イスラム国(IS)・イラク・シリア・クルド情勢

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【シリア民主軍SDF声明全文】イスラム国(IS)最終拠点バグーズの制圧とIS掃討戦勝利【写真12枚】

◆シリアのIS拠点壊滅~あらたな局面へ
3月23日、シリア民主軍(SDF)司令部は、シリア・デリゾール南東部バグーズのIS最終拠点を完全制圧したとして声明を発表した。以下はSDFによるIS拠点制圧と掃討戦勝利声明の全文。

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IS壊滅戦の勝利を宣言するシリア民主軍(SDF)。声明を読み上げるのはマズルム・コバニSDF総司令官(2019年3月・写真:ANHA通信)

シリア・バグーズ制圧とIS掃討戦勝利声明
シリア民主軍(SDF)
(2019/3/23)

シリア民主軍総司令部の名において、また我々と塹壕をともにして戦ったすべての諸連合を代表し、いわゆる「イスラム国」組織が壊滅し、バグーズ地域の最終拠点で終止符が打たれたことを、きょう、我々はここに宣言する。

2012年、2013年の英雄的な抵抗戦の過程で、わが地域部隊が限られた資力となっていたなか、我々の地域は2014年初頭に攻撃にさらされ、同じ地域の諸勢力のなかにあっては、なかでもダアシュ(IS)の猛攻が先鋭化した。
訳註:SDFが結成されたのは2015年10月で、「2012年、2013年のわが地域部隊の抵抗戦」と言及している部分は、SDFを実質的に主導するクルド・人民防衛隊(YPG)の戦いを指す)

これらの攻撃はもっとも流血に満ち、残虐で、広範囲に及ぶものであった。なかでもコバニ攻防戦は、テロリズムに対する全世界的な抵抗の象徴であり、IS敗北への転換点となったことは特筆すべきである。

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シリア民主軍(SDF)マズルム・コバニ(シャヒン・ジロ)総司令官。
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5年にわたる戦いを経て、いま、ISの物理的な敗北と、人類に対するISのあらゆる目論見が終焉したことをここに我々は宣言する。

ISとアルカイダに対する戦争を通じ、我々が成し遂げた成果、すなわちシリア北部の諸々の構成体のすべての住民、およそ500万人をテロの一群から救い、シリア国土の5万2千平方キロを解放し、テロの脅威を排除したことを誇りとするものである。

この勝利には高い代償も払わなければならなかった。1万1千人を超えるわが軍の司令官、戦闘員が戦いに殉じ、ISの標的となった民間人も犠牲となり、また2万1千人の戦闘員が負傷した。 

この場において、これら英雄たちを我々は忘れてはならず、戦死烈士たちを追悼し、また戦傷者の回復を願うものである。彼らの犠牲なくしては、この勝利は勝ちとることはできなかった。同様に、テロに対する戦争に貢献したすべての勢力、とりわけISに立ち向かった国際有志連合に深い感謝を表したい。

テロに対するこの戦いでシリア民主軍が勝利に至ったおもな要因は、その民主的な姿勢、民主的国民の原則の貫徹、女性解放、諸人民の共存と同胞精神の原則であった。その原則はクルド人、アラブ人、シリア正教徒、アッシリア人トルクメン住民、チェチェン人、チェルケス人、国際義勇戦士たちをシリア民主軍の旗のもとに結集させるものとなった。

シリア民主軍が解放された地域の住民を支援すべく、行政機関や治安機構を設置し、整備した。これら機関は、これらの地域が民主的かつ公正な選挙を通じて行政・立法評議会を再建できるよう、地域の安定を創出することとなろう。

これに関連して、我々はダマスカス中央政府に向け、対話プロセスを選択し、シリア北東部での選挙によって選ばれた自治行政機構の承認と特定実力組織たるシリア民主軍の受け入れを土台とした政治解決のための具体的なステップを開始することを呼びかける。

またトルコに対し、シリアに内政問題に干渉せず、安全を継続的に脅かすのをやめ、シリア領内、とりわけアフリンから撤退し、相互信頼と良き隣人関係にもとづいて、この地域の懸案の諸問題解決への手段としての対話を受け入れるよう求めるものである。

最後に、ISのテロリズムに対する我々の戦いは、完全なる勝利が獲得され、その存在が徹底一掃されるまで続くものであると確認する。

同時にまた、我々は、テロリストに対する戦いのあらたな段階が始まったことを国際社会に宣言する。、これらは、我々の地域と全世界にとっての深刻な脅威であるISスリーパーセル潜伏といった軍事的脅威を完全に排除することを目的とし、国際有志連合軍と連携した軍事・治安作戦の継続をもってなされるものである。

シリア民主軍(SDF) 総司令部

2019年3月23日

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シリア東部デリゾールからさらにイラク国境近くにバグーズはある。SDFは2017年10月ラッカ攻略後、デリゾールへとISを追撃し、バグーズ南部のユーフラテス川べりで包囲した。(勢力図は2019年3月下旬時点)

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シリアのIS最終拠点となったバグーズ。米軍・有志連合の空爆シリア民主軍側の砲撃などが繰り返され激戦が続いた。拠点にとどまったのはIS戦闘員のほかIS家族もいて、巻き添えの犠牲も少なくない。被害実数は明らかにされていない。(2019年3月:写真:YPGメディア)

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SDF側はIS戦闘員に繰り返し投降を呼びかけ、降伏する戦闘員もあいついだ。一方、外国人などIS思想を強固に信奉する戦闘員らは玉砕覚悟で戦闘を続けた。(2019年3月:写真:YPJメディア)

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IS戦闘員と行動をともにしていたIS妻や子供たちを含む住民もシリア民主軍側に収容された。IS家族、住民も含まれる。身元確認などを経て、収容施設やキャンプなどに移送された。(2019年3月:写真:SDFメディア)

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 IS掃討作戦はアメリカの武器供与や、米軍・有志連合の航空支援を受けながら進められてきた。軍用車両ハンヴィほか自動小銃・弾薬などもアメリカが供与。SDFを主導するクルド・人民防衛隊(YPG)をトルコは「テロ組織」と規定しているため、アメリカも武器供与の範囲を限定。だが「IS壊滅」を選挙公約に掲げてきたトランプ大統領になって以降、武器支援は拡大。(2019年1月:写真:SDFメディア)

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バグーズにISを追い詰め、砲撃を加えるシリア民主軍。実質的に主導するのはクルド・YPG。SDFの戦闘力なしにはIS壊滅を進めることができなかった現実からアメリカは地上部隊を派遣するなどして作戦支援、武器供与に加え、軍事訓練などで連携してきた。(2019年3月:写真:YPGメディア)

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シリア民主軍(SDF)を構成する部隊・勢力。実質的にはクルド・人民防衛隊(YPG)が主導し、中枢司令官もクルド人が多い。あくまでも主観ながら赤枠はクルディスタン労働者党(PKK)の影響力が強い組織。拡大 

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バグーズ制圧を宣言する記念式典で整列するSDF戦闘員。(2019年3月・写真:ANF通信)

f:id:ronahi:20190330125445j:plain勝利式典では米軍・有志連合代表も出席。マズルム・コバニSDF総司令官(右)とアメリカのルーボック有志連合米特使(中央)。マクガーク特使の後任として今年1月から特使。マズルム・コバニ(シャヒン・ジロ)総司令官については、2017年にトルコ側に「寝返った」SDF報道官の記事で詳細(2019年3月・写真:SDF映像)

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【IS映像】ISは包囲下のバグーズからISメディアで映像発信を続けた。「不屈の意味」と題する映像はバグーズ陥落直前のパート2まで出た。パート1では、なぎら似の男がアッラーを信じたゆえに迫害されたコーランの星座章の一節を引用して、米軍・有志連合とそれに連携するシリア民主軍を批判。外部にIS支援ネットワークがあるとみられる。(2019年3月:IS映像より)

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【IS映像】ISはバグーズの最終拠点で戦う戦闘員の様子を伝えた。銃を手にする少年とみられる姿も映る。外部にIS支援ネットワークがあるとみられる。(2019年3月:IS映像より)

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今回のSDF声明でも触れられていたように、IS拠点の壊滅は果たせてもスリーパーセルと呼ばれるISの地下潜伏要員やシンパが自爆攻撃や暗殺戦を各都市で続けている。これは今年1月、マンビジ市内のレストラン付近で米軍兵士2名含む関係者4名が死亡、死傷者あわせて16名の犠牲が出た事件。ISが犯行声明を出した。ISが完全に壊滅したわけではない。(2019年1月:写真:ロナヒTV)

「ユーフラテスの憤怒」作戦・これまでの流れ(おもな声明一覧)
第1段階・開始声明 (2016/11/06)    第2段階・開始声明 (2016/12/10)
第2段階・戦果報告 (2017/01/16)    第3段階・開始声明 (2017/02/04)
第3段階・第2攻勢 (2017/02/17)    第4段階・開始声明 (2017/04/13)    
タブカ・ダム制圧声明
(2017/05/12)
ラッカ突入・大攻勢戦開始声明(2017/06/06)
ラッカ解放宣言 (2017/10/20)

 

【イスラム国(IS)】パンクスからIS妻になった英国人サリー・ジョーンズとは・息子ジョジョは捕虜処刑映像~米軍ドローン攻撃でサリー死亡報道(3)写真19枚(全3回)

◆サリーの夫は空爆死、幼い息子は捕虜処刑映像に
サリーがIS勧誘や英国でのテロを呼びかけただけでも十分深刻だったが、さらに衝撃の事態が起きる。2016年、ISが公開した捕虜処刑映像に、息子ジョー(愛称ジョジョ)とみられる子供が映っていたのだ。そして2017年6月、米軍ドローン攻撃でサリー死亡が報じられる。(写真を含め英メディア報道と、サリーを番組で報じた英TVプロデューサーから聞いた情報をもとにしています。撮影時期と情報が前後する場合もあります)【1】【2】【3】

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2016年8月、IS・ラッカ県メディア部門は敵対勢力の捕虜を次々と殺害する映像を公開。ISに対峙するクルド勢力の捕虜を、エジプト、イギリス、チュニジアウズベキスタン出身とみられる子どもが銃殺。右から2番目に立つ少年はサリーの息子ジョジョではないかと報じられた。ジョジョはシリア入り後、アブ・ハムザの名をつけられたが、映像ではアブ・アブドラ・アル・ブリタニと名が出ている。(2016年8月・IS映像・一部をぼかしています)

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ISはラッカ発映像で敵対するクルド組織の5人に囚人服を着せて銃殺する映像を公開、そこに映っていたのが、サリーの次男ジョジョとみられる青い目の少年だった。ジョジョならこのとき11歳。「サリーの息子が処刑映像に登場」との報道に英国社会では大きな衝撃が広がり、ジョジョの祖母は苦しい心境を英紙に語っている。(2016年8月・IS映像)

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サリーはシリア・ラッカを拠点にしていたが、イラクに行ったことも。「チグリス川でピクニック」とツイッターに投稿している。当時、IS地域から刻々とメッセージを発信するサリーは「IS有名人」のひとりだった。書き込まれたメッセージにリプライするなど、IS妻と世界がライブでつながる状況になっていた。

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サリーはツイッター発信を宣伝戦術としたのか、投稿することで承認欲求を満たしたのかはわからない。米海軍特殊部隊NAVY SEALsの個人アドレスのリンクを「殺害リスト」として投稿もした。ツイッターフェイスブックの運営がアカウント凍結対策を強化したものの、新たなアカウントで発信が繰り返された。ただしかつてのような野放し状態に比べると発信は減った。またIS関係者は相互メッセージのやり取りを、テレグラムなど別のSNSに移していった。

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2015年11月に英TV・チャンネル4で「IS支える英国女性たちの実像」という番組が放送された。番組では女性ディレクターが身分を隠し、過激主義に関心を持つ女性になりすましてロンドンの地下ネットワークに潜入し、1年にわたって隠し撮り取材。そこでは女性たちがシリア入りをコーディネートする地下ネットワークの存在が明らかに。(Channel4番組より)

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番組内では、なりすました取材者が「ニカブをかぶりたいけど母が許してくれないの」とシリアにいるサリー・ジョーンズにメッセージを送る。するとサリーは「(イスラム国に)移住してはどう?」と返信し、航空券についてアドバイスする。潜入取材では英国内でシリア行きをサポートする女性も追っている。(Channel4番組より)

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この番組を制作した英国人プロデューサー氏とは自分も何度か一緒に仕事をしたことがあって、いろいろ教えてもらった。番組では潜入取材者が隠し撮りを続けるも、最後には地下グループのリーダー格の女性から疑われて取材中止までが映っている。「リーダー女性の顔を放送して大丈夫だったのか」とプロデューサー氏に聞いたところ、女性はすでにテロ関連容疑で治安当局に逮捕されたという。(Channel4番組より)

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このプロデューサーのチームは、英国のIS支援ネットワーク隠し撮り取材だけでなく、別番組で英極右組織にも潜入。そこでは「現代の最大の標的はユダヤではなく、移民とイスラム」とする過激なヘイト思想と排外主義的政治目標が語られる。プロデューサー氏によると、どちらの番組も反響があったが、極右潜入番組のときは脅迫があり、また治安機関が傍受した極右組織の通信でプロデューサー氏の名が挙がっていたことから、身辺に気をつけるようアドバイスがあったそうだ。ISと極右、いずれの過激主義も英国社会が直面する深刻な問題だ。(ITV番組より)

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英Skyニュースは、ラッカから出てシリア民主軍(SDF)に収容されたIS妻でサリーを知るという女性をキャンプで取材。サリーは英国に帰国したいと言っていた、と話す。事実であれば、サリー自身が望んでISに加わり、テロ扇動やIS志願者リクルートをしておきながら、帰国を望むのも勝手な話ではある。ただ、ISに入ったことを後悔する気持ちになっていたのかもしれない。一方、息子ジョジョは幼いころにサリーに連れられてシリアに入り、過激主義洗脳教育を受けて捕虜処刑までさせられている。ISの「被害者」とも言えるが、サリーとともにドローンで殺害されたなら酷なことだ。(Skyニュース映像より)

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2017年6月、サリーはラッカ南東マヤディーンで米軍ドローン攻撃を受け、死亡と報じられた。各紙は詳細な画像入りで殺害作戦成功を伝えた。米軍ドローン、プレデターからヘルファイアミサイルが発射されたという。サリー、この時、48歳。暗殺リストにリストアップされ標的となったIS女性はサリーが初めてとされる。息子ジョジョも一緒に死亡したとされるが、サリーとは別の場所にいたとも伝えられ、生死は不明。サリーの死亡はほぼ間違いないとみられている。(画像:英タブロイド各紙がサリーの死を伝えた記事より)

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英軍もIS掃討作戦を戦う有志連合に参加してきた。写真は有志連合軍・副司令官で英軍のルパート・ジョーンズ少将。IS志願の英国出身者がシリア・イラクに入り、自爆攻撃や住民殺害を繰り返し、他方、英軍がシリア・イラクで軍事作戦を展開する構図に。(有志連合・CJTF-OIR映像より)

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写真は2014年にISメディアが公表したシリア・イラクの国境盛土を破壊する写真。英国の中東政策をさかのぼれば、ISが「西側列強・キリスト教十字軍によるイスラムの地の分割」と批判するサイクス・ピコ協定も、もとはといえば英仏が引いたイラク・シリア分割線である。その場所が世界を脅かすテロ震源地になり、英仏軍が派遣される悲しき「皮肉」となっている側面もある。(2014年6月・ISメディア・HAYAT・ISリポート・第4号より)ISの国境解体映像 >>

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写真はシリア・ラッカでのISへの英空軍のドローン攻撃(サリー殺害の米軍ドローンとは別の映像)。日本とヨーロッパでは状況も背景も異なるが、例えば日本人が数百人単位で紛争国に入って過激組織に加わって住民を処刑したりテロを扇動し、実際に支持者が日本国内で無差別に市民殺傷して、その紛争国に自衛隊を派遣して容疑者らをドローン攻撃で殺害、さらに巻き添えで地元住民にも犠牲が出てしまう状況を想像できるだろうか。これがこの数年、欧米各国がISとの関係で直面してきた現実でもある。(英国防省映像)

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右はサリーがドローン攻撃で死亡したことを伝えるThe Sun紙のトップ見出し、「白い未亡人・抹殺される」。IS問題はシリア・イラクでの紛争だけでなく、ヨーロッパ、そして英国国内のテロ対策に直結する深刻な課題となっていた。無差別殺傷や爆弾事件があいつぎ、また戦火から逃れてきた難民の受け入れをめぐる政策も左右する問題だった。

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英国出身の子どもがIS処刑映像に登場したのは、サリーの息子ジョジョだけではない。それに先立つ2月、車に閉じ込めた「スパイ」を子どもが遠隔爆破リモコンで爆破し殺害させる映像がある。イサ・デア(4歳)とみられ、母グレースは「私は西側の人質を殺す最初の英国人になりたい」とSNS上に書き込んでいる。父はスウェーデン国籍のアブ・バクルで、戦闘で死亡したとされる。英国出身でIS地域入りした子どもは少なくとも50人いるといわれる。(2016年・IS映像)

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ニュースサイト・バーミンガムライブは2018年10月、「サリーは生存していた可能性」とする情報を伝えている。シリア・クルド組織YPGに拘束されたカナダ出身IS戦闘員ムハンマド・アリ(アブ・トゥラブ)の証言として、シリアのハジンまたはシャファハに潜伏しているのではないかとしているが、真偽は不明。その後も生存情報や身柄拘束報道は出ていない。(写真はAFP映像より)

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これまでにIS入りした英国出身者の戦闘員と女性・子どもはあわせて800人前後とされる。IS拠点が陥落するなか、拘束された戦闘員やIS家族の本国送還も今後、大きな問題となるだろう。

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かつてはパンクスだったサリーが変遷を経たのち、なぜ過激組織ISに惹かれ、シリア入りするに至ったか、その動機は不明のままだ。100人いれば100の個々の背景がある。既存社会への反発や、人生への悔悟が宗教に向かわせたのか、サリーが心寄せたジュナイドへの思いからか、理由は様々だろう。ISによって多くの住民、異教徒が苦しめられ、彼女のテロ扇動が欧米で無差別テロを誘発することにもつながった現実や、息子の運命までも変えてしまったことを見るならば、サリーの人生を「パンクでアナーキーな生き方」とするにはあまりに悲しみに満ちている。

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過激主義に惹かれる一定層の人間が存在するのは宗教に限ったことではなく、左翼、右翼含め、いつの時代でもある。ISに関連したマンチェスター爆弾事件やウェストミンスターでの襲撃など、いくつもの市民殺傷事件が起きた英国だが、ほとんどのイスラム教徒はISのような過激主義と無縁で暮らしている。ロンドン市長パキスタン系のイスラム教徒であり、市民に支持されている点も押さえておきたい。写真は2017年3月に起きたロンドン車両暴走殺傷事件の現場、ウェストミンスター橋で手をつないで犠牲者を追悼するイスラム教徒の女性たち。(写真はロイター)

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【イスラム国(IS)】パンクスからIS妻になった英国人サリー・ジョーンズとは(2)IS志願者リクルート・欧米でのテロ扇動(2)写真19枚(全3回)

◆サリーの夫と英国IS戦闘員ら、ドローン標的で空爆
夫に続いて幼い息子ジョジョとともにシリア入りしたIS妻サリー・ジョーンズ。ネットでIS志願女性のリクルート活動をする一方、欧米でのテロを扇動した。IS戦闘員となった夫ジュナイドがドローン攻撃で死亡し、自身は国連に「テロリスト指定」される。英メディアはサリーを「白い未亡人」と呼んだ。(写真を含め英メディア報道と、サリーを番組で報じた英TVプロデューサーから聞いた情報をもとにしています。撮影時期と情報が前後する場合もあります)【1】【2】【3】

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左は90年代にパンクバンドでヴォーカル・ギターしていた頃、右はIS入りしたサリー。彼女が勧誘してIS入りした英国ほか外国人は相当数に上り、また欧米での具体的テロ行動も呼び掛けている。パンクスからIS妻となった彼女を「数奇な運命」の一言では片づけられない。

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サリーの夫・ジュナイドは2015年8月24日、米軍のドローン攻撃で死亡。なぜ彼の居場所がわかったかは不明だが、地元のスパイが情報を送ったか、彼の使っていたメッセージアプリSurespotが解読されて位置情報特定につながったなど諸説ある。

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2014年9月頃にジュナイドがツイッターにアップした写真。報道では、ジュナイドは米国防総省のヒットリストの3位だったとされる。ドローンによる爆殺は成功したが、「テロリスト抹殺」の名のもとの空爆では、巻き添えとなっている地元住民が多数いることも知っておきたい。

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ジュナイドはIS内のオンライン・リクルート活動やハッキング部門の主要メンバーとなり、FBIはこの集団を「ラッカ12」「レジオン(軍団)」と呼んでいた。英国カーディフ出身のレヤード・カーン(アブ・ドジャナ)も加わっていたとされる。2015年にはマレーシアでコソボ出身の青年がハッキングした米軍・政府関係者約1300人分の個人情報リストを、ジュナイドが「ISハッキング部門」として拡散させる事件が起き、コソボ出身の青年はマレーシアから米国移送ののち20年の刑を受けている。

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ジュナイドが米軍ドローンで殺害される3日前、英国出身のIS戦闘員2人、レヤード・カーンとルフル・アミンが英空軍ドローンの攻撃によって殺害されている。英米の情報機関ともジュナイドらのIS地域での動きをマークし、ヒットリストの上位に名を連ねていた。

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レヤード・カーンは学生時代、成績優秀で、当時、自身のフェイスブックで「将来はアジア系初の英国首相になるのが夢」と記していたという。その数年後にはシリア入りし、IS映像で「不信仰者が敵意を見せるほど我々は強くなるのだ」と語る。ツイッターでは、殺害したヌスラ戦線戦闘員の死体や、コンバージョンキットでカスタマイズしたグロック銃の写真をアップしていた。ルフル・アミンはピザ配達などの仕事をしたのちシリア入り。2人は2015年8月、英空軍ドローンReaperのピンポイント爆撃によって殺害された。

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ジュナイド、レヤード、ルフルら3人の殺害を英議会で報告するキャメロン首相(当時)。英国内では、「国際法上の交戦国でない国の領土内において英空軍ドローンが英国市民を殺害する行為」については議会の承認など法的手続きを経るべき、との議論を呼んだ。キャメロン首相は国家安全保障の観点から「差し迫ったテロの脅威」排除のため必要な措置とした。識者からは「差し迫った」の定義や殺害命令の判断基準を明確にすべきとの指摘も出た。(2015年)

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英紙テレグラフが入手した映像。2014年後半、英国出身戦闘員をラッカで撮影したもので、左からジュナイド・フセイン後藤健二さんら日本人人質殺害予告映像に登場したほか複数の欧米人殺害に関与したムハンマド・エムワジ(通称ジハーディ・ジョン)、レヤード・カーンとされる。ジュナイドとレヤードについては前述のようにそれぞれ米英軍の攻撃で死亡、またジハーディ・ジョンは2015年11月、米軍の空爆で死亡したとされる。(TELEGRAPH紙より)

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夫・ジュナイドの死後、サリーはツイッターに投稿。「夫がアッラーの最大の敵に殺されたことを誇りに思う、アッラーよ、彼を嘉し給え。彼こそ最愛の人」。さらに死の翌月には、「夫は自分が殉教者になったら私に続けてほしい、と言っていた。クッファール(不信仰者)など恐るるにたらず」とツイート。

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左はサリー・ジョーンズが使っていた複数のアカウントとされるものの一部。(いずれも凍結済み)。右はサリーのツイッターで、地下鉄でのテロをほのめかすツイート。今でこそツイッター規制は厳しくなったが、当時はアカウント凍結へのツイッター運営側の対応も遅かった。それでも何度も凍結されては新アカウントで過激ツイートが繰り返された。誰もが読めるツイッターのほか、秘匿性の高い別のSNSアプリでは英国内の地下シンパに具体的な指示を与える個別メッセージを送っている。

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サリーの存在はIS入りしたことが明らかになった当初からタブロイド紙の恰好のネタになり、「パンクロッカーからトップ・テロリスト女性に」などの見出しがつけられた。左のサリーのコラージュ写真はタブロイド紙面で繰り返し使われる。もとはコリン・ベイトマンの小説「ジャックと離婚」(ディボーシング・ジャック)の表紙(右)を反転させたものにサリーの顔をコラージュしたもの。夫を失ったサリーを英メディアは「白い未亡人」と表現。

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「白い未亡人」はもともと北アイルランド出身のサマンサ・ルースウェイトにメディアがつけた呼び名。イスラム教に改宗したサマンサはジャマイカ系英国人ジャーミインと結婚。その後、ジャーミインは2005年7月のロンドン同時多発爆弾テロ事件の実行犯となり爆発で死亡。サマンサは幼い子供とともにアフリカに渡るも、過激組織アル・シャバブに関与した容疑などで手配され、現在も逃亡中。左はサマンサが南アフリカ国籍者になりすまして不正取得した偽名パスポートと報じられたもの。チェチェン紛争で夫を亡くした妻らが組織したグループが「黒い未亡人」と呼ばれたことにからめて、サマンサは「白い未亡人」と呼ばれるようになった。のちに夫を失い、過激主義の道を進んだサリー・ジョーンズも同様の異名がつけられることに。

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夫・ジュナイドの死の翌月の2015年9月、国連はサリーを「IS構成員としてリクルート活動」などの理由で渡航禁止・資産凍結の制裁対象に指定した。この画像は日本の外務省サイト「国連決議に基づく制裁対象リスト」から。リストには他にもアルカイダ指導者ザワヒリタリバン幹部、そしてビン・ラディン息子らの名が並ぶ。女子パンクスからこの「世界最強やばい人たちリスト」の制裁対象になったという意味では、すさまじい人生とも言える。制裁対象リストダウンロードはここ>>(外務省サイト・PDF形式)

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サリーは自分が制裁対象リスト入りしたことに、すぐさまツイッターで反応。「デビッド・キャメロンが私の名を国連制裁リストに入れたって記事見つけたわ。私に渡航禁止って(笑)」とIS地域からツイート(2015年9月)。国連制裁対象による資産凍結といっても、旧ユーゴのミロシェビッチ大統領やリビアカダフィ大佐一族らも名を連ねる制裁リストであり、生活苦だったサリーには凍結される資産もなく、英国旅券も無効となっているが、国連にテロ組織構成員と指定されたことで第三国に逃亡しても追跡されるなど多くの制約や監視の対象となる。

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このとき国連がIS構成員として制裁対象リストの指定テロリストとした英国籍者はサリーを含め4人。
◆オマル・フセイン(アブ・サイード):2013年支援団体を装ってシリア入り。元は大手スーパーチェーン店「モリソンズ」警備員だったことからタブロイド紙からは「スーパーマーケット・ジハード戦士」とも。
◆アクサ・マハムード(ウンム・ライス):2013年11月、シリア入り。当時20歳前後、ISでは女性宗教警察部門にあたるアル・ハンサ旅団に配属。アクサの両親は英国で苦悩に満ちた表情で記者会見している。
◆ナセール・ムサンナ(アブ・ムサンナ):医学生で2013年、弟とともにシリア入り。IS映像ではリヤード・カーン、ルフル・アミンらとともに登場。

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話はそれるが、このスーパーマーケット・ジハード戦士、オマル・フセイン(アブ・サイード)は2014年、IS映像「ジハード戦士のメッセージ」に登場し、「不信仰者の地の中心部でテロを起こせ」と扇動するなど、英国出身IS戦闘員の有名人として知られていた。一方、自身のSNSアカウントでは、仲間にサンダルが盗まれたなど、地元戦闘員との「文化」の違いに不満を漏らすこともあった。IS拠点ラッカが陥落後、英Skyニュース取材班は、ラッカのIS収容施設の拘置房内の壁に彼の名前を発見し、査問で死亡した可能性を伝えている。もし事実なら、彼が非難してきた敵、「十字軍同盟」でなく、自身が忠誠を誓ったISに処断されたことになる。

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シリア入りしたIS妻たちの一部には銃の訓練を受けた者もいる。マンチェスター出身でISに加わったハラネ姉妹は、ツイッター武装訓練の写真を投稿している。ただし実際の最前線の戦闘現場に立つのは、戦況が悪化し始めてからの頃となる。

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前述のサリーとともに国連の制裁対象とされたグラスゴー出身のアクサ・マハムード(ウンム・ライス)は、ISアル・ハンサ旅団で活動。彼女が投稿した写真では、生首を手にした女性の姿が映る。IS妻も様々で、自らの強い意志でISに加わった者もいれば、ただ夫に従うままに子どもを連れシリアに入った例もある。地元シリア人の話によると、外国人には「カリフ国の女性」となった高揚感ゆえに過激主義志向の女性が少なくなかったという。一方で、生活が破綻したり、組織に幻滅して逃亡を企て、処罰された例も多数あった。

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ISが2018年2月に公開した「インサイド・ヒラーファ7」には、前線で銃を持って戦うヒジャブ姿の女性戦闘員の姿が映っている。ISが公式映像で明確に戦う女性戦闘員を紹介したのは、おそらくこれが初めてではないか。戦況悪化のなか、女性もジハードの現場に立つことでアピールする意図があったとみられる。(2018年・IS映像)

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サリーのツイッター・アカウント。プロフィールには「アブ・フセイン・アル・ブリタニの妻」とある。夫の死後は「殉教者アブ・フセインの妻」と記すようになった。IS支配地域からツイートを続け、ISプロパガンダ拡散や志願者、シンパを獲得するリクルート活動をしたほか、欧米でのテロも扇動。実際にシリア入りする英国出身者があいつぎ、また英国内では市民を標的とした無差別テロも起き、深刻度は増していく。

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【イスラム国(IS)】「どうしてこうなった」パンクスからIS妻に~英国人サリー・ジョーンズとは(1)フライングVからAK-47に・写真20枚(全3回)

◆IS戦闘員夫が戦死、息子は捕虜を銃殺
イスラム国(IS)には様々な国から外国人が加わった。その背景はじつに様々だ。なかでもこの英国人女性サリー・ジョーンズ(死亡時48才)は、特異な経歴やシリアからテロ扇動ツイートを続けたこともあって、英メディアの関心の的となってきた。サリー・ジョーンズとは。(写真を含め英メディア報道と、サリーを番組で報じた英TVプロデューサーから聞いた情報をもとにしています。撮影時期と情報が前後する場合もあります)【1】【2】【3】

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どうしてこうなった感が満載の英国人サリー・ジョーンズ。90年代は女性パンクバンドで活動していたサリー。これがのちにISに入り、欧米テロを扇動するわけで、相当なインパクトである。右はサリーとされる写真。フライングVがAK-47になるまでに何があったのか。結論から言うと「どうしてこうなった」の理由はわからない。その波乱万丈さはドラマのようでさえあるが、テロ扇動やIS志願者の大量勧誘、そして幼い息子をIS戦闘員に養成し、ついにはドローン攻撃で死亡(48歳)と、実際の物語はあまりに悲しみに満ちている。

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サリー・ジョーンズは1968年、ロンドン南東グリニッジ生まれ。カトリックとして育てられたという。幼いころ両親は離婚。サリーが10歳のとき父は自殺し、苦労の多い家庭環境だったと伝えられている。

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女性パンクバンド Krunch(クランチ)で活動した時期。左から2番目がサリー。

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サリーの若い頃とされる写真。彼女がいちばん輝いていた頃でもある。美容関係の仕事に進み、のちにはロレアル化粧品の販売員をするなどしていた。

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ボーイフレンドとの間に最初の子ども(長男ジョナサン)ができたが、96年、その彼氏は29歳で肝硬変で病死。幼い子どもを抱え、苦労する生活が続いた。

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イングランド・ケント州チャタムに居住。ネットでは黒魔術、魔女占いに関心を示していたとも報じられている。

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その後、ダレン(左)と結婚し、2004年12月、次男ジョー(愛称ジョジョ)を出産するも、のちに離婚。英紙報道では、ダレンの父の話として、サリーが「産後うつ」になり、引きこもりがちになったとしている。離婚後、サリーはジョジョ公営住宅に住んでいたが、当時の近所の住人は、ときおり大声でわめくなど、荒れた生活がうかがえたという。

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不安定な生活と精神状態だったサリーがネットの出会いサイトで知り合ったのが、25歳年下のジュナイド・フセイン(当時20歳前後)とされる。パソコンやネットが得意だったジュナイドはハッカーグループ「チーム・ポイズン」(TeaMpOisoN)の中心メンバーとして活動、ハンドルネームはTriCk。写真右がジュナイドではないかとされるが、シリア入りするまで2人が直接会ったかどうかも不明との情報もある。

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サリーと出会う前の2011年、ジュナイド・フセイン(当時18歳)は、ハッキングでブレア元首相の個人情報を流出させたほか、テロ情報通報ホットラインに偽装電話プログラムを使って回線をパンク状態にして妨害するなどして逮捕。写真は裁判所前でのジュナイドを英メディアが報じたもの。半年の禁固刑を受けた(未決拘留算入で減免)。弁護士は「温和で落ち着いた青年だった」としている。ジュナイドはバーミンガム生まれで、家族はパキスタン系移民、父はタクシー運転手で地域で尊敬される人物だったという。(CTC・SENTINEL報告より)

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チーム・ポイズンは数々のサイトをハッキング。画面は2011年、イスラム系移民排斥を掲げる英国極右政治団体イングランド防衛同盟(EDL)のサイトをハックした際のもの。TriCkの名はジュナイドとみられる。彼の関与は不明だが、チーム・ポイズンは他にも、英国防省メールや国連、NATOクロアチアフェイスブックなどのサイトもターゲットにした。

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ジュナイドはラップ歌手ダニー・タバナクルのミュージック・ビデオに登場したことも(赤枠)。幼いころのジュナイドは、無口で引っ込み思案な性格だったとされる。その彼がのちにハッカー専門家となり、ISジハード戦士へとなっていく。ジュナイドがシリアに向かったのは仮釈放期間中のことだった。同じビデオに映るラップ歌手、アブデルマジド・アブデル・バーリー(黄枠)もIS入りし、英情報機関の分析では米国人記者ジェームズ・フォーリー殺害予告映像に登場したのがアブデルマジドではないかとしている。

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アブデルマジド・アブデル・バーリーはラップ歌手。エジプト出身の父はケニアタンザニアの米大使館爆破事件に関与し米国で25年の刑を受け服役。アブデルマジドは”L Jinny”の名で複数の音楽クリップも発表。音楽シーンで知り合ったジュナイドとはシリア国内で行動をともにしていた。アブデルマジドは、2014年2月に「ジュナイドと一緒に自由シリア軍に拘束され、銃、弾薬、金品を強奪された」とツイート。写真右端はラッカ中心部ナイム広場で生首を手にするアブデルマジド。2015年7月テルアブヤッドからISが撤退して以降、消息不明で死亡説のほか難民に偽装してトルコに逃亡したともいわれる。

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シリア入りの前は福祉給付金(いわゆる生活保護)を受給していたとされるが、サリー自身はこれを否定。この頃の年齢は46歳ぐらい。タイムズ紙は、ジュナイドとネットで出会ったのちの2013年5月、サリーはイスラムに改宗し、息子ジョジョとシリア入りと報じている。

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サリーと次男ジョジョの2012年の写真。のちに、幼い次男ジョジョがクリスマス休暇の時期に、ともにシリアに向かったとされる。英国に残った長男ジョナサンには2014年9月、18歳で子どもが生まれているので、シリア入り後の時期にはサリーには孫ができたことになる。

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ジュナイドに呼ばれ、次男ジョジョとともにトルコ経由でシリア入りを果たしたサリー。左はサリーとされる写真。英メディアではMrs.Terror(ミセス・テロル)と呼ばれるまでに。いずれもシリアで撮られた写真で、右はサリーの次男ジョジョ(2016年頃)で、子供用のアフガン式イスラム服を着ている。ジョジョにはアブ・ハムザの名がつけられた。

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サリーの夫ジュナイドは、シリア入り後、IS軍事キャンプで訓練を受け、IS戦闘員に。シリアからアメリカ国内のシンパらとネットで連絡を取り、オハイオの大学生に米軍兵士殺害やシンシナチ警察に対する自爆攻撃、銃乱射を教唆したなど複数のテロ計画事件で名前が浮上し、FBIが捜査。事件は未遂に終わり、大学生は20年の刑を受けている。

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英Skyニュースが2016年に報じた映像。IS内部の第1級資料、大量の戦闘員個人情報ファイルの流出で、元自由シリア軍戦闘員でISに加わったアブ・ハメドなる人物がISを脱走し、その際にメモリーにコピーして持ち出した資料とされる。写真はジュナイドのIS参加時の個人プロフィール文書で、入国経路はシリア北部ジャラブロスとある。英紙報道では、2013年6月頃、ジュナイドがシリア入りし、その後にサリーは息子ジョジョを連れてのちに合流したとされる。サリーは「7か月イドリブにいた」としている。(Skyニュース画像より)

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サリーはサキナフセインまたはIS内部名(クンヤ)、ウンム・フセイン・アル・ブリタニを名乗り、ツイッターでも活動を積極化させる。「いま夫は、不信仰者を殺す技術を磨くため軍事キャンプで訓練中」とツイート。(現在アカウントは凍結)

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IS女性機関としてアル・ハンサ旅団が知られているが、これは宗教道徳や規律を監視する治安組織で、サリーの場合はアル・ハンサでなく、IS内のアンワル・アル・アウラキ大隊・女性部門で活動。欧米などの女性リクルートやシリア入りした外国人女性ら訓練も担当したとされる。アンワル・アル・アウラキ(写真)はイエメン系米国人のイスラムイマームで、過激主義を標榜。「アラビア半島アルカイダ組織(AQAP)」の指導者のひとりとなった。2011年、米軍のドローン攻撃によりイエメンで死亡。アルカイダとISはのちに対立するが、初期指導者であり精神的支柱のひとりとしてISは彼を顕彰している。

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ISが広大な支配地域を維持していた当時、イスラム国に入る方法を指南する英語ガイドブックがネットで拡散した。トルコからシリアへの国境越えのIS案内人との連絡の取り方が書かれていた。こうしたガイドやネットコンタクトを通じ、数百人規模で各国からシリア入りした志願者があいついだ。右のぼかしを入れた部分にある女性用コンタクト先のツイッター・アカウントのうち、ウンム・フセインはサリーで、ウンム・ワッカスは米国シアトル出身のラウダ・アブディサラームではないかとされる。(現在は凍結)。

サリー・ジョーンズ(2)IS志願者リクルート・欧米でのテロ扇動(2)写真19枚につづく >>(全3回)

オスマン帝国のアルメニア人虐殺を問い続けるSYSTEM OF A DOWN

◆100万超えるアルメニア人犠牲
オスマン帝国末期の19世紀末から20世紀初頭、領内のアルメニア人は強制移住や虐殺にさらされた。とりわけ第1次世界大戦時の迫害や虐殺は計画的に遂行され、熾烈を極めた。オスマン帝国とロシアが戦闘をしていたアナトリア東部にいたアルメニア人がシリア・デリゾ-ル砂漠へと追放され、その過程で多くのアルメニア人が命を落とした。この日をアルメニア人は「虐殺の日」として追悼している。またアナトリア東部各地でもオスマン軍やイスラム教徒住民からの攻撃で虐殺があいつぎ、一連の迫害での死者は100万を超えるとされている。アルメニア人はこの虐殺をいまも問い続けている。

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19世紀末~20世紀初頭、オスマン帝国下で起きたアルメニア人の大規模な迫害・虐殺事件。100万人以上が犠牲となったとされる。4月24日は「虐殺を記憶し追悼する日」。写真はトルコ・ビトリスで殺害された女性。(アルメニア人虐殺博物館所蔵)

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トルコは長年アルメニア人虐殺を認めてこなかったが近年、エルドアン大統領はトルコ指導者としてようやく虐殺に「追悼の意」を表明。写真は同じく博物館所蔵の虐殺犠牲者。世界が知るユダヤ人虐殺に比べ、アルメニア人虐殺は事件すら知られてないという思いがアルメニア人にはある。(アルメニア人虐殺博物館所蔵)

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アルメニア系米国人の元BBCキャスター、カーラ・ガラペディアン。以前、一緒にタリバン崩壊直後のアフガニスタン取材し、英テレビ番組作った。英アフガン番組シリーズのパート1のカメラマンが別番組でパレスチナ取材中でイスラエルに撃たれて死んでパート2のカメラをすることに。

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祖母はトルコ・ヴァン出身でオスマン帝国の迫害からの逃れ、アメリカに脱出。自己のアイデンティティたるアルメニア人とその歴史を基軸に、戦争とは何か、虐殺とはなにかを問うテーマに映像の道へ。写真はアフガニスタンで一緒に取材した際に撮ったカーラとタリバンの戦車(撮影:坂本)

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アフガンの番組後、カーラが取り組んだのは、 アルメニア人バンド、SYSTEM OF A DOWNシステム・オブ・ア・ダウン)に密着するドキュメンタリーSCREAMERS。アルメニア人虐殺の告発の活動を続け、音楽で表現し続ける。(写真:カーラ提供)

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過去と向き合うことは、現在起きている戦争や紛争、虐殺を問うことにもつながる問題。「アルメニア人虐殺だけでなく、各地で起きてきた虐殺を止めるために僕たちは声を上げるSCREMERSにならないといけない」とボーカルのサージ・タンキアン。(写真:カーラ提供)

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SYSTEM OF A DOWNの独特のメロディラインはアルメニア正教の讃美歌の旋律の影響も受けてる、とカーラ。右はボーカルのサージ・タンキアン。(写真:カーラ提供)

【動画】SCREAMERS(スクリーマーズ)映画トレイラー

映画SCREAMERSは全米で上映され、高く評価される。世界が知るユダヤ人虐殺に比べ、アルメニア人虐殺は事件すら知られてないという思いがアルメニア人にはある

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SCREAMERSではトルコのアルメニア人フラント・ディンク編集長(左)のインタビューがあるのですが、撮影直後に民族主義者にイスタンブールの路上で射殺される。この問題の深さと重さを感じたとカーラ。

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映画SCREAMERSは、UNHCR映画祭で日本にも招待される。(撮影・坂本)

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京都案内したときは名所めぐりより「阪急電車女性専用車両の表示」に興味あったらしい。「日本はイスラム系移民が増えたるの?」と写真を撮るカーラさん。いやそういう理由で導入されたわけでは…(撮影・坂本)

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とりあえず SYSTEM OF A DOWNを知らない人には、空耳アワーの「ほーら、天ぷら、まにあわない」と言えばわかりやすいかと…

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アルメニア人虐殺事件から約百年が経ったいま、シリア内戦で多くのシリア住民が故郷を追われている。そしてヤズディ教徒やシーア派虐殺まで起きた。迫害も虐殺もそしてヘイトも、今日につながっている。写真はサージ・タンキアン。(撮影:カーラ)

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シリア鉄道の多くが内戦で破壊、運行停止に。百年前、オスマン帝国の迫害で列車に乗せられ、シリアへ追放されたアルメニア人は多数に上る。たくさんのアルメニア人難民たちが鞄一つで列車に乗った。いまシリアで続く内戦。迫害や殺戮という歴史を我々は目の当たりにしている。写真は放置された列車(トルコ・シリア国境:撮影・坂本)

【イラク】フセイン政権崩壊から15年~イラク戦争・日本・そして「市民運動」

対テロ戦争の「大義」・市民運動の「大義
米軍がイラクに侵攻しフセイン政権が崩壊したのが2003年。その後、占領統治のなかで米兵による横暴や市民殺傷に批判が高まった。人びとの怒りが頂点に達していた2004年、イラク現地で様々な声を取材した。イラク人がアメリカに向ける怒りの声を日本のテレビ番組やルポで報じたら、日本の保守系市民と思われる人から「お前は反米、左翼、反日だ」などと批判をいただいた。

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2003年3月20日に始まったイラク戦争。米英軍は約15万の兵力でイラク侵攻作戦を開始。4月9日、バグダッドは陥落し、フセイン政権は崩壊。その後、アメリカ主導の連合暫定当局のもとイラク各派からなる統治評議会が設置され、のちに新政府が樹立される。(写真:当時のイラクTVより)

もし日本がどこかの外国軍に制圧され、占領軍が国民を殺し、それに対する住民の心情を報じても「左翼記者」呼ばわりされるのだろうか。さらにイラク市民の声を伝えてなぜ「反日」なのかにいたっては意味不明で、そういう人は「反米=反日」というロジックで世の中を見ているのかわからないが、これらも意見として受け止めてきた。

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バグダッド市内に展開する米軍。フセイン政権後、武装組織による米軍襲撃があいつぐようになる。(撮影:2004年)

イラク人が当初抱いていたアメリカへの反発は、のちに宗派抗争の暴力の嵐のなかで、アメリカでも何でもいいから爆弾や誘拐に脅えなくてすむよう治安を回復させてほしいという心情に変わっていった。

「米軍の横暴は許せないが、すぐに撤退すると、外国人テロリストも加わった過激な武装組織が無法の限りを尽くして大変なことになる」「米軍はいつか撤退すべき。でもまずイラク治安部隊に力をつけさせて治安を回復させてからにしてほしい」とうる声が、2007年ごろから地元では趨勢を占めるようになっていた。

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 米軍と反米武装組織との戦闘のはざまで多くの住民が犠牲とった。この女性は頭に米軍の銃弾を受けた。右写真のあごの付け根に銃弾が入っている。リング状にみえるのは髪どめ。当初は米軍が手術の費用を出してくれず、繰り返される市民殺傷に対し米軍への怒りが高まっていった。(撮影:2004年)

こうしたイラク住民の心情の変化とは裏腹に、当時、日本では多くの市民運動があいかわらず「米軍即時撤退」をスローガンにし、「イラク人の反米感情はいっそう高まっている」と主張していた。

現場で取材したイラク市民の苦悩も交えて、暴力に苦しむ人びとのあいだには「段階的撤退」という苦渋の思いが広がっていると講演やルポで伝えると、今度は日本のいわゆる左派系市民の一部の人から「米軍の占領を容認している」「真実の声を伝えていない」と批判された。

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バグダッド・アダミア地区で米軍に殺害された男性の写真を見せる兄。大工の仕事帰り、家の近くで米軍戦闘車両がいきなり銃撃して命を落とした。車には銃弾の痕がいくつも残り、座席は血だらけだった。「過激派とは何の関係もない弟がなぜ殺されなければならないのか」と兄は声を震わせた。(撮影:2004年)

できる限り様々な意見に耳を傾けるようにしてきたが、「左・右」の人たちいずれにも共通するのは「メディアは真実を伝えない」と声高に叫ぶ人ほど、多様な事実に目を向けようとせず、自分が望む情報こそ「真実」としがちなように見受けられる。自分たちの主張を補強する報道や、最初から結論ありきで取材する一部のジャーナリストが、こうした人びとに歓迎されたりする。

イラク人の誰もが外国の占領も米軍の横暴も望んでいない。同時に宗派をめぐる住民の対立、国民どうしの殺し合いも止めたいと思っている。だが先鋭化した宗派抗争の殺戮合戦はそれどころではない状態になっていた。人びとがおかれた過酷な現実や苦悩を知り、何が求められるのかを考えることこそ大切なのではないか。

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写真は車両爆弾爆発事件の現場を警戒する米兵。当初は米軍に対する反占領闘争だったイラクでの武装抵抗だったが、のちに宗教性が強くなり「ジハード」という言葉が増える。またシーア派スンニ派が宗派対立に陥り、互いに殺戮合戦が始まり収拾がつかなくなってしまう。米軍だけでなく、各派の衝突、そして治安悪化にともなう強盗集団の跋扈など、市民は何重にも苦しむことに。(撮影:2004年)

のちに米軍は撤退したが、アメリカは要するに勝手に戦争を始めておいて、自分の都合でイラクを去っていっただけである。おまけに石油という利権はしっかりと手にしていった。これまで自分が取材した人や友人たちが武装組織に狙われ殺されたりしている現実からすれば、そもそもアメリカが作り出した混乱なのだから、米兵にどれだけ犠牲が出ようともきちんとイラク人が普通の市民生活が送れるよう責任を果たしてから撤退しろよ、という気持ちになったことさえ何度もあった。

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この男性はシーア派で小学校の教師。「フセイン政権崩壊で自由を手にできたが、米軍の占領が始まってから生活の安全はなくなった。米軍の横暴に加え、治安悪化で強盗や誘拐が頻発し、いつ家族が狙われ、殺されるかわからない毎日」と話した。のちに宗派抗争で国民どうしが対峙する状況になり、10年後、ISの台頭へとつながっていく。(撮影:2004年)

アメリカのリベラル派が訴えた米軍撤退だって、イラク戦争を反省したからではなく、米兵の犠牲が絶えなかったのが大きな理由である。いきなり撤退したら宗派抗争のはざまのイラク人がどうなるかなどどこまで考えただろうか。

そして米軍が引き上げたとたんに、シーア派のマリキ政権がスンニ派を強力に締め上げ、その結果、未曾有の過激組織ISが台頭し、いたるところで住民殺戮を引き起こす事態となってしまった。「いきなり米軍が撤退すれば大変なことになる」というあの時のイラク人の懸念が現実のものとなり、ISは世界を脅かす存在にまでなってしまった。

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バグダッド・アーメル地区の治安警備を担当していたイラク軍。宗派対立が激化していた時期で、イラク軍基地には連日のように武装組織の迫撃砲弾が撃ち込まれていた。(撮影:2007年)

イラクの混乱の責任はだれにあると思うか」とバグダッドの女子大生に聞いたとき、こんな返事が返ってきた。

アメリカが悪い、国際社会も悪い、周辺国も悪い、でもこの混乱を克服できず、仲たがいを始めたイラク人も悪い。それが一番悲しい」。
この言葉はいまも心に残っている。

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バグダッドに駐留していた米軍第1歩兵師団の少佐。
当時、日本の市民団体系の人から「米軍が占領するイラクは沖縄と同じ。すぐに基地をなくすべき」と言われたことがある。住民生活が米軍の駐留で犠牲になっている共通点はあるし、基地問題に揺れる沖縄の苦悩はあるが、イラクのように宗派をめぐって地区ごとで武装組織が互いに殺しあって住民が自爆攻撃に巻き込まれて毎日死んでいるわけではない。このとき、イラク市民には「即時撤退よりも治安回復したのち段階的撤退」という声が多かった。(撮影:2007年)

イラクを引き裂いたアメリカの政策は確かに酷い。その責任は重いし、問われるべきだ。だがイラクの人びとに寄り添った気になって、「イラク人の思い」を自分たちの政治主張に利用してきた一部の市民運動に責任はないのだろうか。

アメリカのイラク攻撃を非難するデモが世界に広がったが、その数に比べてISの暴力、ヤズディ住民虐殺を糾弾するデモはどれほどあったか。イラク戦争と比べて、いまイラクとシリアへの人びとの状況にどれほど思いが寄せられているだろうか。ISによって殺された住民、そしてそのIS掃討戦で米軍の空爆で巻き添えになった子供たち、どの命も同じはずだ。

市民運動のそんな側面にやるせない思いを抱きながら、このいつ終わるとも知れない「テロとの戦い」のなかで失われていった命に思いを馳せている。

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宗派抗争がもっとも激しかった頃のバグダッドイラク軍装甲車のある場所がスンニ派地区で、向こうの建物から先はシーア派地区。互いに銃撃戦や砲弾を撃ち合っていた。かつては隣人どうしだった地区が、武装組織の対立で引き裂かれてしまった。(撮影:2007年)

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いわゆる左翼的世界観だと「イラク侵攻は米帝の世界支配」と階級史観の図式にあてはめようとする。フセイン政権崩壊時の反米武装勢力はアラブ民族主義や祖国イラクのための反米抵抗闘争という性格が強く、シーア派スンニ派が連携すらした局面もある。のちに宗派抗争が先鋭化し、「宗教」が反米意識の軸になっていった。ISはどう捉えているかというと、「西側キリスト教十字軍によるウンマイスラム共同体)の分断支配」であり、さかのぼっては十字軍のエルサレム侵奪、近代ではサイクス・ピコ協定による中東分割である。(2014年・IS映像「国境の解体」)動画>> 

【シリア・クルド】イスラム国(IS)掃討作戦~シリア民主軍(SDF)元報道官、トルコ「亡命」事件(6)タラル・セロ「証言」をアフリン侵攻への布石に(写真15枚)

クルド勢力は有志連合と関係構築、トルコはアフリン侵攻
2015年10月に結成されたシリア民主軍(SDF)。その「顔」である報道官を務めてきたのががタラル・セロだった。昨年11月、突然、トルコに「亡命」したタラル・セロがトルコの通信社で語った「証言」は、「アメリカとクルド・人民防衛隊(YPG)が地中海ルート構築密約」としてトルコ・メディアが取り上げ、のちにトルコによるアフリン侵攻の口実にも援用されることに。
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SDFは、ISの脅威が増すなかで、YPG主導のもとでシリア武装各派や有志連合と連携し、多数の犠牲を出しながらもIS壊滅戦を戦ってきた。写真はコバニ南部の戦線でISとの戦闘に向かうSDF。(2015年12月・SDF写真)

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7月、ラッカ攻略戦が大詰めを迎え、有志連合・不屈の決意作戦(CJTF-OIR)副司令官ルパート・ジョーンズ少将(英軍)がラッカ現地入りし、ラッカ市民評議会と会合を持った。この評議会も実質的にはクルド主導である。有志連合がこの評議会を事実上の統治機構として承認する流れになっている。(2017年7月・YPG写真)

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これまでのISに対する戦いとラッカ市民評議会の取り組みを評価する有志連合ルパート・ジョーンズ少将。左は市民評議会の旗。評議会はラッカほか、ISを排除した地域に設置されている。国際社会の「お墨付き」のもとに行政機関が運営されることで、人道機関の支援や国際援助の受け入れが加速することになる。(2017年7月・FURAT-FM映像)

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話はそれるが、この写真はルパート・ジョーンズ少将の父、ハーバート・ジョーンズ中佐(写真左右とも)。英軍精鋭、落下傘連隊(2PARA)指揮官で、82年、フォークランド戦争で任務中に戦死(享年42歳)。戦死後、英国最高の戦功章、ヴィクトリア十字章を授与。写真右はフォークランドでのハーバート中佐。息子ルパート少将と顔がそっくりである。

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タラル・セロがアナドル通信で「証言」したのは、トルコ軍が準備を進めてきたアフリン侵攻の直前。トルコにとっては、「絶好のタイミング」となった。写真は8月にラッカのISとの戦闘で戦死したSDF傘下のマンビジ軍事評議会司令官の葬儀に参列するタラル・セロSDF司令・報道官。(2017年9月・YPG映像)

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トルコ・メディアはタラル・セロ「証言」をもとに、「アメリカがSDF・YPG地域の石油の地中海への輸送ルート構築を提示した」とも伝えた。「クルド人は海につながるルートを持てなかったから周辺国に依存せざるを得なかった、とCIAがYPG・クルド勢力に持ち掛けた」とタラル・セロは「証言」。トルコ・メディアは米国旗とYPG旗が並ぶ写真をセンセーショナルな扱いで伝えている。(2017年12月・トルコ・ギュネシュ紙)

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「SDF報道官語る:地中海へ抜けるアメリカの計画」とするトルコ・メディアの見出し。アメリカがアフリンから地中海につながる石油ルートの構築を実際にYPG側に持ち掛けたかは不明だ。もし事実ならイドリブ、ラタキアを通り、クルド側がアメリカの承認のもとにこの地域に足がかりを作ることになり、トルコとしては容認できないだろう。この「証言」がトルコのアフリン侵攻を正当化する口実のひとつとして援用されることになる。(2017年12月・トルコ・アイドゥンルック紙)

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SDF・YPGによるラッカ攻略作戦と同時に進められたのがデリゾ-ル東部方面でのIS追撃戦。2017年12月、シリア政府軍を支援するロシア軍アレクセイ・キム中将とYPG司令官が会合を持った。トルコ・メディアは「ロシア国旗とテロリスト旗が並ぶ」などの見出しで報じた。アメリカとの連携に加え、ロシアとも関係を構築しつつあるYPGの動きにトルコの警戒感は高まっていた。(クルド・ANF通信写真)

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フランス元外務大臣ベルナール・クシュネルは2017年9月、ロジャヴァ(シリア・クルド地域)入り。クシュネルは国境なき医師団の共同創設者としても知られる(のちに分岐)。2014年にシリア入りした際は、記者会見で「クルド勢力はISとの戦いだけでなく、民主社会建設の取り組みを前進させている」と称賛までしている。ISが凶悪なテロを世界各地で繰り返したことで、それと直接戦うSDF・YPGに注目が集まった。逆説的に言えば、ISが存在しなかったら、YPGに国際支援が寄せられることはなかったとも言える。それはクルド民族が経験してきた悲哀でもある。(2017年9月・SDF写真)

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ISを排除し、瓦礫が広がるラッカ中心部でオジャランPKK指導者の巨大な肖像を掲げるSDF・YPG・YPJ部隊。タラル・セロの「証言」では、アメリカは民衆の反発などを避けるためにオジャランの肖像を掲げるのを控えるようYPGに繰り返し伝えたが、YPGは聞かなかった、としている。確かにクルド人指導者の肖像をアラブ人地域で広げることは、住民の余計な反発を招く。トルコ政府は「IS以後のラッカ統治の実態はPKK支配」とアメリカに警告してきた。(2017年10月・クルドメディア写真)

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オジャランの肖像掲揚は、問題はあれど一応はシリアのクルド人組織がシリア領内で掲げている。(※オジャランはトルコ・ウルファ出身のクルド人)。他方、トルコはシリアという外国領で、トルコ国旗を堂々と掲げ、反体制派を支援。写真はシリア・ジャラブロスで自由シリア軍系組織の一部がトルコ軍の訓練を受け、警察部隊として編成された映像から。(トルコ・TRT映像)

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タラル・セロがトルコに「寝返った」直後は、YPG元報道官レドゥル・ヘリルが一時的にSDF報道官に。その後、SDFは1月20日、後任にキノ・ガブリエル報道官を任命。キリスト教徒で、SDFを構成するシリア正教軍事評議会司令官だった。YPGは、新たな報道官の人選でも、SDFの「顔」となる報道官には、あえてクルド人を前面に出さないようにしたようだ。(2018年1月・SDF写真)

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1月18日、シリア北西部アフリンに向け、トルコ軍の支援を受けた自由シリア軍諸派とトルコ軍部隊が侵攻作戦を開始、多数の市民が犠牲となっている。トルコは「テロ組織PKK・PYD・YPGからの脅威を排除する」としているが、アフリンクルド住民がほとんどの地域で、シリア騒乱以降、7年近く戦闘もなかった平穏な場所である。そこに反体制諸派・トルコ軍合同部隊が一斉攻撃をかける状況となった。写真は国境線の壁を突破してシリア領に侵攻するトルコ軍のレオパルト2戦車を誘導するシリア武装組織ヌフベ軍の司令官。クルド人で名前はアザッド。YPGには「裏切者」と呼ばれている。一方、防衛戦を戦うYPGは住民がアフリンを放棄しないよう町からの脱出を制限するなどして、問題も起きている。(2018年1月・ヌフベ軍映像)

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タラル・セロSDF元報道官が「(クルド側が)アメリカの指示のもと、地中海へのルート構築を企図している」とした「証言」から1か月後のトルコのアフリン攻撃作戦開始は、侵攻正当化の口実を作る布石のひとつにも利用されたと言える。写真はマンビジ解放1周年式典でのタラル・セロ。(2016年8月・FURAT-FM映像)

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シリア・イラクでIS解体が進むなか、「IS以後」をめぐる状況は新たな局面を迎えようとしている。トルコ、クルドアメリカの駆け引きは続く。そのなかで起きたタラル・セロSDF報道官の「寝返り亡命劇」。写真はラッカ市民評議会でスピーチするタラル・セロ。(2017年4月・SDF写真)

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「ユーフラテスの憤怒」作戦・これまでの流れ(おもな声明一覧)
第1段階・開始声明 (2016/11/06)    第2段階・開始声明 (2016/12/10)
第2段階・戦果報告 (2017/01/16)    第3段階・開始声明 (2017/02/04)
第3段階・第2攻勢 (2017/02/17)    第4段階・開始声明 (2017/04/13)    
タブカ・ダム制圧声明
(2017/05/12) 
ラッカ突入・大攻勢戦開始声明
(2017/06/06)
ラッカ解放・勝利宣言 (2017/10/20)

【シリア・クルド】イスラム国(IS)掃討作戦~シリア民主軍(SDF)元報道官、トルコ「亡命」事件(5)PKKの米軍武器流用を警戒するトルコ(写真13枚)

◆「クルド自治区化」阻止したいトルコ
イスラム国(IS)の事実上の「首都」ラッカがシリア民主軍(SDF)によって制圧され、戦いは最終局面に入った。「SDFはクルディスタン労働者党(PKK)の隠れ蓑」とするトルコは、クルド・人民防衛隊(YPG)主導のSDFがIS掃討作戦を進めるなかでアメリカを始めとした有志連合と関係を構築しつつあることに危機感を募らせてきた。そのタイミングで起きたのが、タラル・セロ元SDF報道官のトルコへの「投降」だった。

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2017年10月20日、SDFはラッカのスタジアムで「ISからのラッカ解放勝利宣言」を出した。この声明を読み上げたのが、SDF司令・報道官だったタラル・セロ(写真中央)だった。彼がトルコに「亡命」するのは、この3週間後。これだけの短い期間に突如、心変わりをするとも思いがたい。事前にトルコ情報機関とひそかに接触があった可能性もある。(2017年10月・YPG写真)

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タラル・セロはアナドル通信での「証言」で、SDF・YPGはISと密約を結び、ラッカから戦闘員を逃がした、としている。英BBCも現地リポートを出していて、「IS戦闘員、家族ら数百人が手配されたバス、トラックで脱出」と特集した。ただ軍事的には、町の攻略そのものを目的とした場合、市民の犠牲や建物の破壊を最小限に抑えるために、敵とその家族の一部をあえて別の町に逃すことはありうるし、アサド政権もアレッポで反体制派をバスで別地域に移動させている。こうした軍事的な意味を知っているはずのタラル・セロが、「SDF・YPGとアメリカがISと密約し、逃亡を手配した」をことさら取り上げ、“テロ組織と裏取引”を印象づけるのは、何らかの意図を感じる。(画像はBBC特集

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トルコの最大の懸念は、米軍がSDFに供与した武器が、PKKに渡り、トルコ軍に対して使用されることだ。これまでにもSDF・YPGがISから鹵獲したとみられる対戦車誘導ミサイルや携帯式防空ミサイルをPKKがトルコ軍に対して実際に使用するなどしており、シリアからイラク北部への武器移動の流れがあると推測される。「アメリカの武器がテロ組織PKKに渡るのは明白で、トルコの安全保障を脅かす」というのがトルコの立場。写真は2016年にトルコ・ハッカリ県でPKKが携帯式防空ミサイルでトルコ軍ヘリAH-1を撃墜した様子。旧ソ連が開発した9K38イグラとみられる。(2016年5月・PKK映像) 解説動画 >>

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トルコはシリア国境線に長大なコンクリート壁を設置し、PKKゲリラほかISの流入や武器の移動を阻止しようとしてきた。これは2016年にトルコ南東部ヌサイビンの国境警備隊が公表した写真。壁の地下にトンネルが掘られ、PKKが使用していたとしている。双方が情報戦をやっているので、「軍公表の写真」も留意してみるべきだろうが、事実ならPKKが人員や武器をシリア・イラクからトルコの前線に移動させるルートを構築しているようだ。実際にヌサイビンではPKK系の市民防衛隊(YPS)が自動小銃やロケット砲でトルコ軍や警察と激しい銃撃戦を展開している。(2016年11月・トルコ国境警備隊公表写真)

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タラル・セロ「証言」を報じたトルコ・アナドル通信が12月に公表した画像。「シリア北部でのPKK・PYDの武器貯蔵拠点」とするもの。SDFをYPG・PYD・PYD一体のものとし、「アメリカの供与武器がPKKに流れている」と報じている。シリアのPKK系政治政党が民主統一党(PYD)。トルコはシリア・クルド勢力が目指す民主連邦自治政府構想をなんとしてでも阻止したい構え。これがトルコ軍・自由シリア軍系一部諸派によるアフリン侵攻戦へとつながっていく。(2017年12月・アナドル通信画像)

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タラル・セロは「SDFがクルディスタン労働者党(PKK)の隠れ蓑」とアナドル通信で「証言」。たしかにPKKが強い影響力を持っているのはその通りである。だが、ゲリラ戦で培ったPKKの戦闘性があったゆえに豊富な武器を有するISと互角に戦えたのも事実で、アメリカもそれを知っていてSDFを支援してきた。多数の犠牲を払ってISから市民を解放したSDF・YPG側は、その成果を最大限にすべく、アメリカや国際社会へのアピールを含め「IS以後」を見据え、政治的な動きを見せている。写真は掃討作戦が続くラッカで、ISからの解放を喜ぶ市民。(2017年8月・YPG映像)

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ISとの戦闘を経てラッカでSDFの旗を掲げる戦闘員。背後の建物は激しい戦闘で破壊しつくされている。SDFは、行政統治はラッカ市民評議会に権限を委譲するとしている。委譲とはいえ、SDF・YPG主導の行政機関である。(2017年9月・FURAT-FM映像)

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ISを排除した地域では治安確保をするための部隊の編成が段階的に進んでいる。おもに地元住民から編成され、訓練のラッカでの治安維持任務を担うことになる。給料はわずかに出るが、圧力をともなう招集や、軍隊の経験のない女性の参加要請に対しては一部で不満も出ている。写真はラッカ内務治安隊結成の様子。(2017年5月・FURAT-FM映像)

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写真はラッカ市民評議会設置のようす。IS後の新たな統治形態は「世俗主義・民主主義・住民参加の理念による市民評議会」とするが、これはオジャランの思想「民主コンフェデラリズム」がベースになっている。「民主」とはいえ、がっちりとPKKイデオロギーがあるのもまた事実。トルコは、シリアで「PKKモデルのミニ国家」が誕生するのを阻止すべく動いてきた。(2018年1月・SDF写真)

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ラッカ近郊の農村地域で戦争被災者に食糧や衣料品を配布するラッカ市民評議会。戦闘で住居が破壊され、いまも郊外の避難キャンプでテント暮らしを強いられる住民は多く、町の再建と復興にはまだ時間がかかる。行政機関設置で外国の支援受け入れが進むとともに関係も強まることになる。(2017年11月・SDF写真)

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有志連合の米大統領特使マクガークは頻繁にラッカ入り。写真左はマクガークと有志連合指揮官タウンゼント中将(米軍)。写真右はラッカの地元主要部族代表らと「IS以後」の地域復興について会合する様子。数か月前までISに従わさせられていた部族首長たちである。トルコ・メディアは、タラル・セロ「証言」をもとに、「マクガークがアメリカによるシリア・クルド支援の筋書きを書いた」「テロ組織YPGへの武器供与のトリックを作り上げた」とする論調で批判している。(2017年8月・マクガーク・ツイッター写真)

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アメリカとシリア・クルド組織の関係はラッカ攻略戦で始まったものではなく、クルド側がコバニでIS戦を戦った2014年から続いてきた。当初は空爆支援だったものが、ISが世界的な脅威になって以降はアメリカの武器供与、さらに米軍地上軍派遣、戦闘訓練、「IS以後」の復興支援という流れになる。写真は2016年にシリア・コバニを訪問して地元政治家らと会うマクガーク米特使。こうした関係構築にトルコは危機感を募らせてきた。右端はコバニ県知事アンワル・ムスリムインタビューはこれ>>

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ラッカ近郊のアイン・イサでのラッカ市民評議会の会合。ISを排除した後の行政統治と支援などについて準備が進められた。有志連合指揮官ほか、米国務省使節らが評議会やSDFと話し合った。赤で囲んだのが、のちにトルコに事実上「亡命」し、SDFとアメリカの関係をトルコ・アナドル通信で「証言」したタラル・セロ元SDF報道官。(2017年8月・SDF写真)

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「ユーフラテスの憤怒」作戦・これまでの流れ(おもな声明一覧)
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【シリア・クルド】イスラム国(IS)掃討作戦~シリア民主軍(SDF)元報道官トルコ「寝返り」事件(4)トルコ政界スキャンダルと対米外交戦(写真11枚)

YPG「エルドアン政権スキャンダル隠しにタラル・セロ証言利用」
シリア民主軍(SDF)司令・報道官、タラル・セロのトルコへの「寝返り」事件の真相はいまだ不明のままだ。クルド・人民防衛隊(YPG)側は、トルコ政界スキャンダル、レザ・ザラブ事件まで持ち出して、「トルコの策略」と非難。アメリカとトルコの緊張した外交関係のなかで起きたタラル・セロの「亡命劇」。それぞれが応酬を繰り広げる。
第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回

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イスラム国(IS)拠点都市、ラッカの攻略戦では、近郊の農村部から包囲し、市内に突入した。2017年7月、市内中心部への最終突撃戦を前に声明を読み上げるタラル・セロSDF司令・報道官。トルコへの「寝返り」は、このラッカ攻略を果たした直後に起きる。(2017年6月・FURAT-FM映像)

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トルコ・アナドル通信がタラル・セロのインタビューを報じた直後、SDFメディア部門ムスタファ・バリ司令官は声明を出し、「タラル・セロはトルコに脅迫を受け、拉致されたもので、証言内容はでっち上げ、虚偽」とした。過去、SDFの別の司令官のひとりが何者かに暗殺されたこともあるなど、SDF内部も揺れてきたなか、今回はタラル・セロ報道官というトップがいきなり敵対相手に寝返って、数々の「内部情報」を暴露。まるで戦国時代のようだ。(2017年11月・SDF写真)

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タラル・セロの「寝返り」後に、YPG報道官ヌリ・マハムードがクルド系ANF通信(PKK系)のインタビューに答えている。「タラル・セロは個人的な経済問題を抱え、また子ども2人はトルコにいて、当局から脅迫を受けていた」としている。「トルコ情報機関MiTが仕組んだもので、その背景にはレザ・ザラブ事件で政権腐敗が明らかになるなか、アメリカが供与した武器がテロ組織PKKに流れているとトルコが印象操作するため」と語っている。(ANF通信記事・2017年12月7日)

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YPG報道官が指摘したザラブ事件とは何か。レザ・ザラブはイラン生まれのアゼリ人実業家・金投機家トレーダーで、トルコとアゼルバイジャンの国籍を持つ。トルコとイランの政財界に太いパイプを持ち、経済制裁下のイランへの送金迂回、マネーロンダリングなどで2013年、トルコ当局が拘束。ところが事態は急展開…

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レザ・ザラブ事件では、エルドアン(当時・首相)政権の内務大臣ら3閣僚の子息らがトルコ検察当局に逮捕された。トルコ国営ハルク銀行を足掛かりに米が経済制裁を科すイランの迂回送金ルート構築に関与したとされた。当時、ハルク銀行の執行役員だったベラット・アルバイラク(写真)はエルドアンの娘婿で、事件への関与が浮上して一大スキャンダルとなった。ところがエルドアンは強権を発動し、「これは司法クーデターだ」などとして検察や捜査関係者を解任。ザラブら容疑者は釈放される。アルバイラクはのちにエネルギー資源大臣に。2015年にトルコ軍がロシア軍機撃墜した際、「ISとの石油売買を仕切っている人物」とロシア側に非難されたのが彼。(追記:アルバイラクは2018年7月には財務大臣に就任)(写真はトルコ・カナルDテレビ映像より)

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レザ・ザラブ事件にはさらに第2幕があり、トルコとアメリカの外交問題へと発展する。2016年、レザ・ザラブはアメリカでFBIに逮捕される(写真左)。イラン経済制裁に違反し、マネーロンダリングなどの容疑がかけられたうえ、米検察はザラブ人脈にエルドアンの妻エミネ夫人の名を上げ、トルコ政府中枢と深い関係を指摘。ザラブ側の弁護団ジュリアーニニューヨーク市長やミュケイジー元米司法長官らが加わり、エルドアン大統領と会合を持っていたことも明らかになった。事件の登場人物が超豪華な面々になり、さらに話題をさそっていった。写真右はレザ・ザラブの妻で歌手のエブル・ギュンデシュ。

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2017年3月、米司法当局とFBIは、「レザ・ザラブと共謀し、対イラン経済制裁に関する米国法に違反した容疑」などでトルコ国営ハルク銀行のメフメト・ハカン・アティラ副頭取をニューヨークの空港で逮捕。国営銀行の副頭取まで逮捕される事態に。(写真右FBIの逮捕時の映像)

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トルコ国営放送TRTが2017年12月公開した英語動画。米で司法取引に応じて、トルコ政府中枢の関与を「暴露」したレザ・ザラブをこき下ろしている。「米刑務所の看守を4万5千ドル(=約500万円)で買収し、自分の拘置房に電話、酒、タバコ、マリファナを融通させた」などとしている。国営メディアまでこんな状態に。(2017年12月・TRTワールド)

【動画】エブル・ギュンデシュ・ビデオクリップ

レザ・ザラブが米検察当局との司法取引に応じた展開をうけて、トルコ政府は、アメリカに「寝返った」レザ・ザラブに報復的措置をとり、ザラブと家族、関係者らのトルコ国内の資産が差し押さえられた。これにはザラブの妻で歌手のエブル・ギュンデシュも含まれると報じられた。政財界スキャンダル、対米外交戦に芸能ゴシップまで重なった。せっかくなので彼女のビデオ・クリップをどうぞ(歌うまいよ)

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さらにトルコ当局は、2017年10月、駐イスタンブール米領事館のトルコ人職員を「ギュレン派クーデター未遂事件に関与」などとして逮捕。またトルコ系米国人のNASA科学者も拘束。両国の関係は悪化し、互いに渡航ビザ発給停止措置にまで発展し、報復の応酬になっている。トルコ政界スキャンダルやイラン制裁、ギュレン派、軍事クーデター未遂事件、シリア情勢でクルド支援深めるアメリカの姿勢などをめぐって熾烈な駆け引きが続く。写真は2017年5月、訪米したエルドアン大統領。(2017年・ホワイトハス公表映像)

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YPG報道官ヌリ・マハムードは「トルコはロジャヴァ(=シリア・クルド地域)での我々の民主革命を破壊するためにあらゆる方法を使い、反体制派組織やISまでも支援してきた」と主張。またANF通信インタビューでは「11月のタラル・セロ事件を利用し、PKKがシリア北部を支配していると情報を拡散させ、米国からの武器供与を阻止しようと画策している」としている。(2017年11月・YPG映像)

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トルコとアメリカ、そしてクルドのあいだで謀略や情報戦の応酬が続く。ISという「共通の敵」との戦いのなかにも、それぞれの思惑が交錯し、政治の駆け引きで事態が動いている。(2017年12月・アナドル通信写真)

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「ユーフラテスの憤怒」作戦・これまでの流れ(おもな声明一覧)
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タブカ・ダム制圧声明
(2017/05/12) 
ラッカ突入・大攻勢戦開始声明
(2017/06/06)
ラッカ解放・勝利宣言 (2017/10/20)

【シリア・クルド】イスラム国(IS)掃討作戦~「シリア民主軍(SDF)への供与武器がPKKへ」と、トルコに「亡命」の元報道官(3)写真12枚

IS掃討作戦の背後でシリア情勢めぐる駆け引き
シリア民主軍(SDF)の顔となってきたタラル・セロ司令・報道官の「トルコ亡命劇」。トルコ・アナドル通信インタビューでタラル・セロは「SDPとクルド・人民防衛隊(YPG)にアメリカが供与したIS掃討作戦のための武器が、クルディスタン労働者党(PKK)に渡っている」と「証言」。掃討作戦を通じて関係を深めるアメリカとクルド勢力にトルコの危機感が強まる。
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トルコに事実上「亡命」したタラル・セロ元SDF司令・報道官が、アナドル通信でこれだけSDF・YPGに不都合な話をしたにもかかわらず、この段階ではSDFもYPGもタラル・セロを厳しく非難してはいない。YPGやPKKは、組織から離脱したり、背いた者は「ハユン(裏切者)」と呼ぶのが通例だが、これまでの段階ではタラル・セロに対してはこの用語を使わず、「アナドル通信での“証言”はトルコ当局の書いたものを読まされた」としている。写真左は2016年、IS掃討後のシリア・マンビジでのタラル・セロ。(2016年8月・SDF映像)

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ロシア・スプートニククルド語版が2017年12月に伝えた、アメリカのシリアのYPG・SDFへの武器供与の移送拠点ルートと武器の種類とする図(拡大)。ハンヴィやクーガー装甲車の支援はあっているが、米国製戦車誘導ミサイルTOWはトルコが問題視しているので違うと思われる。ただ、もし供与があるとすれば、直接シリアへではなく、イラク支援の割り当て分を回す可能性がある。実際にはシリアへはカラシニコフ銃やRPG-7などが多く送られている。スプートニクはロシア宣伝機関といわれるものの、クルド語セクションはわりと独自に編集する余地があって、なかには有用な記事も。(追記:2018年6月、スプートニククルド語セクションは終了)

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シリアで有志連合軍が武器供与や戦闘訓練する様子。この米中央軍公表の写真はいずれもクルド・YPGなど記章や旗は意図的に写り込まないようにしていた。名目上は「ISと戦うアラブ人連合組織と精査されたシリア諸組織(VSO)への武器支援」。下の女性戦闘員はアラブ人だけでなく、クルド人もけっこういると思われる。(2017年2月・米中央軍写真)

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これも米中央軍公表写真。米軍の支援プログラムには、戦闘や射撃訓練も含まれる。またフランス軍もこれら訓練を教えている。写真右はシリアを訪れたトロクセル米統合参謀本部上級アドバイザー。結びつきを深めるシリア・クルド勢力とアメリカの関係に、トルコは焦燥感をつのらせていた。(2017年2月・米中央軍写真)

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書類上は「アラブ人連合組織」に武器を渡したことにして、実質的にアメリカのYPGへの武器供与を可能とする手法は、世界の脅威となったISを掃討する作戦を進めつつ、NATO同盟国トルコの批判をかわすためでもあった。今回、タラル・セロがシリア・SDF・YPGがPKKの指示下にあると「証言」したことの意味は大きい。アメリカは以前からPKKを「テロ組織」としているが、その関連武装組織に国防総省が武器供与と多額の援助したことになり、米国内法違反にもつながりかねない。アメリカに揺さぶりをかけたいトルコ当局の思惑が見え隠れする。(2017年2月・米中央軍写真)

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これはYPG映像。YPG戦闘員はどんな記章かというと、部隊章のほかにオジャランPKK指導者の肖像などを付ける。左の戦闘員の記章はオジャランの顔。文字はクルド語で「ベ・セロク・ジヤン・ナーベ=指導者(オジャラン)なくしては我らの人生はない)」。トルコの反発を招くので、米軍公表写真ではこういうのが映り込まないようにしている。(2017年7月・YPG映像)

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米軍特殊部隊は早い段階から直接シリアに入り、IS壊滅作戦でSDF・YPGと連携してきた。クルドメディアが報じた映像で、いずれも米軍特殊部隊兵士。米兵がおそらく個人的にYPG章をつけていたものと思われる。これにトルコは強く反発。その後、米軍もこうした行為に慎重になった。右の米兵は、YPG章(黄)に加え、女性部隊YPJ章(緑)もつけている。(2016年5月・クルディスタン24映像)

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一方、こちらはマンビジ境界線に展開するロシア軍。写真左写真中央クルドの新年ネウロズの集まりでのもの(2017年)。中央はYPG章をつけているうえに、背後にはオジャランPKK指導者の肖像。写真右はYPG主導のマンビジ軍事評議会の記章をつけるロシア兵(2016年)。これも個人的に兵士がもらったものをつけているだけだが、ロシアもYPGと関係を作っていることをトルコ・メディアは危機感をもって伝えた。(トルコ・atvニュース映像)

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アメリカはIS壊滅を優先させるため、SDFへの武器供与を続け、トランプ政権になってからは支援がさらに増加した。写真左トランプ大統領と米中央軍司令官ヴォーテル大将(2017年3月)。 写真右は2016年5月、シリアのSDFを訪れたヴォーテル大将。右端にはタラル・セロの姿もある。(いずれも米中央軍公表写真)

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国防総省の次年度会計リストにあるアメリカがシリアSDFへの供与武器(拡大)。2017年のAKー47=10,200丁から、2018年では25,000丁となるなど大幅増強。昨年のと比べるとAK1丁あたり(整備キット・スリング付き)の調達単価は525ドル(2017年)から、なぜか798ドル(2018年)に。2018年だけでもPKM機関銃(1500丁)、RPG-7ロケット砲(400門)、SVDドラグノフ狙撃銃(95丁)、120ミリ迫撃砲(60門)など。これまでの支援分もあわせるとかなりの武器が供与されている。赤枠で囲んだ部分には「国防総省は武器が誤って使われるのを防止するために監視する」とある。これは具体的にはSDFからPKKに供与武器が流れないようチェックするということで、トルコからの批判を念頭に置いているもの。

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ホワイトハウスは2017年5月、「シリア・クルド組織含むアラブ連合組織と、精査されたシリア諸組織(VSO)への武器支援増強」を発表。武器のほか、軍用・民生車両、ブルドーザー、通信機器なども含まれる。アメリカ側の会計書類上ではYPGの名は出ていないが、実際にSDFを主導するのはYPG。写真はアメリカが供与した軍用車両ハンヴィで、デリゾール近郊のIS掃討の「ジャジーラの嵐」作戦に向かうYPG部隊。(2017年9月・YPG映像)

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2017年8月、マティス米国防長官がトルコを訪問した際、「トルコ側はシリアSDFへの米国の武器支援がテロ組織PKKに渡っていると証拠写真を提示」とトルコ・メディアは伝えている。写真はトルコ南東部シュルナク県ウルデレで国境警備隊が押収したとされるAT-4携行対戦車弾。シリアSDF経由でなければ、PKKがイラク・シンジャルなどのISとの戦闘で奪ったものをトルコでの戦線に回した可能性もある。(2017年8月・ヒュルリエット紙)

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タラル・セロはアナドル通信インタビューで「アメリカは支援した武器がどうなろうと関心を払っていない」「武器はSDFからYPGへ、そしてPKKに渡った」と証言。実際に武器の一部がPKKに流れている可能性はある。だが今回のタラル・セロのトルコ「寝返り」事件が、トルコ・アメリカの外交関係が緊張している状況で起き、トルコのアフリン侵攻まで視野に入れた話が出るなど、一連の「暴露証言」がトルコ側に有利な内容となっていることも押さえておきたい。(2017年12月・アナドル通信写真)

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「ユーフラテスの憤怒」作戦・これまでの流れ(おもな声明一覧)
第1段階・開始声明 (2016/11/06)    第2段階・開始声明 (2016/12/10)
第2段階・戦果報告 (2017/01/16)    第3段階・開始声明 (2017/02/04)
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タブカ・ダム制圧声明
(2017/05/12) 
ラッカ突入・大攻勢戦開始声明
(2017/06/06)
ラッカ解放・勝利宣言 (2017/10/20)