパーソンたちとのインタビューを掲載したい。取材はいずれも2014年12月末。過去のインタビューながらシリア情勢を読み解くうえで参考になるのではないかと思う。第1回めは、ISとの戦いで大きな役割を果たすクルド組織・人民防衛隊(YPG)のマハムード・ベルホェダン司令官。YPGはISとの戦いをどうとらえていたのか。(第2回はこちら >>

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YPG司令官マハムード・ベルホェダンを取材したのは2014年12月末。コバニ攻防戦は100日に及んでいた。前線でYPGの部隊総指揮を担っていた司令官はコバニ出身でインタビュー当時40歳。取材時もIS部隊が数百メートルの距離に展開し、ときおり砲撃の音も響いた。この1か月半後に形勢は逆転し、ISはコバニ攻略をあきらめ退却。YPGはコバニの戦いをISに対する抵抗戦だけでなく、ロジャヴァ革命戦争と位置づける。

YPG司令官:マハムード・ベルホェダン・インタビュー(1/2)

◆坂本:YPGはどのような背景で組織され、戦いを開始したのですか?

司令官: クルディスタン各地で自由を求めるクルド人民の闘争が続いてきた。それはクルディスタンの大地の占領に対する戦いだった。シリアで革命が起きたとき、ロジャヴァ(シリア・クルド地域)では40年にわたる地下での闘争が基盤となって広がった。我々は組織を地下で構築してきたゆえに、シリア動乱という事態に即応して強力に戦えたと言える。

ロジャヴァの地と人民を防衛することが当初の主要な目的だった。この3年、ヌスラ戦線、自由シリア軍諸派との戦いののち、ISが台頭した。あらたな情勢のなか戦いはいまも続いている。これまで我々は自分たち自身、そしてわが地域の人民を組織してきた。それはこのロジャヴァの地を防衛するためだ。
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◆YPGはロジャヴァの多くの地域でシリア政府軍や武装諸派を戦闘で駆逐していきましたが、これらの勢力は軍事力がありながらなぜ敗退したのですか?

司令官: シリア・クルドの戦いの象徴が「7・19革命」であり、それはコバニから始まった。革命と人民、そしてロジャヴァ地域の防衛のためにYPGが結成された。政府側や他の勢力はいずれもYPGをシリアにとって危険な存在とみなした。

訳注:7・19革命=2012年コバニでクルド勢力がシリア政府施設を制圧した日で、同様の動きがクルド地域の他の都市へ広がり、実質上の自治が獲得されたことをYPG系のクルド勢力はロジャヴァ革命闘争と位置づけている)

当初、どの勢力もロジャヴァでYPGに攻撃を仕掛ける十分な準備はできていなかったが、外国や多様なグループから様々な形で支援をうけ、自由リシア軍や武装諸派はYPGとの対峙関係を先鋭化させた。またその他の地域でもYPGを排除することを目的として画策した。しかし、我々はこれらの武装組織と戦いぬき、ひとつひとつ勝利を勝ち取ってきた。

革命はコバニから始まり、のちにロジャヴァ全体に広がった。ヌスラ戦線などイスラム武装各派がセレカニエやアフリンなどの各地で一部の登場したものの、内部で分裂したり、互いに反目してこれらが強力な存在として結集することはできなかった。そしてのちに「イスラム国」を名乗るダアシュ(IS)が台頭することになった。

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ISがコバニに向け進撃を開始したのは2014年9月。ラッカとマンビジの両面から1日あたり3キロの速さで村々を制圧。YPG側はISの猛攻の前にコバニ市街地の半分近くを制圧され、2キロ四方ほどのエリアのみを残す状況にまで追い込まれていた。

◆シリアにはイスラム軍やアハラール・シャムなどいくつも武装諸派がありましたが、なぜISが突出して急速に強力になり、広範なエリアを制圧していったのですか?

司令官: ISは「理念」を掲げていた。2001年にアルカイダビンラディンを世界が見たごとく(9・11事件のような)彼らなりの「アピール」を使った。ISは突然に台頭したのではない。我々がシリアで革命を宣言した時、他の武装諸派は戦いの準備が不十分だったのに対し、ISは初期の頃から非常に組織されていた。 

ISはイラクとシリア国内だけでなく、アフガニスタンチェチェン、ヨーロッパなどでもネットワークを構築していた。ゆえにISが突如として巨大かつ強力になったというわけではない。

イラクフセイン政権が崩壊した時期、ISの源流となる武装組織がスンニ派住民を組織し始めた。彼らは時間をかけながら徐々に地域と住民のあいだに浸透し、勢力を拡大させていった。シリアで混乱が始まり、内戦になると彼らはシリアに入り込んだ。戦闘力の弱い自由シリア軍の部隊などを取り込んだり、屈服させるなどしてその勢力や支配圏を広げてきた。

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【YPG】ISとの前線で戦うコバニのYPG戦闘員。YPGは「ベルホェダナ・コバニ」(コバニ抵抗戦)と呼び、徹底抗戦で臨んだ。ISに包囲されたなか、トルコのクルド青年らもYPGに志願し、密かに越境して対IS戦に参加した。(2014年・YPG映像)

◆ISはどのような構造のもとに編成され、軍事組織としてどのように機能しているのでしょうか。例えば、PKKの部隊編成にはタブール(大隊)、タクム(小隊)、マンガ(分隊)などの構造がありますが、ISの指揮系統や部隊編成はどうなっているのでしょうか。

司令官: ここじゃPKKのことは聞かないでくれよ(笑)。

ISの部隊構造でいうなら、まずアミール(=指揮官・隊長)がそれぞれに任命されている。軍事機構として各戦線ごとに小隊、中隊、大隊、連隊にアミールを置き、規模が大きいほどアミールに副官、補助指揮官が随伴し、補佐している。また砲兵大隊、戦車部隊なども存在する。
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◆IS戦闘員は、シリア・イラクを含めて何人ぐらいの総員規模なのでしょうか?どこまで戦闘員とみなすかにもよるでしょうし、宗教警察や行政機関に配属された外国人なども戦闘になれば前線に配置され、また地方部族の若者が動員される例もあると思います。それらも含めて総員規模はどれぐらいとみているのでしょうか?

司令官: シリア・イラクにまたがるIS支配地域全域ということなら、モスルを制圧した直後(2014年6月時点)は最大で10万人規模いたと我々はみている。外国人や地元動員の戦闘員もあわせての推計だが、その後、各地で攻防が続いた結果、若干減ったようだ。

コバニはロジャヴァ東西のくさびであり、ISにとって何が何でも攻略したい場所だった。ゆえにこの小さな町に圧倒的な兵器、戦力をもって次々と部隊を送り込んできた。それで一気にコバニを制圧したいと計画し、それをできると思っていたが、我々の徹底した抵抗に直面した。

激しい攻防戦はいまも続き、我々の被害は大きい。だが同時にIS側の被害も甚大である。IS戦闘員のあいだには負傷だけでなく、一部で戦意喪失も広がっている。戦線から離脱して逃亡する者さえ出始めているという報告が入っている。

彼らはたくさんの戦闘員をコバニ市内とその近郊地域で失った。ゆえにコバニ戦は我々にとって重要な戦いの地であり、敵の戦意をくじく大きな契機となった地でもあった。そうした意味ではコバニ戦は我々にとって象徴的な場所であり、歴史に残る戦いとなるだろう。

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【IS】 コバニ市に進撃するIS部隊。3.5キロ四方ほどの小さなコバニの町を戦車40両で包囲し、電撃急襲戦を試みた。コバニ近郊村落部を含む住民10万人以上が家と土地を捨てて、国境を越えてトルコに一時避難。(2014年10月・IS映像)

◆IS戦闘員を殺しても、トルコ国境を越えて次々と新たな外国人戦闘員志願者が入り込んできます。どんな国からの戦闘員が多いですか?

司令官: コーカサス地方(ロシア)からのチェチェン人がいるし、彼らの志気はかなり高い。タジキスタンアゼルバイジャン、ドイツ人もいる。アラブ諸国では、サウジ、ヨルダンなども多い。いくつもの国々から入り込んでいる。総じて外国人戦闘員は地元のシリア人戦闘員よりも志気が高く、自爆をいとわなかったりする。

しかし、コバニ攻防戦が激しく、ISは当初の計画のように町を短期間に陥落させることができなかった。彼らの犠牲が拡大するなか、ISは有能な司令官をさらにコバニに送り込んできた。外国人の組織された部隊やその司令官もコバニの前線に配置された。

その結果、IS側は戦闘員の消耗も激しく、一部の部隊で兵員補充ができなくなった。ISはコバニ近郊の村々で「部隊に参加せよ、さもなくば首を切り落とす」とふれてまわった。家族を守るためにしかたなくISに入った地元の男たちもいる。ただコバニ市内では住民は、誰もISには従わなかった。
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◆ISは高い地位の司令官が死んだ場合、自分たちでその首を切り落として持ち帰り、戦死した司令官が誰かわからないようにしているという噂が地元民のあいだにあるが事実でしょうか?

司令官: それは知らないし、そうしたことはないと思う。ただ一部で彼らのなかで仲間割れを起こして部隊どうしで武力衝突が起きた例があるという報告は入ってきている。(2に続く>>)

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【IS】 コバニに侵攻し、YPGと市街戦を繰り広げるIS部隊。YPGの激しい抵抗が続いたため、ラッカとテルアブヤッド、マンビジの各方面から増員部隊が送り込まれた。(2014年・IS系アマーク通信映像)

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【YPG】 コバニ東部地区の最前線。ISとの銃撃戦で銃弾を補充するYPG戦闘員。すぐ左に建物があり、そこからISが激しく撃ってくる。(2014年12月・撮影:坂本)

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【YPG】 マハムード司令官は言明を避けたが、クルディスタン労働者党(PKK)ゲリラとしてイラク北部カンディル山岳地帯にいたことが推測できる。あえてPKKにからめて質問を向けると「ここじゃPKKの話はしないでくれよ」と笑った。YPGの立場は、あくまでもシリア・クルド地域の防衛部隊で、PKKとは一線を画していることになっている。実際には、YPGの古参の幹部指揮官の多くがPKKゲリラの経験がある。ISが豊富な兵力・武器で進撃してきたなか、多大な犠牲を出しながらもコバニを防衛できた背景でもある。他方、トルコは「YPGはPKK傘下のテロ組織」とし、YPG地域に砲撃を加え、またYPG側もトルコ軍に反撃するなど緊張が続く。(YPG映像)

【シリア・クルド】YPG司令官インタビュー(2)へ >>

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【IS動画・日本語訳+写真25枚】イスラム国(IS)戦術分析(24)◆陣地攻略戦(2) デリゾール・ミサイル大隊基地制圧

◆連続2波の自爆突撃で基地攻略【動画+写真25枚】

前回に続き、シリア東部デリゾールでの戦闘。攻撃目標はシリア政府軍ミサイル大隊基地。今回の動画では、出撃準備から負傷兵救護、攻略突撃、2波連続の自爆攻撃といった一連の戦闘経過が時系列で編集されている。ただし前回同様、これは「ISが世界に見せたいプロパガンダ」であることに留意したうえで、戦術検証の参考としていただきたい。

動画のロードに時間がかかる場合があります
【IS動画・日本語訳】シリア・デリゾール・攻略戦(2) 一部意訳・転載禁止

前回の「アッラーからの勝利」PART1から4か月後にISハイル県(カイル)メディア部門が公開したPART2で、デリゾールのシリア政府軍ミサイル大隊基地の攻略戦の記録。自爆出撃する2人の戦闘員が、「殉教突撃」に赴く意義を語る。前回よりもさらに演出が凝らされていて、2人の戦闘員を複数のカメラで撮影し、コーランを複数個所引用しながらジハードを呼びかける姿を映し出す。救護班が負傷者を救出する様子のほか、後半ではIS広報官アドナニの詩も挿入。緻密に編集された宣伝動画が世界に向けて発信されていった。(2015年9月・シリア)

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ミサイル大隊基地周辺では対峙が続いてきた。動画の攻略戦があったのは2015年9月。今回の動画の基地攻略の流れはこんな感じになる。もちろん攻撃目標の規模や陣形によって、奇襲戦や夜襲、機甲戦などを使い分けるのは一般の軍隊と共通するので、この動画の戦術がフォーマットというわけではない。ただ特徴的なのは自爆突撃を作戦全体のなかに組み込んで敵陣にダメージを与え、後続部隊が突入して攻略する形を重用している点である。必要に応じて、2波、3波と連続自爆攻撃をかけることもある。

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出撃前は事前にドローンで偵察したうえで作戦計画を立てるのが当たり前となった。動画の攻撃目標はシリア政府軍ミサイル大隊基地。ISにほぼ包囲されたデリゾ-ルで、「生命線」ともなっていた広大な軍事空港エリアの近郊に置かれた施設がミサイル大隊基地。ISにとって軍事空港制圧は政府軍の補給を断つことにつながるため、繰り返して攻撃を加えた。ただ、今回のミサイル大隊基地は攻略できたものの、その後、ISが軍事空港の本体部分を制圧することはできなかった。

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戦闘開始前、隊長が作戦概要説明。ISは隊長をアミール(エミール)と呼ぶ。アミールには長・指揮官または王子・領主などの意味がある。ISは歴史上のイスラム軍勢で使われた用語を意識しているようだ。幹部指揮官・指導層はシェイク(師)の称号をつけて呼ばれる。バグダディ指導者は「アミールル・ムッミニーン」(信徒の長)とされる。アミールは英語にも転用されていて、海軍提督を表すアドミラルはアミールが語源とされる。アラブ首長国エミレーツ首長国・首長領地という意味。

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ISほかジハード系組織では、戦闘員は互いに「兄弟」(アヒ)と呼びあう。これは一般にムスリムが信仰で結ばれた同胞を呼ぶときに使うので、過激主義とは別である。IS映像で「兄弟同胞」とテロップが出るのも、戦士同胞として「兄弟」の呼称をつけている。一方、クルドYPGは仲間どうしでどう呼ぶかというと「ヘヴァル」。クルド語で友人という意味だが、「同志」というニュアンスで使う。

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敵陣地に向けて出撃する戦闘員。前回でも触れたが、即製爆発物(アブワ・ナスィファ)を手にしている。ポリ容器タイプとボール型タイプ。ボール型はベルトがテープで巻きつけてあって、いくつも首からぶら下げられるようになっている。投げ込み弾や壁破壊などに使う。

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右がボール型即製爆発物。シリアでISが使ってたもの。15~20センチほどの導火線がついていた。着火すると数秒で爆発する。キャベツほどの大きさなので、遠くまで投げられるものではないものの近接戦で敵が潜む建物に放り込むとか壁爆破ができる。左の小型のものはおもに投擲弾などに使われる。(シリア・撮影・坂本)

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この動画では戦闘シーンだけでなく、戦いの前にコーランを読んだり、礼拝する姿が挿入されている。宗教性を押し出し、戦いがジハードであると印象づける意図もあると思われる。

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戦闘ではまず遠方から砲兵大隊が一斉砲撃を加え、先発の突撃部隊の接近路を開く。

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突撃を前に、分隊長と思われる男がコーランの一節を引用し、「アッラーの御名を唱えよ」と説く。こうした現場でIS戦闘員が何を思いながら戦うかというと、ズィクル(唱念)である。ズィクルは一般に「アッラーを称え、苦悩を取り除き、心を堅固にする」ものとして、イスラム教徒が日常的に念じる言葉であり、過激主義とは関係ない。IS戦闘員は戦闘現場でこのズィクルを念じ、自身の戦いがアッラーの大道のためのジハードであることを確認しつつ、自己を奮起させている。

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ISは様々な教宣出版物を体系的に発行してきた。これはIS出版部門ヒンマが発行したパンフ。「アッラーの大道に立つ戦士のためのズィクル」とするタイトルで、ズィクル(唱念)の言葉を列記してある。戦闘員が携帯できるよう2つ折りでポケットサイズになっている。(IS出版部門ヒンマ)

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IS戦闘員がズィクルを念じながら戦う姿を、例えば仏教に置き換えると、南無阿弥陀仏とか般若心経を唱えながら敵弾のなかを突撃するような感じといえばいいか。ズィクル自体はイスラム教徒の信仰行為・義務のようなものであり、信徒の心のありようを示すものでもある。過激主義と混同すべきではない。

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動画には救護班が出てきて前線で負傷兵を救護するシーンが映る。ISはこんなシーンまで細かに編集で盛り込んでいる。「敵弾のなか兄弟同胞を救護する姿」を見せることで、仲間の結束の強さを印象づけることもアピール。どの戦争にもあてはまるが、救護される戦闘員もいれば、救出できずに息絶える者もいる。戦闘や爆撃で手足を失った戦闘員も少なくない。

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以前、シリアでISの前線を取材した際、殺害されたIS戦闘員の所持品のファースト・エイドキットを開けてみた写真。包帯やアンプル、鎮痛剤と感染症の薬などが入っていて、パッケージはトルコ語アラビア語とさまざまだった。(シリア・撮影・坂本)

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今回の自爆突撃は2人で、連続2波攻撃の作戦。出撃を前に、2人ともコーランを引用しながら、最後の言葉を遺す。組織内部名(クンヤ)はアブ・アイマン・アッ・シャミ(左)とアル・ホムスィ(右)なので、いずれもシリア人と思われる。宗教的辞句を入れ、自爆突撃に赴く彼らを複数のカメラで撮影し、周到な演出もなされている。そもそもシリア内戦がなければ、こんなことをする必要がなかった若者もいると思うと複雑な気持ちになる。

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動画で自爆青年アブ・アイマンが、「ジハードの戦列に加わらず座視したまま沈黙するのか」という言葉を述べていたが、このISパンフにも同じ言葉が並ぶ。ISの定義するジハードや信仰意識を戦闘員らが共有していることがうかがえる。動画とともに世界に向けても発信されるこれらの出版物が、欧米などでの単独型テロを扇動する役割も果たした。(IS出版部門ヒンマ)

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2人が自爆車両として使ったのは、T-55戦車(左)とBMP-1歩兵戦闘車(右)と思われる。敵陣の防御が堅固な場合や起伏のある地形のときに、戦車などキャタピラ車両が使われる。爆発物の搭載量も多くできる。

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自爆突撃で死んだ戦闘員アブ・アイマンの顔を重ね合わせ、「殉教戦士」として描いている。無線の会話まで盛り込まれている。このあとBMP-1のアル・ホムスィも自爆を遂げる。これがさらに宣伝として使われる。

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自爆攻撃で敵陣にダメージを与え、部隊が政府軍陣地に総員突撃をかける。猛攻の前に政府軍兵士が逃げ出す姿が映しだされる。この数か月前にはパルミラがISに制圧されたこともあり、「政府軍がデリゾールから撤収するのでは」との噂までで出たほどだった。戦況は切迫していて、政府軍の士気にも少なからず影響があったと思われる。

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敵陣制圧後は、敵の死体のほか、敵から奪った戦利品(ガナイム)を並べた映像を公開するのがISの宣伝手法となっている。写真はミサイル基地制圧作戦後、ISがシリア政府軍から奪い取った武器・弾薬の数々。(2015年・シリア・IS写真)

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鹵獲した武器は「戦利品」となり、次の戦闘で使われる。ISには戦利品の運用規定があり、統治機構上では「歳入・戦利品庁」(ディワン・ファイ・ワ・ガナイム)が管理し、敵からの接収弾薬や武器を戦況や必要に応じて他の戦線にも割り振るなどしていた。ただし戦線によっては武器・物資供給が不足した部隊も出たようで、どこまで効率的に機能できていたかは不明。(2015年・シリア・IS写真)

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同じくミサイル大隊基地制圧後に「戦利品」として公開した写真。自走機関砲ZSU-23-4も。ロシア語でシルカの愛称で呼ばれるが、ISもだいたいシルカと呼ぶ。(2015年・シリア・IS写真)

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動画ではカットしたが、最後に戦闘記録を撮影していたメディア部門要員が戦死したシーンが映る。戦闘員同様、「殉教者」とされる。これらの実際の戦闘の記録に、巧みな編集とナシード(宗教歌)による効果が加えられる。「ジハードの理想像」としてプロパガンダが作り上げられ、各国からIS志願者をさらに呼び込む装置ともなった。

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基地攻略後にも周辺の状況を伝える写真報告がいくつか公開されている。写真は基地制圧後に警戒にあたるIS戦闘員。(2015年9月・シリア・IS写真)

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同じく基地制圧後の写真で、防衛警戒任務(リバートまたはラバート)の様子。7人で分隊を編成しているようだ。(2015年9月・シリア・IS写真)

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これもリバート任務。中央はおそらくロシア系の戦闘員ではないだろうか。リバートは前線防衛や警戒歩哨のことで、その任務にあたる戦闘員はムラビトゥーンと呼ばれる。(2015年9月・シリア・IS写真)

(IS内部の用語や軍事用語については不明な部分もあるので加筆・修正する場合があります)

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【IS動画・日本語訳+写真24枚】イスラム国(IS)戦術分析(23)◆陣地攻略戦(1)

◆砲撃・自爆・突撃・爆破トンネルの連携戦術【動画+写真24枚】
戦況悪化で支配地域を大きく失っているイスラム国(IS)。だがその最盛期の2014~2015年にかけては、破竹の勢いでシリア・イラク各地を制圧していった。ISが仕掛けた敵陣攻略戦とは。IS独特の戦術に加え、戦闘員はどのような精神武装がなされていたのかを連続で振り返り、検証する。

動画のロードに時間がかかる場合があります
【IS動画・日本語訳】シリア・デリゾール・攻略戦(1) 一部意訳・転載禁止

2015年5月にISハイル県(カイル)メディア部門が公開した映像で、場所はシリア東部デリゾール。戦いを勇ましく、勝利的に描いたこれら宣伝映像やジハード招請が、外国から戦闘員志願者を呼び込む装置ともなった。ただしこれはISが「世界に見せたい」プロパガンダであり、成功した作戦の影にはその何倍もの失敗した戦闘がある。IS大本営の宣伝手法では、勝利は「アッラーの恩寵」、苦戦や敗北は「アッラーが与えた試練ゆえに耐えよ」とし、声明でも「忍耐ののちに勝利がある」の表現が並ぶ。ISはこの「耐えろ、辛抱せよ」を何年間もずっと繰り返してきた。映像に出てくる「ヌサイリ」はISがアサド政権・アラウィ派やシリア政府軍を呼ぶときに使う。

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動画タイトル「アッラーからの勝利とすみやかなる征服」は、コーラン・戦列章13節から。このハイル県発「アッラーからの勝利」シリーズは、いずれもデリゾール一帯での戦いを記録したもので、PART1(2015年5月)~PART5(2016年10月)まで出た。動画シリーズごとの5つのバナー。今回の動画はPART1で、デリゾール・ハウィージャ地区の攻防戦。

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今回の動画の冒頭で出撃する戦闘員のなかには、ウイグル人の老人(左)が映っている。このムハンマド・アミン(当時80歳)と名のる老人は、アレッポ県メディア部門インタビューにも登場している。孫4人・娘・妻でIS地域入りを果たしたと話しており、家族はおそらくマンビジにいたと推測される。「軍事訓練を受け、戦闘任務を希望したが許可がでず、警戒任務をしている」とアレッポ県映像で話していた。その後、マンビジ近郊からデリゾールの前線に移動したとみられる。老人と一緒に映るアジア系戦闘員(右)は動画の最後でシリア政府軍から奪った戦利品を紹介している。トルコ語系の言葉を交えて話しているので、老人の家族か、あるいはウイグルなど中央アジア系出身ではないか。(2015年・IS写真・シリア)

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ムハンマド・アミンはインタビューで「モスクでイマムをしていた。中国政府の迫害にさらされてきた」と話す。「80歳のジハード戦士」はIS戦闘員のなかでも有名だったようで、SNSでは戦闘員が撮ったとみられる写真(右)も出回った。ウイグル老人の映像は他の宣伝動画にも使われ、外国人志願者獲得や戦闘員の士気高揚に利用された。

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この動画が公開された2015年5~6月頃の勢力図。ISは6月、ラッカ上方のトルコ国境の町、テルアブヤッドをクルド・YPGに制圧されたものの、まだこれだけの広大な地域を支配していた。デリゾールは周囲をISが制圧したなか、シリア政府軍側が軍事空港と一部地区を死守。この「陸の孤島」にアサド政権が物資と兵員を空輸して補給し続けた。このかん激しい攻防戦で双方に多数の犠牲が出たほか、空爆で地元住民にも死傷者があいついだ。

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ハウィージャ地区戦闘を前に、作戦概要を説明。ノートPCがあるのがわかる。ドローンで空撮した攻略目標の敵布陣を確認するなどして作戦を策定する。(2015年・IS映像・シリア)

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5~10人前後のグループは部隊の最小単位で、分隊、班に相当し、一般にファリークやメジュムアと呼ばれる。それぞれに分隊長、班長が置かれている。(2015年・IS映像・シリア)

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作戦では複数のBMP-1のほかにT-55戦車、野戦砲、対空機関砲なども投入。大規模な攻略戦だったようだ。(2015年・IS映像・シリア)

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ハウィージャ地区攻略戦に出撃するIS戦闘員。白いポリ容器は爆薬が詰まった即製爆発物(IED)で、アブワ・ナスィファと呼ばれる。導火線に着火すると数秒で爆発する。敵陣の防壁や建物破壊のほか、仕掛け爆弾として使われる。小型のものは投げ込み弾にもなる。(2015年・IS写真・シリア)

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大規模な攻略戦では、自爆や部隊突撃の前に砲兵部隊が攻撃を加え、敵の反撃力をそぐ。車体には「ハイル県・重砲大隊」とある。自衛隊は方面隊が最大の運用単位だが、ISは基本的に「県」が部隊運用・指揮系統の単位になっていた。戦況が悪化し、「県」そのものが解体して、指導層が死亡、拘束、潜伏したなか、かつてのような運用指令系統は維持できていないものと思われる。(2015年・IS映像・シリア)

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自爆する目標までに障害物、遮蔽壁がある場合は、ブルドーザーなどでまず侵入路を切り開く。動画の突撃作戦では、ホイールローダーで進路上の壁と建物を壊して道を作り、アブ・アリ・アンサリの自爆戦車が突撃していく。(2015年・IS映像・シリア)

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自爆に使われた戦車はT-55のように見える。起伏ある盛り土や防護堀のある場所でもキャタピラで突進し、満載した爆弾を爆破させる。(2015年・IS映像・シリア)

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シリア政府軍側もロケット砲撃などで応戦したようだが、自爆戦車は突破し目標に到達、自爆した。動画ではカメラ2台で別角度から撮影している。(2015年・IS映像・シリア)

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ISハイル県メディア部門は2015年5月6日付の写真速報で自爆突撃作戦で戦闘員アブ・アリ・アンサリの「殉教」を伝えている。動画が出たのが5月11日なので、わずか5日間でこの作戦経過を編集し、テロップやナシード(歌)を挿入して宣伝映像に仕立て公開している。(2015年・IS写真・シリア)

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この日の作戦でISが出した声明。シリア政府軍のジャミアーン歩哨検問所に戦車で自爆突撃したアブ・アリ・アンサリを「殉教戦士」としている。現在でも自爆殉教作戦のたびにこうした声明が毎日のように出ている。声明をもって公表されるのは、あくまでも成功した作戦である。目標到達前に車両が破壊されたり、自爆要員が射殺、拘束されたような失敗作戦については伏せられ、自爆突撃はなかったことにされる。(2015年5月6日付・ISハイル県声明)

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自爆突撃後、後続部隊が進撃。自作した装甲で固めたブルドーザーの後尾に随伴し、敵陣に近づいていく。(2015年・IS映像・シリア)

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シリア政府軍戦闘機が飛来して、爆撃を加える。IS映像では対空機関砲での迎撃シーンを見せながら「敵機の攻撃は無意味」とする。実際にはそれなりの効果はあるものの、旧式のシリア軍戦闘機では誘導ミサイルなども十分に装備しておらず、ピンポイントでの目標破壊の精度は高くはなかった。ロシア軍機の空爆が開始されるのは、これから4か月後。(2015年・IS映像・シリア)

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砲撃と自爆を組み合わせた攻撃のなか、ISが次第に敵陣との間合いを詰めていく。(2015年・IS映像・シリア)

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この動画で驚かされたのは、地上での攻略戦に先立って、シリア政府軍拠点建物の付近まで地下にトンネルが掘られていた点である。対峙が続いてきた地区とはいえ、かなり掘り進んでいたようだ。ISは塹壕戦やトンネル戦術を多用。ムハンマド時代のイスラム軍勢が、ペルシア人土木技師でイスラムに帰依したサルマンの構築した塹壕戦(ハンダクの戦い・627年)で勝利した故事もあって、ISは塹壕への思いがひときわ強い。(2015年・IS映像・シリア)

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ISトンネルは空爆からの退避壕やゲリラ戦としての移動用のほか、敵陣を地下から爆破する戦術でも使われてきた。坑木支柱が伸びていて、時間をかけて掘ったものとみられる。(2015年・IS映像・シリア)

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ドラム缶サイズの大型ポリ容器に爆薬が詰められ、いくつもが標的の下まで運ばれている。シリアではこの大型容器は水やミルクなどを入れる用途で使われる。(2015年・IS映像・シリア)

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地下で爆発させ、標的建物を爆破。かなり大きな爆発なので、相当の爆発物が運び込まれたとみられる。同様のトンネル爆破戦術は別の戦線でも使われている。(2015年・IS映像・シリア)

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敵陣を攻略したあと、鹵獲した武器・弾薬を見せるのがIS映像の手法である。アッラーから与えられた戦利品として、次の戦闘で使われることになる。(2015年・IS映像・シリア)

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一般に軍隊は自軍の戦死者の死体写真を出すことはないものだが、ISは戦死した戦闘員の死体や顔を積極的に公開し、「アッラーの大道で殉教者となった」と称える。殉教者を顕彰する写真には「アッラーよ、彼を受け入れ給え」などの言葉が添えられる。動画では「この戦死したエジプト人兄弟同胞はアッラーのおかげで3か月間腐敗することなくその姿をとどめている」とある。(一部ぼかしています)(2015年・IS映像・シリア)

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ISが戦闘員に配っているミニ・パンフレット。「殉教を達成することの喜び」とするタイトルで、「ジハードに立ち、アッラーの大道で戦死して殉教者となることは誉れ」とし、その意味・意義をコーランなど独自解釈で引用している。アラビア語(左)以外に各言語でも出され(右はボスニア語版)、外国人戦闘員も「殉教の意義」を共有できるようになっている。殉教を信じて敵弾のなかを死をも恐れず突撃していった者もいるだろうが、実際の現場では逃亡や降伏する例もあいついだ。(2015年・IS出版部門ヒンマ)

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【シリア民主軍SDF声明全文】イスラム国(IS)「首都」ラッカ陥落【写真8枚】

◆SDFが「ラッカ解放宣言」
10月20日シリア民主軍(SDF)司令部はラッカにおいて、「ラッカ市はイスラム国(IS)から解放された」と宣言した。ISは今年7月、イラク・モスルでも敗退し、今回、シリアでのISの最大拠点都市を失ったことは組織的に大きな打撃となる。一方、ISの一部勢力はいまもシリア東部地域に残存して戦闘を続けている。以下はラッカ解放宣言全文。(一部意訳)

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ラッカを制圧し、「ISから解放された」と宣言するシリア民主軍(SDF)。(2017年10月20日・SDF公表写真)追記:宣言を読み上げるタラル・セロ司令・広報官はこの1か月後、消息を絶ち、トルコが支援するシリア反体制派系組織支配地域に入ったことが判明。実質的にSDFを裏切ってトルコに「寝返る」事態となる。続報で詳細を伝える予定)

ラッカ解放宣言・声明
シリア民主軍(SDF)
(2017/10/20)

シリア民主軍(SDF)総司令部の名において、ラッカの中心地から名誉をもって、わが軍がテロリスト・ダアシュ(IS)犯罪集団との大決戦において、その首都とされた場でダアシュを倒し、ラシードの都市でありユーフラテスの花嫁たる町、ここラッカを解放したことを、本日、ここに宣言するものである。
訳注:ラシード=アッバース朝第5代カリフで、8世紀末にラッカに居城を置いたハールーン・アル・ラシードを指す)

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SDF(シリア民主軍)のタラル・セロ司令官(写真中央)。

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我々はこの歴史的勝利を全人類、とりわけシリアでテロの犠牲となり深い悲しみを被った、烈士たちのご家族に捧げるものである。

この思いのもと、地域の解放のために主要な役割を果たした英雄的なわが烈士たちを追悼する。ラッカの戦いにおいて、戦死烈士たちこそが、この偉大な勝利を導いた者たちである。

またこの戦闘において負傷した英雄的戦士諸君に敬意と感謝を表明する。彼らの一日も早い回復と、再び戦線に復帰することを願っている。

この高貴なる勝利を可能としたのは、ラッカ解放作戦に殉じた烈士たちがいたゆえである。その地々には、(戦死した)655名におよぶシリアのクルド人、アラブ人、トルクメン、シリア正教徒、アメリカ人、イギリス人、ならびに世界各国からの参加し戦死した烈士たちの血は、この地でひとつになった。解放戦の過程では、45万の住民をラッカ一帯から成功裏に退避させ、安全地帯へ移動させることができた。

SDFに参加したすべての部隊ならびに諸勢力、SDFを支援してくれた方々、シンジャル女性防衛隊(YJŞ)、シンジャル抵抗隊(YBŞ)、アサイシ(治安警察)各部隊、自主防衛隊、地域共同体防衛隊(HPC)、SDF各隊、国際義勇旅団、そして作戦に参加した有志連合軍とその軍事アドバイザー各位に謝意を表明する。戦闘現場での軍事展開は特筆に値するものであった。
訳注:YJŞとYBŞはヤズディ教徒から編成された部隊)

また、国際社会に向けて真実を伝えて人道のための責務を果たした報道関係者各位にも敬意を表する。

ラッカ市民評議会、地域の有力諸氏、部族長各位が我々の部隊に精神的、物質的両面での支援を申し出てくれたことに深く感謝する。我々の勝利は、テロリズムとその非道さに対する勝利である。この解放戦はこれらとの対峙を決する最終章であり、シリアでのテロリズムとの戦いであり、これはコバニ抵抗戦から始まったのである。

この抵抗の戦いの精神は、コバニ攻防戦で戦士たちが134日にわたって繰り広げた戦いで示された精神そのものである。この攻防戦において世界に類を見ない最も卑劣なるテロ組織に対し、戦士たちが打ち勝ったのだ。これに続くテロリストたちの敗北が、ラッカ攻略戦であり、この戦いもまた134日間続いた。この戦いをもって、すべての人道を脅かしてきた最大の軍事テロ組織は壊滅へと至った。

SDF司令部たる我々は、ラッカ市と近郊村落部における行政運営をラッカ市民評議会に委ねることを明言する。市内と近郊部の市民の安全を確保するために、ラッカ市内治安部隊に治安任務を委ねる。我々はラッカ県のすべての圏域境界線を、あらゆる外的脅威から防衛することを確約する。ラッカ県住民は、非中央集権化された民主シリアの基盤のもとに守られることとなるだろう。このような形を通してこの都市の住民が自らの手で統治を進めることとなろう。

自由と平和と調和を希求する国々と勢力、ならびに人道的諸機関、国際人権組織が、ラッカ市と近郊村落地域を再建し、戦火と破壊のなかかで被った被害から復興へ向けた鋭意尽力に参加することを呼びかける。

この宣言をもって我々はラッカ全市を解放し、ラッカに再建と安定をもたらす新たなる使命を担うものとする。このためには団結と連帯が求められる。ゆえに我々はラッカの全住民、アラブ人、クルド人トルクメン、シリア正教徒が町と近郊地域の再建と復興の取り組みと、全住民の意志を代表する民主行政機構を設置することにともに参画することを呼びかける。
訳注:SDFがここで表現するシリア正教徒=スリヤニはシリア正教会のほかにアッシリア人などの他のキリスト教徒系住民も含めた意)

戦死烈士たちの意志は永遠に消えることはない。負傷者の一日も早い回復を願う。
テロに死を、その加担者に恥辱を。

シリア民主軍(SDF) 総司令部

2017年10月20日

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10月20日、シリアでのISの最大拠点都市だったラッカは、激しい攻防戦の末にシリア民主軍(SDF)に制圧された。SDFはクルド・人民防衛隊(YPG)のほか、アラブ人やトルクメンキリスト教徒などシリア反体制武装諸組織、地元部族民兵団、国際義勇部隊から編成される。写真はラッカでSDFの旗を掲げる戦闘員。(2017年10月・SDF写真)

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ラッカ戦ではアメリカが武器供与。写真の装甲車(IAGガーディアン)はアメリカが供与したもの。トランプ政権になってから支援が拡大した。トルコはSDFを「クルディスタン労働者党(PKK)系のテロ組織」とするトルコは強く反発してきたこともあり、武器は軽・中火器レベルに限定された。(2017年10月・SDF写真)

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クルドYPG主導のSDFはラッカ攻略のための「ユーフラテスの憤怒作戦」を昨年11月開始。ラッカを北部・西部・東部の3方面から包囲する形で作戦が進められた。6月にはラッカ市内への突入戦へと進み、10月20日に「解放」を宣言した。一方、東部戦域では、現在もISが展開するユーフラテス川東部・デリゾール方面域の攻略を目指す「ジャジーラの嵐作戦」が進められている。ジャジーラはカミシュロ、ハサカを含むシリア北東の地域を指す。図でいうと、デリゾール右の黒いISエリアを制圧していく作戦。(勢力図は2017年10年20日時点)

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【IS写真】ISは「イスラム国」を宣言したものの、ラッカをその首都とすると公式に発表したことはない。だがイラク・モスルと並んで高級幹部や中枢機能が集中しており、実質的な「首都」となっていた。写真はISドローンによるラッカ空撮。右にある川がユーフラテス。(IS映像・2017年7月)

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【IS写真】自爆突撃や狙撃などで攻防を続け、ISメディア部門もラッカ発の宣伝映像を多数公開。写真はISが9月に公開した映像のもので、ラッカ攻防戦でIS戦闘員がSDF拠点に自爆車両突撃するようす。ドローンで上空から撮影している。ドローン映像をモニターしながらで自爆車両運転手を無線で標的に誘導指示する例も増えた。(IS映像・2017年9月)

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【IS写真】ISは「ラッカでの戦いに呼応して世界各地でテロを」などと宣伝映像を通じて呼びかけた。写真は、単独型決起テロを呼びかけるオーストラリア出身とみられるIS戦闘員。(IS映像・2017年8月)

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【IS写真】SDFによるラッカ攻略戦は、米軍主導の有志連合軍と空爆支援のもとに進められた。SDF側は戦闘前に多くの市民を安全地帯に一時避難させた。だがすべての住民が避難できたわけではなく、空爆では一般市民の巻き添え被害もあいついだ。写真はISが公開した、米軍A-10サンダーボルト攻撃機とみられる機体。「アッラーの御意のもとまもなく墜落することになろう」とするキャプション。(IS映像・2017年7月)

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今回のSDFの「ラッカ解放宣言声明」はアラビア語版とクルド語版で出された。声明の最後に出てくる言葉、「シェヒッド・ナミリン=烈士は死なない(戦死者は死したとしてもその意志は永遠に消えることはない)」は、クルディスタン労働者党(PKK)とYPGの常用句で、その影響力がうかがえる。画像はクルド語の声明部分。

「ユーフラテスの憤怒」作戦・これまでの流れ(おもな声明一覧)
第1段階・開始声明 (2016/11/06)    第2段階・開始声明 (2016/12/10)
第2段階・戦果報告 (2017/01/16)    第3段階・開始声明 (2017/02/04)
第3段階・第2攻勢 (2017/02/17)    第4段階・開始声明 (2017/04/13)    
タブカ・ダム制圧声明
(2017/05/12)
ラッカ突入・大攻勢戦開始声明(2017/06/06)
ラッカ解放宣言 (2017/10/20)

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